通勤を手放して、生活者になる
仕事場の目と鼻の先で借りぐらしを始めて早1週間。
通勤という作業の存在感が塵ほどになって、とても楽になった。
日勤でも宿直明けでも、退勤できるのは大概子どもたちが夕食を食べ終えたころで、わたしもお腹がぺこぺこだ。疲れてぐったりして、1時間放心状態で電車に揺られる。家についたら、もう早く寝たい。
だけど今は、「おやすみ」と言ってお別れしてちょっと歩けば家だ。夕飯の調達のために遠回りしたとしても、散歩の域を出ない。
「仕事モード」をOFFにしてから、家に帰りついて「リラックスモード」がONになるまでのタイムラグが、一切ないのだ。それは安心感となって、わたしの「仕事モード」を支えてくれる。復路のエネルギーをとっておかなくていいということは、退勤前の最後の一秒まで全力で仕事に向き合えるということに等しい。ワーカホリックの権化みたいだけど、それはそれで幸せなことである。
いまは日本中、世界中が非常事態だ。
そのなかにあって、仕事場の子どもたちと同じ町で生活すること。
それは、平時には子どもたちと同じ「生活者」になりえない「労働者」のわたしが、両者を隔てる壁の向こうがわに少しだけ足を突っ込むことを許されたひとときだ。
「生活者」であることと「労働者」であることの境目がどろっと溶け出して、わたしは「労働者」の象徴である「通勤」から解放される。
ワーカホリックの権化みたいだ、と先ほど書いたけれど、たぶんこれはとても大切な感覚なのだろうと直感している。
わたしの仕事は常に、「生活者」と「労働者」の間のその壁と、どう折り合いをつけるかの葛藤とともにある。
「労働者」であって「生活者」でないことは、お金をもらっているという形式的な差にとどまらない。それはつまり、適切な支援を行うために「感情労働者」として感情管理を行っていること、平たく言えば「素の自分」ではなく「演技された自分」として関わるということである。
そこには、「素の自分」で生きている「生活者」の子どもたちとの間の圧倒的な非対称性が立ちはだかる。「労働者」としての自己を曖昧にして「生活者」のように振る舞おうとしても、その試み自体が自らを「素の自分」から一層遠ざける。これは、「生活者」になりえないわたしたちのジレンマだ。
通勤という制約から解放されたわたしは、いま限りなく「生活者」に近づいている。感情管理を免除されたわけでは当然ないし、「労働者」であるという事実に変わりはない。それでも、仕事を終えて「帰っていく」という行為がほとんど無に等しくなったこと、そして同じ町で寝起きしているということが、わたしを「労働者」かつ「生活者」として位置づけなおしてくれたような気がしてならない。
言ってみれば、仕事場の延長上にわたしの仮住まいがあるような、ちょっとばかり長くて屋根のない廊下の先にわたしの居室もあるような、そんな感覚なのだ。
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