徒然200621 特急草津4号

木曜の夜中、4月から群馬で働いている友達が急に電話をくれて、あれよあれよという間に気がつけば群馬にいた。

無職あるある、お金はないけど時間は無限にあるので、在来線で2時間半。通勤電車と同じいたって普通の横並びの座席は、車内アナウンスの地名に聞き覚えがなくなってからが長かった。

終点の高崎駅から友達の家までさらにバスで20分かかる。雨粒ごしのぼやけた景色は、見慣れないはずなのになぜか見覚えがある気がして、たぶん地元に似ていた。田舎なんてみんな似たようなもんだなと思った。

会社の飲み会に誘われたという友達は心底申し訳なさそうに出掛けていって、わたしは初めて上がった家で留守番を任された。退屈しのぎに行ってみた本屋は文房具やらDVDやらが一緒くたに並ぶデカい店で、ああ地元に似ているなとまたうっかり考える。「似ている」というラベリングほど無意味なものはないのにね。

2泊の滞在中、ごはんを作って洗濯をしてテレビを観てお風呂に入って、あとの時間は寝ていた。特に何をするでもなく、ただ生活する空間が自分ちから友達んちに変わっただけ。うっかりするとここが群馬だということをすぐ忘れた。ひたすら生活だった。

上京してから気づいたこと、生活というのはひどく難しい。心臓が動いて呼吸をすることと、暮らしをするということは違う。忙しいとき、体調が悪いとき、気持ちが落ち込んだときはなおさら大変だ。

自分の面倒を見るだけでも骨が折れるのに、家族の世話もしている人はもっとすごい。生活することはすごい。「ていねいな暮らし」なんかじゃなくても、インスタントコーヒーだろうが、詰替シャンプーを袋ごと使おうが、レンチンごはんだろうが、とにかく暮らしてえらい。みんなえらい。自分の世話をしていることを、みんなもっと褒め讃えたほうがいい。

地球には人が溢れすぎていて息苦しい。他者に優しくありたいと思うけど、でもとてもじゃないけど全員は愛せない。マナーの悪いおじさんはウザいし、うるさいバイク乗ってる若者は迷惑だし、子どもの甲高い泣き声が頭痛に響いてゲンナリすることもある。

でもそれぞれ毎日生活している。とてつもなくえらい。まあ正直それで急に世界が愛おしくなるなんてことはないけど、なんか、そうかみんな生活してるんだなあと思った。えらいなあ。

そんなことを考えながら、帰りの特急草津4号に揺られている。在来線のつもりだったけど、950円高いけど、こっちのほうがちょっとワクワクするから奮発した。特急券を買うギリギリまで迷って、発車1分前に飛び乗った。特急は新幹線に似ていて、でもスピードも見える景色もカーテンの仕様も全然違う。

帰ったら生活が待っている。

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