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祖父

私には85歳くらいの祖父がいる。正確な年齢は知らない。

子供の頃はおじいちゃんっ子だったため、休みの日になるとしょっちゅう祖父と2人で動物園に行った。祖父もなかなかの甘やかしだったので、2人で動物園に行くと、すぐ隣にあるちょっと高めのレストランでお昼ご飯を食べさせてくれるのだ。そして「おばあちゃんには内緒やで」と言って、祖父も嬉しそうに昼からビールを注文していた。

そんな祖父だが、数年前からボケている。

元々とぼけたところがある人なので、初めのうちは年齢によるボケなのか性格によるおとぼけなのかよく分からなかったが、徐々に同じ話を繰り返すようになり、親族たちと「これは、きたな」と話しあった。

祖父は、親から引き継いだ会社を経営するバリバリのお商売人だった。ところが仕事以外にはこれといった趣味が無く、唯一の趣味(というか習慣)は散歩をすることくらいだった。息子(私からみて叔父)に会社を譲ってからも、暇なので時々出社していたようだが、完全に引退してからはこれといってやる事がなく、あっという間にボケてしまったようである。

私は祖父と喋るのが好きなので、ボケが始まって同じ話を延々繰り返すようになってからも、会えば何度でも聴いていた。ボケてからの祖父の話はもっぱら子供だった終戦間際や直後の苦しい時代の事や、会社で働き出した頃の話。どうやら「おじさん」になって以降の事は、思い出話として語るほど記憶がないらしい。

その後、孫の名前がすぐに出てこなくなった(ボケる前からその傾向はやはりあったためあまり誰も気にしていなかったが)。自分の子供たちや思いつく限りの孫の名前、はては息子の飼い犬の名前までひとしきり試してから、最後にようやく正解に辿り着くのがごく当たり前のことになっていった。

そして1年以上ぶりに祖父と対面した今年の4月上旬。祖父は、もう私が誰なのか分からなくなっていた。

祖母のことや1人だけ歳の離れた幼い孫のことは分かっていたが、それ以外の「大人の女」はみんな区別がついておらず、娘(私の母)を見ても孫の私を見ても、出てくる名前は「ひろこちゃん」という知らない人の名前だけだった。
(※祖母に聞いたところによると、ひろこちゃんとは祖父の従姉妹らしい。大人になってからはほとんど会っておらず、祖母自身もよく知らない人だそうだ)

目の前にいる人がひろこちゃんでは無い事はちゃんと分かっているようだが、かといって「ひろこちゃん」という名前以外は出てこず、緩やかに祖父の記憶は無くなりはじめていた。

まるでそよ風に吹かれてタンポポの綿毛がふわりと飛んでいくように、祖父が現世から消えようとしているように見えた。週に数回はデイケアセンターで体操やおしゃべりをしてるのでまだ元気なのだが、記憶を無くし、体力を無くし、いずれは食欲なども無くして穏やかに消えていくのだなと思った。

祖父に忘れられてしまった事はとても寂しいが、徐々に霞みゆく祖父を見ていると、心のどこかに憧れが芽生える自分もいる。いつか自分もこんな風にサラサラと現世から消えていければ良いなと思ったりする。30歳を過ぎたこの歳まで、あまり身近な人の死に触れたことがない私は、人間の死に様を映画や本でしか知らないので、「死」というものに対する免疫が無いことも理由だろうか。目の前で祖父の身に起きている緩やかな消失の過程。これが「老いて死ぬ」ということなのだなと感じた。

いろいろな人生の記憶が薄れいく祖父は、いま頭の中でどんな事を考え、どんな事を感じて日々をすごしているのだろう。願わくば、祖父がこのまま心も体も掻き乱される事なく、穏やかに余生を過ごして人生を終えてほしいと思う。

(トップの写真は数年前、手作りのピンバッチを祖父の誕生日にプレゼントしたときのもの。ハンチング帽の似合う可愛い祖父です)

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