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マイナス思考がもたらしたもの 〜『認知の歪み』の潜在的な恐ろしさ〜

 マイナス思考、という言葉がある。
 意味を検索すると「何をするにも『自分にはできない、どうせ失敗する』という悪い考えに思考が広がってしまうこと」と出てくるが、自分がマイナス思考であるという自覚のある人も少なからず居るのではないだろうか。
 かく言う私も昔はマイナス思考だった。それも結構拗らせてしまっていて、自分なんて生きていても仕方ないくらいのことを思っていた。

 私の人生において、そこまでの大きな転機になるようなことはなかった。ただいつの間にかそのような思考が身に付き、いつの間にかすべてを悪く捉えてしまうようになってしまった。そのようなマイナス思考のように物事を歪んで認識することを、『認知の歪み』というのだそうだ。
  『認知』とは「出来事をどのように捉えるのか」ということを指すが、それは些細な理由で簡単に歪んでしまう。例えば、一つダメだっただけですべてダメだと思い込む。一つ二つの例を見ただけで残りの全部までそうだと思ってしまう。良いことがあったのに悪いことしか思い浮かばず、すべてを悲観したり何が起きても暗くしか考えられなる等……。
 すべてではないかもしれないが、そのうちの一つや二つは思い当たる節がある人も居るのではないだろうか。
 
 このマイナス思考、ひいては認知の歪みを放置してしまった結果、私がどういう状態に陥ったのかについてをざっくり書いてみようと思う。

【きっかけ】

 高校生の頃まで実家暮らしだった私は、大学入学と同時に一人暮らしを開始するまでは別段困ったことにはなっていなかった。悪くものを考えてしまうのは苦しくはあったものの、毎日朝から晩まで誰かしらと顔を合わせ、会話ができる生活を送っている間はそれ以上の実害はなかったのである。
 故郷を離れて一人暮らしを始め、誰も知り合いが居ない、身近に頼れる人も居ない状況から新生活をスタートした私は、最初こそはその生活を快適だと思っていた。実家ではプライベートな空間を持てなかったが、その頃は家に帰れば一人きりで気を遣う必要も何かに神経を尖らせる必要もない。
 高校まではバイト禁止、お小遣いは必要最低限でずっとお金がなかったのが、バイトで万単位を稼げるようになって金銭的にも余裕ができた。
 大学でも入学と同時に友達ができて、定期的に遊ぶようにもなった。授業もやりたかった学問だったために楽しく学んでいた。

 それなのに、私はどんどん孤独になっていた。外に出ているうちは何ともないのに、帰宅して一人になると不安と恐怖が襲ってきた。このまま死んでも誰も気付かない、という感覚がますますそれを増大させていた。
 不必要なまでに物事を悪く考えるようになって生きる気力がなくなり、毎日が苦痛になっていった。家で一人で居る私を止められる存在など居るはずもなく、私はどんどん深みに嵌まっていくばかりだった。
 精神的なダメージだけであればまだ良かったかもしれないが、それが身体的にも影響を及ぼすようになるのにそう時間は掛からなかった。

【異変】

 最初は帯状疱疹ができた。病院では疲れとストレスが原因だと言われた。
 次にずっと左胸の辺りが痛む感覚に苦しむようになった。病院に行ったが特に異常は見当たらず、結局原因不明で終わってしまった。
 そして、最終的にはパニック障害になった。これが本気で辛かった。

 パニック障害とは「特に病気はないのに突然動悸や呼吸困難、めまい、手足の震え等の発作を起こし、そのために日常生活に支障が出ている状態」のことを指すそうだ。
 実際に私が体験した感覚を書いてみると、ある日自宅で鬱々とした時間を過ごしていた私は、急に「このまま死ぬのではないか」という強烈な不安に襲われた。それはあまりにも強い恐怖で、激しい動悸と同時にさあっと血の気が引いていき、貧血の時のように視界が黒く塗り潰されていく。身体も震えが止まらず、その感覚が長いと数十秒に渡って続いた。
 しばらく我慢すれば落ち着くが、それが日に何度も、時も場所も選ばず不意打ちのように襲ってくるようになるのだ。一人で居ても友達と居ても、外でも室内でも関係ない。それが原因で電車で何度座り込んでしまったか分からないし、次第に外出するのが怖くなってしまっていった。

