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A面とB面、かぞくの今

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。

1911(明治44)年、平塚らいてうが『青鞜』の創刊号に寄せた有名なフレーズである。こう続く。

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

あれから世界は、大きく変わったかもしれない。たいして変わっていないかもしれない。
少なくとも、女を月に押しとどめておく圧は、今でも感じる。ときに強く、ときにさりげなく。

『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』のなかで、共著者の田房さんがとても興味深い話をしていた。
今手元にないので正確ではないかもしれないけれど、社会にはA面とB面があって、A面には経済とそれを回す労働者がいて、B面には子どもや高齢者と、彼らをケアするハコとしての家族が存在する。

A面が太陽で、B面は月だ。

市場経済はとても生産的で、社会全体を潤わせ、きらびやかで、そこに身を置くこと、そこに貢献することには大きな価値がある。稼ぐことは自立的な人間の象徴で、強い個人こそが社会をつくる。

対する家族は、私的な領域だ。そこに稼ぎは発生しないし、表舞台に出てこないから地味だ。その地味な家事が無数に積み重なって、とても重くのしかかる。ときには手に負えないほど。

一般に、男たちの多くはA面で過ごす。毎日家に帰るにしても、また朝が来たらA面に帰っていく。A面で評価されて、A面で昇進して、A面をやりきったあとに、人生のいちばん最後にB面に退く。

一般に、女たちの多くはA面とB面を行き来する。A面で評価されても、B面の評価をも求められる。ときにB面を引き受けすぎて、A面で評価を下げられる。あるいはまた、人生の早い段階でA面からの退場を余儀なくされる。

未だに女が月たる所以である。


でも今、もしかしたら潮目が変わりつつあるのかもしれない。

コロナの影響で、世界は今 #StayHome 一色だ。突如として、今、人類はかつてないほど家に回帰している。B面人口が急増している。

毎朝家を出て、夜まで帰らない。家は風呂に入って寝るだけの場所。子どものことは妻に任せている。A面が生活の中心で、B面はごく周辺的な意味しかもたなかった。ーーそういう日常がひっくり返されて、家にいながらにして仕事ができるようになって、zoomで社会とつながるようになって、1日のほとんどを家で過ごすから、住環境を整えることに興味がわいてくる。

B面が、他の光によって輝く蒼白い顔をやめて、自ら光を放ちはじめた。のかもしれない。

もしかしたらそう見えるだけで、ほんとうはただ、A面がB面のなかにまで侵食してきただけなのかもしれないし、2つの面が融合して、AでもBでもない、なにか新しいものが生まれる兆しなのかもしれない。果たして、どうだろうか?



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