HATCH de #トヤマビト!Vol.02
さまざまな富山の魅力を守り、活かし、輝かせているのは“人”の力があってこそ。
富山で活躍する“人”にスポットをあて、知ってもらうきっかけにしたい。
今回ご紹介するのは
歴史ある企業の次世代経営者であり、自身でも新規部門を開拓。
北陸で唯一のウイスキー蒸留所を復活させた仕掛け人。
若鶴酒造株式会社 取締役
三郎丸蒸留所 ブレンダー&マネージャー
稲垣 貴彦(いながき たかひこ)氏
です!ぱちぱち!👏
(グラフィックレコーディング:misaさん)
▶ ウイスキーの魅力との出会い
“玄”や“苗加屋”などの日本酒の酒蔵として古くからよく知られている若鶴酒造。
そんな若鶴酒造の拠点 砺波市に、世界から注目を集めるウイスキー蒸留所があるのはご存知ですか?
その名も三郎丸(さぶろうまる)蒸留所。
そこで自身がウイスキーブレンダー・マネージャーを務めている稲垣貴彦さん。
いまはウイスキーのプロフェッショナルだが、詳しくなったのはここ5年ほどのお話しなのだとか。
ウイスキーの味の違い、ましてや各地の蒸留所ごとのウイスキーの特徴なんて全然意識していませんでした!
しかしあるきっかけでウイスキーにのめり込み、猛勉強をはじめたという。
大学卒業後、日本ヒューレット・パッカードで営業として働いていた稲垣さん。
2015年、若鶴酒造に戻るために富山に帰ったとき、1960年に曾祖父が蒸留したウイスキーを飲む機会があった。
これはすごい、と感動しました。
ウイスキーを通じて自分の時代と曾祖父の時代が繋がったような気がしました。
半世紀以上の時を超えて味わえる飲み物はなかなかないのではと魅力を感じ、それからはウイスキーにどっぷりハマりはじめたのです。
▶ なぜ日本酒じゃなくてウイスキーを選んだ?
1980年代の日本はウイスキーブームで、全国に30か所のウイスキー蒸留所があった。
しかし、2000年代初頭にはウイスキー製造はどん底を迎える。
各地の蒸留所は製造をやめたり、仕込み量を減らしたりと、2014年にはたったの9か所に。
稲垣さんが富山に戻ったのは2015年。
日本酒をメインに製造する若鶴酒造で、なぜウイスキーに目をつけ力を入れようと思ったのか。
日本酒は全体的にマスで見ると下がりつつあるのです。
ウイスキーは海外で既にマーケットがあるし、今後グローバルに事業展開していくにあたって良いのではないかと考えました。
実際には自分がウイスキー好きだからというのもありますけどね!
▶ 曾祖父のチャレンジ“サンシャインウイスキー”
若鶴酒造がウイスキーづくりを始めたのは、実はずっと昔のことだった。
稲垣さんの曾祖父にあたる 2代目 稲垣小太郎(こたろう)氏のチャレンジからすべては始まった。
戦争で日本酒をつくるためのお米が無く、つくれない。
そんな中、稲垣小太郎氏が米以外からお酒をつくることを考え、ウイスキーづくりにたどり着く。
1952年、『サンシャインウイスキー』と名付けられた若鶴酒造のウイスキーが誕生したのであった。
しかし、当時はウイスキーを根本的に理解していないままだったのか、ウイスキーの種類に関わらず、すべてを『サンシャインウイスキー』として販売していたという。
稲垣さんはブランディングの再構築を図りたいと考え、自らウイスキーの猛勉強をはじめた。
▶ キックオフは曾祖父の遺産から
まずは若鶴酒造のシングルモルトウイスキー(ひとつの蒸留所でつくられたもの)のブランド化を目指した。
稲垣さんがウイスキーの魅力に気づくきっかけになった
曾祖父がつくったあの1960年のウイスキーを商品化しようと試みた。
2015年、1本55万円(1年あたり1万円の価値を付けた)で『三郎丸55年』を155本限定で販売。
シングルモルトウイスキーは通常、その土地の地名などを名づけることが多いとのこと。
社員からは「そんな古いものが本当に売れるのか」と心配する声が多くあったという。
結果的には4倍以上の応募があり、すぐに完売した。
稲垣さんは曾祖父の遺産でもある『三郎丸55年』のこの売り上げを蒸留所の改修に使いたいと考えた。
▶ 愛される蒸留所をつくるために
稲垣さんが富山に帰った来た2015年当初、
