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トイレ問題

ジェンダートイレがどうとか、赤ちゃん連れにやさしいトイレがどうとか、そういった問題の話ではない。問題は私がトイレが近いということである。

緊張しいの心配性だからなのだろうか、小さいころから私はとてもトイレが近い。子どもの頃はお出かけすると、行く先々でトイレ休憩ばかりを要求して家族を随分困らせた。

トイレに対する緊張感は心の深い場所に根付き、小学校の検尿提出がある日の前夜は決まってトイレ関係の悪夢を見た。内容は共通して「トイレがあるのにおしっこができない」というシチュエーションだったが、バリエーションは意外にも様々で、ある時は便座の上に砂が積み上げられていたり、ある時は便器から溢れそうなほどひたひたに水が張られていたり。我慢すればできなくもないけど、可能なら極限まで避けたい、そんな絶妙なシチュエーションだった。

大人になれば治るだろう。そう考えていたが、残念ながらとくに治りはしなかった。むしろ今となっては出先でトイレを見かけると、条件反射のように尿意をもよおしてしまうことが多い。パブロフのトイレの犬である。
心配になるので、家を出る数分前にはトイレを済ませておく。そして家を出る時間になると、また心配でトイレに駆け込む。電車から降りれば天啓のように尿意を感じる。映画の上映時間が近づけば2時間というトイレ不能時間を前に焦る。当然鑑賞中に飲物はNGだ。

だいたいいつもこんな感じなので、今ではお出かけをする際必ず「おしっこリードタイム」を設けるようにしている。要は移動時間に余裕をみておくということだ。加えて私は強烈な方向音痴のため、「迷子リードタイム」も設ける必要がある。おかげで計画するスケジュールはかなり早くに出発となるが、出先で不安に駆られるよりはマシであるし、たとえ物凄く早く着いたって問題ない。私は待てる女だ。

しかし、残念なことに私は根がものすごくルーズな人間である。スケジュールに余裕を持たせれば決まってこう考える。「なんだ、まだ時間あるじゃないか」と。

そのおかげで、結局出発まで粘りに粘り、途中も余裕をかまして最終的には時間ギリギリになることが多い。いくら石橋を事前に叩きまくっても、渡る瞬間に滑って転んでは何の意味もない。
故に、ギリギリの時間に駆け込んで余計に緊張した私の脳みそは、またしても私の意志を無視して膀胱に指令を飛ばしてしまうのである。「ちょっとこの辺でトイレに行っておいたほうがいいんじゃないかい?」と。

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