知的財産と物権法の関係

知的財産は民法上は(基本的に)保護されない

民法に所有権という権利があります。その性質は「物、すなわち有体物に対する絶対的排他的支配権」といわれます。

(所有権の内容)
第二百六条 所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物使用、収益及び処分をする権利を有する。

つまり「無体物(手で触れないもの)」には生じません。

これは民法が定められた明治時代は、現代のようなデータ、情報が社会全体でも質・量ともに少なく、規定する必要がなかったためです。

しかし現代はデータ、情報が財であり、資産であり、価値を持つものと認識されてることに疑いようはありません。このことを指して「情報財」といわれます。

では情報財に所有権の条文を当てはめてもよいかというと、これは法文上も許されておらず、またその性質からも単純な当てはめは不適切と言われています(後述)。

(物権の創設)
第百七十五条 物権は、この法律その他の法律に定めるもののほか、創設することができない。

「その他の法律」とはなにかについては長くなるので割愛しますが、遠藤浩他「基本法コンメンタール (No.188) 物権―平成16年民法現代語化」(2005年10月)※の解説には知的財産法は含まれていませんでした。
※記事を書いていて2020年2月に新版が出ていることに気づきましたが手元には旧版しかなかったのでそちらを参照。新版に言及があればアップデートします。

なお所有権などの物権法の中では保護されませんが、不法行為法では保護されるので章題に「(基本的に)」とつけました。

知的財産は情報財における絶対的排他的支配権(所有権類似)

そこで民法以外の法律により、情報財の中から「知的財産」といえるものを特別に保護する、というのが現在の法律の構成です。
これがいわゆる知的財産法です。

知的財産法の中で最も基礎になる知的財産基本法には知的財産、知的財産権とは以下のように定義されています。

平成十四年法律第百二十二号 知的財産基本法
(定義)
第二条 この法律で「知的財産」とは、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの(発見又は解明がされた自然の法則又は現象であって、産業上の利用可能性があるものを含む。)、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報をいう。
2 この法律で「知的財産権」とは、特許権、実用新案権、育成者権、意匠権、著作権、商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利をいう。

※法律の読み方として、ある名詞に対して修飾語がついている場合は、「その名詞のうちのある一部」という集合関係であると捉えるとよいです。
つまり、「情報」のうちである特定の性質をもつものを「知的財産」と定義している、ということになります。

知的財産法はかつて「工業所有権法」と言われていたように、無体物版の所有権を定める法律と解されていました。
厳密にはindustrial propertyの訳なので「産業財産」と訳すのが適切で、平成14年の知的財産戦略大綱により「工業所有権」は「産業財産権」に改められました。

ところで特許法ではプログラムについては「物」として扱われます。
この点はややこしいですが「全ての財産法の基本となる民法では物とは扱われないが、特許法の中では特別に物として扱う」ということであり、準物権と言われる所以です。

そして知的財産権は、
①権利者が独占的に実施できる(積極的効力)
②他人の実施を排除できる(消極的効力)
の2つの効力があり、これらを合わせて所有権の絶対的排他的支配権と近しいといえます。
両者が一致しているといわれる特許権の定めは以下のように「専有」という言葉を使っており、①のように読めますが明治21年制定当時は「禁止権」と規定されていました。

特許法
(特許権の効力)
第六十八条 特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。ただし、その特許権について専用実施権を設定したときは、専用実施権者がその特許発明の実施をする権利を専有する範囲については、この限りでない。

※ただし中山信弘著「特許法 第四版」では、「(積極的効力と消極的効力について)商標権や意匠権においては、その両者の範囲は異なっており、両者の区別は重要な意味を有するが」という言及をしつつ、「特許権は独占権であるのか排他権であるのか、・・・この議論は実益のあるものとも思えない」とバッサリ切られています。

このように、知的財産権は民法以外の法律で立法的に所有権類似の権利を与えられている、という構造になっています。
※職務発明における特許を受ける権利の法人原始帰属の条文もそうですが、まだ現実になされていない多様な知的財産を見据えた、知的財産法の厳密さと抽象さを両立しようとする立法技術は(わかりやすさは別として)本当にすごいなと思います。