三郎丸蒸留所は昔のままのボロボロな状態だった。
非常に趣もあるが傾きもある。
このままではお客さんが見学に来たいと言っても危なくて中には入ってもらえない。
そもそも蔵人自体も作業するのには危険ですし。
みんなが見学できる蒸留所にしたい、ウイスキーの好きな人たちが集まれるような場所にしたい、と考えました。
そんな想いから稲垣さんは大きなプロジェクトを2016年9月にはじめた。
それは、目標金額2500万円のクラウドファンディング!😲
当初はクラウドファンディングがまだメジャーになる寸前くらいの頃。
そんな中、目標を大きく上回る3800万円を超える支援が集まった。
そして2017年7月、三郎丸蒸留所は昔の姿をきれいに復興させ、見学できる蒸留所に生まれ変わった。
社内の賛同を得るためにも、地元の人たちが応援してくれるということを目に見える形で示したかったという。
クラウドファンディングは僕からみなさんへの“一生のお願い”でした。
これからも、みなさんにこの恩をお返ししていきます。
▶ 富山ならではのウイスキーづくりを
ウイスキーは再ブームを迎え、2021年時点で蒸留所が30か所以上に増えたという。
昔のブーム時のような、飲みやすいウイスキーをつくるというよりは、
それぞれの蒸留所ならではの個性のある『クラフトウイスキー』をつくりだしている。
輸出量もものすごい伸び率で、2020年度は清酒を抜いて1位に。
日本のお酒といえば『ジャパニーズウイスキー』となりつつある。
そんな流行の中、“三郎丸蒸留所らしさ”をどう差別化しているのだろうか?
ポイントは蒸留器(ポットスチル)にあるという。
これまで世界共通で使われている銅製のポットスチルは銅の板を何度も何度も叩いて曲げてつくるもので、納期も長く価格も高い。
また、ウイスキーづくりの過程で銅と硫黄が反応し、銅がどんどん溶けて薄くなっていく為、20-30年でポットスチルを取り換えなくてはならない。
そこで稲垣さんは考えた。
高岡には鋳造という伝統技術があるじゃないか。
鋳造でポットスチルはつくれないのかな。
高岡の鋳造の技術はお寺の梵鐘のような大きなものもつくりだす、
稀で優秀な技術。
鋳造であれば厚みも考えてつくりだせるし、型さえ決まれば納期も早い。
高岡市の伝統ある老子(おいご)製作所と実験を重ね、
世界初の鋳造ポットスチル『ZEMON(ゼモン)』を発明した。
ZEMONはオール富山で作られています。
高岡の伝統的な分業ならではの職人の技が結集してつくられました。
また、伝統産業の厳しい時代に高岡銅器の技術に新たな価値を創造できたのではないかなと思います。
そして稲垣さんと老子さんは、世界のウイスキー雑誌の表紙を飾った。
特許を取得し、数々の賞を受賞。
ZEMONは将来的にも楽しみな蒸留器になっているとのこと。
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ウイスキープロジェクトは、最初は僕の“ひとりプロジェクト”でした。
ウイスキーへの理解や自分の想いに共感してもらえることは少なかったのです。
でも、今ではグループが一丸となってウイスキー事業に取り組んでいます。
三郎丸55年の販売やクラウドファンディングを通して、
ウイスキーファンのみなさんや地域全体が応援してくれたからこそ
チームになれたのではないかなと思います。
先代から地域に根付き、愛されてきた若鶴酒造。
稲垣貴彦さんも地域を愛し、地域から愛される、未来を担う次世代経営者であることはもう十分に伝わったかと思います。
ウイスキーは次の代になって評価されるものだと思っています。
そのときに自分の代がつくったウイスキーでみなさんに乾杯を楽しんでいただきたいですね。
📷:ウイスキーが眠る樽も、県産材を使ったものがある。
三郎丸蒸留所から生まれる、富山ならではのウイスキー。
これからも楽しみがいっぱいです!
みなさんもぜひ、三郎丸蒸留所へ訪れてみてください🎶
最後まで読んでいただき、ありがとうございます🌷
📷:2021/03/14にHATCHにてトークセッションを開催しました🎤
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