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徒然200622 雨とかのこと

初めて明確に頭痛を感じた小学校5年生のある日曜日のことを、今でもたまに思い出す。

それまで風邪やインフルエンザ以外に頭痛を単体で感じたことがなかったから、何が起こっているのかわからず半べそで母に訴えたのを覚えている。本当にあまりにも痛くて、ひどい吐き気がして耐えられなかった。

小児科の待合室の白い壁と同化しているのを見かねて、看護師さんが順番を早めてくれたけど、そのわりに3秒で偏頭痛だね、と診断された。

あんなにしんどくて朦朧としていたはずなのに、気持ち悪くてお薬飲めないでしょ?お尻から入れるやつにする?と聞かれてめちゃくちゃ恥ずかしかった、その瞬間の記憶だけがみょうに鮮明で苦笑してしまう。医者からしたらたかが小5女児のお尻だろうけど、小5女児のお尻からしたら一大事だ。そんな軽いノリで出せるわけがないだろ!

などと強がったものの結局薬は飲めなくて、布団の中であ〜お尻のやつにしてもらえばよかった〜ってあっさり後悔した。小5だ。


それから今日まで、頭痛とは長い付き合いになってきた。あの日曜日ほどの地獄は年に数回あるかないかだけど、静かなところでただ横たわっていたい程度の小さな地獄はたまにある。そのたびにウンザリするし、かなり悔しい、丈夫で健康なことが取り柄なのに。

無理やり慣れたけど、やっぱりどうしてもドラッグストアでは沈鬱な面持ちになってしまう。お金がかかって仕方ない。本当は金ピカのいかにも効果マックスのやつをいつも飲みたいけど、もったいないので白と銀ピカを上手に使い分けて乗り切る技を身につけた。それでも100回中100回「あ〜これでかわいいリップとか買いたいよ〜やってらんねえよ〜」のくだりをやらないと気が済まない。


さて、気象病という言葉がある。天気によって表れる不調を総称するが、多くの人は気圧が下がった日に感じるらしい。梅雨の時期に古傷が痛んだり、空が陰ると頭痛が始まったりするやつ。長年、医学的な根拠はないとされてきたけれど、近年になって、何か関係があるかもという雰囲気らしい。

でもわたしは、雨の日にどんなに頭痛がしても、自分が気象病だと絶対に思いたくない。認めたら、「雨が降る」と「頭が痛い」が脳みその中で強固に結びつけられて、雨の日は“必ず”頭痛がするようになっちゃう気がしている。少なくともわたしのおバカな脳みそは、コーヒーを飲むと腹痛がするシステムをすでに構築しているので、もう同じ轍を踏みたくない。

だからわたしは毎度、それがどんなに法則みを帯びていようとも全く無視して、「ああ頭痛がするなあ」と「今日は雨だなあ」を切り離して考えるようにしている。雨の日を嫌いになりたくないし。頭痛がする日に外が明るいと、ほーらね!という気分にすらなる。ついでに、似たような理由で「頭痛持ち」を絶対に名乗らないようにしている。


今日は久々にまあまあ頭が痛くて、久々にそういうことを考えていた。そんで梅雨つらいな〜と思ってから、いかん天気は関係ないんだった、とハッとした。今月このくだりをすでに3回くらいやっている。…あれれ。

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