 それだけで済んでいればまだ良かったかもしれなかったが、そうした症状が出るようになってしばらくして、過呼吸症候群にまで陥ってしまった。
 簡潔に説明すると、これはパニック障害の発作等で激しい呼吸を繰り返すことによって二酸化炭素を必要以上に吐き出してしまい、それを抑えるために呼吸を抑制しようとするがそのせいで余計に息苦しさを感じ、一層激しく呼吸をしようとして悪循環に陥る、というものである。呼吸をしているはずなのに息ができている気がせず、身体の震えもどんどん大きくなるばかりで、これがますます不安や恐怖を煽る結果となった。
 紙袋を口元に当てて呼吸をすることで症状を落ち着かせることができるのだが、私はいつ起こるかも分からない不安から、常に手が届くところに紙袋を置いておかないと安心できないくらいにまでなっていったのだった。

【マイナス思考がもたらすもの】

 私のケースは極端な例かもしれないが、とにかく『認知の歪み』を放置して物事を常に悪く考え、ストレスを溜め込みすぎると普通に生活を送っているつもりでもここまで悪化することがある、ということだ。
 マイナス思考がもたらすものは、『生き辛さ』だと心の底から思う。
 生きる気力を奪い、精神だけでなく身体的にまで影響を及ぼす。そしてこれは誰しもの身に起こり得る可能性を秘めている。

 そんな人はそうそう居ないだろうと思い込み、私は長い間ずっと誰にも相談できずにいたが、思いきって友達の一人に打ち明けてみた時、その友達も実は同じ症状があると教えて貰ったことがある。その友達はどうしていいか分からず、いつもただじっと耐えていると言っていた。
 そんな風に人に言えずに同じ苦しみを抱えている人は意外と居るのではないかと思ったことも、今回この記事を書くに至った理由の一つである。

【その後:自分を変える決意をした結果】

 ちなみに、今の私もマイナス思考に支配されているのかと言えば、実はそんなことはない。今となってはマイナス思考によってもたらされた諸症状はすっかり鳴りを潜め、伸び伸びと毎日楽しく日常生活を送っている。
 なぜ改善できたのかと言えば、それは私自身が変わったからである。
 私が変わろうと思ったきっかけは、ただただ『どんな風に生きたって人生は一度きり』と思ったことだった。

 それまで死にたいと思うことは正直何度もあった。楽しいことも思い浮かばないし、諸症状に悩まされて毎日が苦しかった。人生を悲観していた。
 しかし、実際に死のうとまでは思えなかった。
 それなら、どうせ生きていくならこんな苦しいのは嫌だ。人生楽しい方が良いに決まっている!と、そう心から思えたことで、私は自分を変えよう、マイナス思考から抜け出そうと決意を固めることができた。
 そして私は結果的に変わることができたのだ。

 勿論今だって嫌なことは沢山あるし、失敗することだってある。ふとした時にマイナスに考えてしまうことがない訳ではない。
 でも今は、それ以上に毎日が楽しくて仕方がない。小さなことでも幸せを感じられるようになったし、精神的に安定したことで平穏そのものである。
 生きているのが楽しいと感じるようになったし、未来を悲観し暗くなり過ぎることもない。気付けばパニック障害も過呼吸もなくなっていた。

【結論:マイナス思考からの脱却が大切】

 悪く物事を考えすぎてしまうことで、毎日がしんどい。何も楽しくない、やる気も起きず無気力になってしまう。精神状態の悪化がパニック障害や過呼吸のように身体にまで影響を及ぼしていて辛い。そんな状態から抜け出したいと本気で願うのなら、マイナス思考から抜け出すことが大切である。
 そうして嫌なことを考えすぎずストレスをコントロールし、精神を安定させることができれば、毎日が楽しく感じられるようにもなるし身体にも及んでいた影響からも離れることができる。その場その場で辛さを緩和させようとするよりも、根本的に解決してしまった方が後々本当に楽になる。
 
 自分を変えるのは簡単なことではないが、他人を変えようとするよりは難しいことではない。できるかどうかはすべて自分次第なのである。
 覚悟と努力があれば、マイナス思考からだって抜け出せる。

 という訳で、次回はマイナス思考から抜け出すために実際に自分でやってみて効果があった内容を書いてみようと思う。
 それがマイナス思考を終わりにしたいと、本気で変わりたいと思っている人の参考になれば幸いである。

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