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ブルノ滞在記11 タンデムパートナーと会う

昨日は、滞在記を書いた後ベッドに入ると涙が出てきた。うつ病がぶりかえしている。眠れそうにないし、なにより身体が冷え切っている。面倒臭くてシャワーを浴びるのは翌朝にしようと思っていたが、急遽熱いシャワーを浴びて身体を温めることにした。あぁ、湯船が恋しい。シャワーを浴びた後は、ドラッグストアで買ったドイツ製の夜用ハーブティー Guten Abend Tee をナイトテーブルに置いて、『中国現代文学珠玉選』を読みながら眠りについた。

いつもは外が暗いうちに目覚めるのだが、今日は窓から差し込む朝日で起床した。7時前。いつもより遅い起床だ。身体が重い。朝食の準備をする前に、布団をかぶったまま夫と電話をして少し心の調子を整える。

朝食を食べた後、昨日届いていた仕事依頼のメールに断りの返事をした。続いて『翻訳文学紀行Ⅳ』関係の作業に取り掛かる。と、プラハに住んでいる友人からメッセンジャーが入った。先週コロナにかかったようだが、症状はかなり落ち着いてきているらしい。そしてそんな中、持ち家をウクライナ難民の一家に提供し始めたという。チェコはウクライナ侵攻開始直後から、積極的にウクライナ難民を受け入れている。確かボスニア内戦の時も、かなりの難民を受け入れていたはずだ。プラハ留学中に、ボスニア内戦中にプラハに亡命したセルビア語詩人の朗読会に参加したことを思い出した。そんなことに思いを巡らせていると、友人が尋ねてくる。

ーそっちは体調どう?
ーうつ病またぶりかえしてきてる……。
ーうつ病に負けないで! 人生の美しくて幸せな部分だけに集中して!

そんなやり取りをしながら、結局流れでウクライナ侵攻に関して議論した。人生の美しくて幸せな部分とは……?

今日は午後、オロモウツ Olomouc の大学で日本学を専攻している友人のMと会うことになっていた。体調は決して良くはなかったが、すでに彼は電車のチケットを購入済みなので、キャンセルはできない。でも、少なくとも自分の健康状態は伝えておいたほうがいい。Mから送られてきたチケットの写真によると、昼過ぎの電車でブルノに来て、夜の電車でオロモウツに帰る予定になっている。

ーごめん、先に伝えておくけど、今日はあんまり調子がよくない。夜までもたないかも。
ー大丈夫、仕方ないよ。カフェにでも行って喋ろう。

Mとは半年ほど、週1のペースでオンライン・タンデム(母語を教え合う勉強会)を行っていた仲だ。わたしたちは、クリスマス休暇もお正月休みも休まずタンデムを行った。それくらい、彼は日本語学習に熱心だった。

同時に、わたしが生理痛や頭痛でドタキャンしても、「大丈夫、仕方ないよ」といつも受け入れてくれた。わたしがうつ病になった時も、タンデムはしばらく休みにしようと、自ら提案してくれた。今日の連絡も、彼には申し訳なかったけれど、きっと受け入れてもらえるとも思っていた。Mはいつも心に余裕がある人間だ。チェコにはそういう人が多い気がする。少なくともわたしの知る限りでは。

ブルノ中央駅で待ち合わせをする。初めて直接会った彼は、思った以上に大きかった。身長は185センチだという。きっとMも、初めて直接会ったわたしを思った以上に小さいと思っただろう。わたしは身長156センチ。ヨーロッパではかなり背が低い部類に入る。けれど、オンラインでも対面でも、彼は変わらずいい奴だった。久しぶりの会話はとどまることを知らず次から次へと進んでいく。喋りながらブルノの中心地を散歩して、こぢんまりとしたカフェに入る。15時過ぎ。彼はコーヒーを、わたしはカフェインを避けて「神経安定剤 balzám na nervy 」と名付けられたお茶を注文した。「そいつぁ君にぴったりだ」と、二人で大笑いする。

