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気に入らないプレゼントは本当に気に入らないのか?

私のことを考えてプレゼントしてくれたものは、どんなものでも嬉しいのか?

誰かにプレゼントを贈る時、貰った側は本当に嬉しいのだろうか?

普段はそんなことを考えませんが、小さな引っかかりのようにふと頭の片隅にそんな疑問がありました。

それはきっと、自分が人からプレゼントをもらった時、自分が欲しくないものを貰っても嬉しくないなーという経験が少なからずあったから。

だから、プレゼントを贈るのではなく、相手の好きなものを買ってあげることが1番喜んでくれるはずだし、無駄なお金にならず合理的で、良いじゃないか!と考えたことはあるし、そうしてきたこともあります。それに「自分のことを考えて贈ってくれたプレゼントはどんなものでも嬉しい!」なんて、そんなの単なる綺麗事なんじゃないか?と思ったこともありました。

でも、その「自分のことを考えて贈ってくれたプレゼント」と言うものの、“本当の意味”が分かったような気がしたんです。

例えば、
黒いものばかり身につけている人がいる。
その人に、黒い鞄をあげる時、きっと悪くない選択だと思う。なぜならその人が“いつも”黒いものを身につけていることを知っているくらい、その人のことをよく見ていてくれているから。
でも、その人には黒いものだけじゃなくて、もっと別の色のものも似合うんじゃないか?と感じたとしたら?普段の会話から、その人の感性、好きな音楽、映画の話から黒以外のものを思いついたとしたら。もしかしたら黒以外のものを贈ってあげるかもしれない。でも貰う側は本心は嬉しくないかもしれない。だって貰ったその人は黒いものが好きで、黒いもので統一したいと思っているのだから。黒以外のものは単なる違和感でしかないかもしれないし、貰って困ってしまうかもしれない。
でも、
好きなもの、好きな音楽、好きな映画などからわかる“他者から見た私の物語”に、黒以外のものを選ぶ理由があったとしたら?そして“私から見た私の物語”からは気づけないものだったとしたら?最初は違和感しかない贈り物だったかもしれないけれど、時間が経つにつれてじわじわと心に響いてくるかもしれない。

「自分のことを考えて贈ってくれたプレゼント」とは「他者から見た、私の物語(人生)に添えるプレゼント」

そう考えた時、私のことを考えて贈ってくれたプレゼントなら確かにどんなものでも嬉しいように思えたのです。私が喜ぶプレゼントは私が1番知っているわけじゃない。私が気づけない私が喜ぶプレゼントもあるし、私が気づけない私に似合うものもある。貰った時はそれにすぐには気づけないかもしれないけれど、それは自身でみた見え方とは違う、“他者から見た私の物語に添えられたもの”。

プレゼントとは、人の物語(人生)を読んでそこに贈り物を添えてあげることなんだなと、そんな風に思ったのです。

そう考えた時、
プレゼントを贈ると言うのはとても難しいことだとも思いました。その人の物語を丁寧に読み、どんなものを贈ればその人の物語に新しい風を吹かせられるんだろう?そんなことを考えることだから、簡単には思いつかない。

贈る側はそれを忘れずにいなければならないと思う。きっと考えていないことは簡単にバレてしまうから。
そして受け取る側もまた、贈られたものにどんな意味を込めて贈ってくれたのか?その想いの尊さを忘れてはならないし、簡単に「私の趣味じゃないからいらない」というのも違うように思う。

考えずに贈られたものは受け取る人にはわかる。
丁寧に贈ったものを雑に受け取られたら、贈った人にはわかる。
プレゼントには、そのことを忘れないようにお互いを思い合うことが大切なんだろうなと思います。

そんなことをふと考え、私も今まではそんなこと全然出来ていないので出来たら良いなーと思いながら書いていますw

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