回復への道のり〜自分がアダルトチルドレンだったのかよ後編〜

長くなったので後編。
一度でまとめきれないほどに、蓄積された小さなトラウマは膨大だったのだと書いていてつくづく思う。

小学生にして立派な親のご機嫌取りマシーンと化した私は、とにかく人(特に大人)の顔色ばかり伺う子どもになった。
割と大人びていて、「しっかりしているね」と言われる事が9割(当社比)であった。

大人になった今もそうである。どこに行っても「しっかりしたこうさん」なのである。

「どんくさい」
「要領が悪い」
と母に言われ続けた為に、
「私はどんくさくて要領が悪い」というのが子どもの頃からの自己評価であった。

幼稚園の頃、ある子にいじめのターゲットにされた事があるが、その時も「私が要領が悪いからいじめられるんだ」と本気で思っていた。

どんくさいという割に、母は成績や学歴に拘る為にテストで良い点を取っても特に評価もされず、「出来て当たり前」であった。
幸か不幸か、私はテストが苦ではなかった。

どんくさい自分ではいけない、とにかく「出来る自分」にならなくてはいけなかった。
ミスをしたり「出来ない」ことは私の中で許されないこととなった。

今も仕事で、上司に注意や指摘をされた時に過度に反応してしまう。
何も理不尽な事は言われていないし、頭では理解している。それでも心と身体が恐怖で強張る。「また怒られる」と自動的に身構える。
上司の言動が、母に重なってしまうのだ。

機能不全家族だと実感したのは、父との衝突である。
本来キレやすいのが歳を重ねて更にキレやすくなっていた父は、ついに近所トラブルを起こしかけていた。

それもまた母から愚痴られたのである。

今考えれば、全てスルーして良かったものである。
だが、その時の私は「お父さんを何とかしなくちゃ」と反応した。

私は、父に注意を促した。
プライドに考慮までして、それとなくメールで伝えた。
案の定父の逆鱗に触れる事となり、他の家族の前で逆ギレされる事となった。
二度と家の敷居を跨がなくて良いとまで言われる始末であった(何様だ)。

そこで自分の中で崩れ落ちるものがあった。
「もうこの家族は終わりだ」
そう思った。
いや、そもそも何故、終わりなのか?

私が大学生の辺りから、両親の不仲がかなり改善していたのである。
社会人になってからは弟が結婚し、孫が産まれたのも大きかったのだろう、
私は初めて、両親がいがみ合う事のない「家族らしい時間」を送れるようになったのだ。

それは喉から手が出るほど欲しいものだった。渇望、と言ってもいい。
子どもの頃に満たされなかった「安心出来る家庭」が、ついにやってきたのだ。

何が何でも手放せない。
だから、父の近所トラブルさえも私が乗り出して何とかしようとしたのである。

親に満たされなかった部分を、私は何としてでも親に満たしてもらいたかった。

それが、父との衝突で一気に崩落した。
親は何も変わっていなかったのだ。

そこから初めて、家族のことを主治医や友人に話すようになった。
カウンセリングを受けるきっかけも、この父との衝突だ。

機能不全家族やアダルトチルドレンについて、書籍などで自分なりに調べた。
親との関係性から、他者との境界線の曖昧さもあると知った。

父との衝突は約1年前になる。
今はあの時のことを棚上げにしてそれなりに付き合いはしているが、何もしなければいずれまた、沸騰する鍋のように吹き出してしまうだろう。

ここから、私のカウンセリングが始まっていく。

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