今まで何人もの人とタンデムをしてきた経験から言うと、タンデムパートナーとの相性はかなり重要だ。お互いの言語を学び合っているからといって必ずしも話が合うわけではないし、仲良くなれるわけでもない。特にパートナーが異性の場合はアジア人女性に妙な期待をしてくることがあるし、同性でも、性格が合わなくて関係がギクシャクしてしまうこともある。

Mとは本当に相性がいい。もしかしたら今までで一番相性がいいタンデムパートナーかもしれない。彼は日本学を学び始める前は人類学を学んでいたらしいので、異なる考えを持つ人や文化をフラットに見る力が備わっているのかもしれない。

お茶とコーヒーが運ばれてくる前に、わたしは日本から持ってきたプレゼントを渡した。チェコでMに何をプレゼントするかは、ずいぶん早い段階で決めていた。村田沙耶香の『コンビニ人間』だ。

わたしたちがタンデムを始めた頃、彼は、日本の社会問題に関心を持っていて、いつか日本に移住して日本に住む人たちが抱える問題を解決する手助けをしたいと言っていた。そんなMに、わたしは翌週のタンデムで『コンビニ人間』を紹介した。彼はこの作品に夢中になって、なんとかオンラインでデータを入手できないものかと苦心したようだが、結局手に入らなかったようだ。書店で文庫版の『コンビニ人間』を書いながら、彼の顔が喜びに輝く様が目に浮かんだ。プレゼントの包装紙を開いた時のMは、まさに想像していた通りの表情を見せた。
「わぁ! 『コンビニ人間』だ!」
今日Mとの約束を断れなかったのは、この喜ぶ顔を見逃したくなかったからでもあったと思う。

驚いたことに、なんとMもわたしにプレゼントを持ってきてくれていた。リュックサックから、パンパンに膨れた紙袋が出てくる。中身は、アンナ・ツィマ Anna Cima の『シブヤで目覚めて Probudím se na Šibuji』と、大量のジンジャーケーキ perníčkyだった。そういえば、いつだったかMに「チェコの食べ物で何が恋しい?」と言われた時に、ジンジャーケーキを挙げたことがある。チェコのスーパーで30円か50円くらいで売られている、多分一番安い部類のお菓子で、かつかつの生活をしていた留学生時代によく買って食べていた思い出のお菓子だ。

『シブヤで目覚めて』は、去年あれだけ日本で話題になったチェコ文学であるにもかかわらず、まだ読むことができていない。実は、数年前に研究者の道を諦めて以来、日本で新たに刊行されたチェコ文学の翻訳には手を伸ばすことができないでいる。ビアンカ・ベロヴァー Bianca Bellová の『湖 Jezero 』も、ヴァーツラフ・ハヴェル Václav Havel の『力なき者たちの力 Moc bezmocných 』も。多分わたしは嫉妬しているのだ。その嫉妬のくだらなさも、そんな嫉妬心を抱いてしまう自分の器の小ささも分かっている。でも、チェコ文学の邦訳を目にするたびに、「この本の訳者はわたしだったかもしれない」というあり得たかもしれない現在を妄想して、胸が締め付けられるような気持ちになる。きっと、まだ邦訳を読むことはできない。だからせめて、今回プレゼントしてもらったチェコ語原文を読むことにしようと思う。そうしたら、あるいは邦訳の方にも手を伸ばすことができるかもしれない。この作品の翻訳を手掛けた訳者の腕が確かなのは、お墨付きだから。

Mとの話は尽きることがない。けれど、喫茶店に来て2時間ほどした頃に、頭がふらふらしてきた。「この後日本食料理屋さんに行くけど一緒に来る?」と誘う彼に、「ごめん、無理だ。ちょっと頭ふらふらしてきた。ぼちぼち帰るわ」と伝える。Mはいつものように快く受け入れてくれる。お会計をして、記念に二人で自撮りをして別れた。「また会おうね! 次は日本でね!」と言いながら。

体調は相変わらずだけれど、元気そうなMを見て、すこし元気ももらえたような気がする。彼が日本に来たら、きっとすごく面白いことになるだろう。なにしろ、日本の田舎で農業がしたいとか、蕎麦の打ち方を勉強したいとか言い出す奴だから。早く彼が日本に来られるようになる日がきてほしい。

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