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祖父の耳

以前に祖父のことをnoteに書いたのが2021年4月のことだそうだ。あっという間に2年以上が過ぎ去った2023年9月の初頭、祖父は入院していた病院で亡くなった。

老人性肺炎で体調を崩し、入居中の特別養護老人ホームの判断で入院していると聞いたのが8月末頃。たまたま見たい展覧会が近くで行われているからと実家に一泊したタイミングだった。コロナ禍による制約はだいぶ緩まったもののやはり病院はまだピリついているし、私が実家に戻っていたのは日曜日。残念ながらお見舞はできず、時々経過を知らせてほしいと母に頼んで祖父には会わずに帰った。

祖父の子供世代で話し合い、積極的な延命治療はおこなわず自然に任せるとの決断をしたと報告を受け、いよいよ覚悟の時がきたかと拳をギュッと握ったその翌日に、祖父の具合が好転したと連絡を受けた。さすが我が祖父、そう簡単にはくたばらない粘りを持っている。認知症になり、体も自由に動かせなくなっていたが、それでも88年の長きを生きた意地がある。

さらに数日後には大部屋へ移され、折を見てホームへ戻る予定だったそうだが、その日の深夜にポックリ逝ってしまった。夜の11時頃に痰の吸引をしてもらっていて、ふぅ、と楽になった直後、看護婦がちょっとその場を離れた10分ほどの間にスゥっと消え入るように死んでしまったという。一応病院からの書類には建前上「肺炎」と死因が書かれていたが、実際のところは単なる老衰だろう。あっぱれなものである。

日曜の朝にLINEで知らせを受け(本当は夜中のうちにLINEは届いていたのだが、ぐっすり寝ていて朝まで気が付かなかった)、急ぎ葬儀参列の準備をして翌日には実家へ急行。前回帰省してからわずか1週間でのとんぼ返りとなった。

もろもろの段取りは母が病院・葬儀社とおおよそ済ませており、昼過ぎに実家へ到着するとようやくひと段落して休憩中の母がいた。親が亡くなると子供は目の回るような忙しさで悲しむどころではないとよく聞くが、母の場合はそもそも心の準備は随分前からできていたので、寂しさはあっても悲しさはほとんど無くて済んだようである。幸いなことだ。

とりあえず通夜まで時間があるので、コーヒーを淹れて二人でのんびりしていた。前日のうちはまだ祖父の体は病院にあったので、近辺に住む親族(祖父の子・孫は私を除いてはだいたい近所に住んでいる)は祖父の最後の姿を見にきてくれたという。

「私はもし大丈夫そうなら、通夜が始まる前にお棺でおじいちゃんに会っておくよ」と話すと、母は急ににやぁ~っとニヤケ顔になった。小さな子供がいたずらを思いついたときのようなニヤケ顔である。そして、ニタニタしながら私にこう言った。

「おじいちゃんに会ったら、耳をよく見ておくのよ」

耳?顔とかでなく?私が頭上にハテナを浮かべていると、母はなおもニヤニヤしながら続けた。

「すっごいのよ、おじいちゃんの耳。枕かなにかに支えられてて、耳が起き上がった状態で寝かされていたの。もしかしたら死後硬直であのまま固まっちゃってるかもしれない。布袋さんみたいな、信じられないくらい大きな耳してるの」

それを聞いて、私は大変な期待に胸が膨らんだ。祖父はかなり立派な福耳の持ち主だった。普段からハンチング帽をかぶった姿はさながら大黒天のようであったが、その耳が起こされた状態で眠っているとなると、たしかにそれは布袋さんとしか形容ができない姿に違いない!はたして死後硬直が耳にも起こるのかは知らないが、そんな死に顔を見てしまった日には、きっと祖父は死んで神様になったのだと信じて疑わなくなるだろう。