民法上の財産と知的財産の性質の違い

有体物か無体物かが両者の違いであると述べましたが、それが具体にどのような違いを生むか、代表的なものは以下です。

①知的財産は同時に多数の人に使わせることができる(排他性の差)

何らかのデータであれ、文章であれ、「情報」の性質としてコピーを作り、配布することが容易です。しかもコピーはどれも同じものであり、差は生まれません。純粋なクラウドサービスであれば、アクセス権を設定すればコピーを作ることもありません。

裏腹として勝手に使われてしまう可能性(不正アクセス、不正コピー、剽窃)があります。

これが例えばペンであれば、それを誰かに使わせていれば他の人はそのペンを使うことはできません。

なお有体物としての「書籍」は上記のペンと同様であり、所有権の対象になりますが、書籍に著されている「内容」はその本質は「情報」であり、著作権法はこの「内容=情報」を保護します。

②使い減りしない

家などの有体物であれば、使えば摩耗、劣化していくので使えば使うほど使い減りします。そしてどこかで「使い物にならなく」なります。

これに対して「情報」は使っても削れたり、劣化することはありません。ただし技術革新が起こり陳腐化することで「使い物にならなく」なります。

一方で「財産の価値(いくらの値段がつくか)」は社会からのニーズ、需要と供給で決まりますので、社会が変化してニーズがなくなる、世の中に広く流通する、などの要因により変化する点で民法上の財産と知的財産は共通しています。

③権利が及ぶ範囲の明確さ

「情報」の性質として目や手で認知できるものではありませんので、権利の対象とするものが「どこまでか」ははっきりしません。

これは権利者からしても、他者からしても、一定の不確実性が存在していることになります。

この確実性は立法的に解決することは不可能であり、権利者のふるまい、説明資料や契約により「認識の不一致を防ぐ」ウェイトが大きくなります。

④権利が存続する期間

民法上の財産は①のように特定の人しか利用できないので、永久にその所有者に権利を与えても問題はなく、慣習的にはむしろそのほうが都合が良いです。
土地を例にあげると、共産主義国や墾田永年私財法が制定されるまでの日本においては「土地は国家の所有物であり、人民はそれを借りているだけ」であるのが、現代の資本主義経済においては土地の個人所有を認め、その権利の永続性(勝手に取り上げられたりしない)を認める社会的要請から物権法が定められています。

これに対して知的財産は、その本質は情報であるので、社会がその情報を利用することを永久に排除してしまうと不都合が生じる場面があります。
例えばある製造方法に与えられた特許権が永続すると、その製造方法を改良してよりよい製造方法を作ることができません。
一方で自由経済を貫徹して改良を促すためなんら保護を与えないことは、そもそも発明のインセンティブを奪うことになります。
そこで知的財産法は「一定期間の絶対的排他的支配権」を与えるという手段を採用しています。
※知的財産権の正当化根拠について自然権論とインセンティブ論がありますが、個人的にはインセンティブ論の方が説得力があるように感じます。
したがって政策の影響を受けやすい法律であります。

⑤人格権の有無

所有権は「権利者の名誉」は相手にしていません。「この土地は私のものであったのに他人のものであると表示された。謝罪と賠償を要求する」といったことは認められません。あくまでもその「支配権を侵害されたこと」しか問題にしません。

これに対し知的財産権は「誰のなした知的財産か」という創作者の名誉を保護します。著作者人格権がわかりやすいですが、「この本は私が作り、出版社に出版を許諾したが、私の氏名を表示することを拒絶された。謝罪と賠償を(略)」といったことは認められます。

契約書を読む際は「どの権利」が手厚いかを注意しよう

契約書は基本的に民法をベースにしており、現在は長らく使われてきた有体物取引(売買、貸借)を対象とする契約が広く流通しています。

しかし情報財取引の契約書は上記のように従来の契約書をそのまま利用してしまうと、「知的財産権には所有権の効力は及ばず、所有権移転条項は適用されない」ということが起こりえます。

また知的財産権は「譲渡」か「許諾」かは非常に重要な問題であり、この定め方によっては権利者が思わぬ不利益を被ることがあります。

以上のような異同を頭に置きつつ、取引に臨むのがあるべき姿でしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?