通夜の時間が近づき、私たちは叔父家族の車で会場へ向かった。子供夫婦とその子(祖父の孫)までしか集まらない小さな家族葬だったため、控室はなんともダラダラとした雰囲気につつまれていた。礼服に身を包んでいる以外は、正月の集まりとまるっきり同じ空気でちっとも悲壮感が無い。まぁしかし、見送られる側の祖父としてもこのくらいの方が気が楽だろうと思う。

控室にいる間も、度々話題に上がるのは祖父の耳だった。私以外の親族はだいたい病院で祖父の姿を見ているので、
「いやぁ、あれはすごい。人間の耳があんなに大きいなんて信じられない」
「あんなに立派な耳の人が往生しないわけがない」
などなど、本心なのか盛って喋ってるのかは不明だがとにかく皆一様にニヤニヤと祖父の耳の話ばかりしている。

私の期待は最高潮だった。藤子・F・不二夫先生の「チンプイ」や、ハリー・ポッターの映画のCMで見た小さなゴブリンが頭の中に思い浮かんだ。ちなみにハリー・ポッターの映画は1作目しか見ていないので、あのゴブリンがどういう人物なのかは何も知らない。

いてもたってもいられない。私は親族たちとともに、控室のすぐ隣にある通夜の会場へ向かった。会場に入ると、最奥の中央でお花や遺影に囲まれた棺のスタンバイが完了しており、いつでも来いという様子で通夜の開始を待っていた。私は会場のスタッフに「最後に祖父の顔を見ておきたくて…」と告げ、棺の窓を開けさせてもらうことにした。わくわくする。祖父の耳はどうなってしまったのだろう。一応スタッフが見ているので、ここは大人らしくはしゃいだ様子はぐっと抑えつつ、少し高い位置にある棺の観音開きの窓を開けて私は中を覗き込んだ。

キレイに湯灌された祖父の青白い顔が見えた。じつに穏やかな死に顔である。耳は。耳はどうなのか。私はつま先立ちになってさらに身を伸ばし覗き込んだ。もはや私もニヤニヤが隠し切れなくなっていた。しかし祖父の顔周りは白いきれいな布ですっぽりと覆われている。布袋さんの福耳は、その布に包まれて見えなくなっていた。

そんな!祖父の最後(の耳)に私だけが別れを告げることができないなんて!

こんな悔しいことはない。さんざん胸の期待を膨らませておきながらあんまりだ。きっとこの先親族たちは、正月などの集まりのたびに祖父の耳がいかにすごかったかで毎回大盛り上がりをするのだろう。私だけはこの先ずっとその会話に入れないのだ。「あ~私、間に合わなくてそれ見られなかったんだよね…」と毎回同じセリフで3秒だけ会話に混ざった後、黙々と食事をつついてその場に佇み続けることになるのか。

折角きれいに棺に納めてもらったが、スタッフに内緒でこっそり顔周りの布をめくっちゃいけないだろうか。ばちあたりな事も脳裏を何度かかすめたが、耳のことは仕方ないとあきらめて改めて祖父の死に顔の方をしっかりと眺めた。

青白い。私の記憶にはわりと血色のいい頃の祖父の姿ばかりがあるので、人間は心臓がとまるだけでこんなに青白くなるのかと思った。自他ともに認めるほど私と同じ形をした鼻が真ん中にある。立派な鼻毛が見えた。ずいぶん痩せているが、これはここ1年ほど会ってなかったのでこんなものかもしれない。ボケて体が不自由になっても食欲だけは異常に旺盛だった祖父だったが、それでもここ最近は栄養らしい栄養を食事からは摂取していなかったであろう。
体が動かなくなり、記憶が薄れ、最後に食事をとらなくなることで人は自然と死んでゆくのだ。祖母も近頃はご飯をほとんど食べなくなってしまったという。

「寝てるみたいにきれいな死に顔ね。今にも動き出しそう」
と、すぐそばにいた叔父の奥さんが言った。今にも動き出しそう?そうだろうか。私の目に映る祖父の遺体は、どう見ても「祖父に良く似せた、どうやら耳がやけに大きいらしい何か」にしか見えず、もうここに祖父はいないのだなと気付かされてようやく少しだけ悲しくなった。

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