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ご質問にお答えします!『どこかで聞いたような台詞を書いてはいけない?』

脚本家志望の方から、こちらのご質問をいただきました。

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ご質問ありがとうございます。
偶然ですが、数日前にこういうツイートを見かけました。

質問者さんのおっしゃる「どこかで聞いたことがあるようなセリフ」は、この種のものを指しているだろうと思います。
自分の過去を振り返ってみても、これまでに読んだ脚本家志望の人の作品を思い返してみても、初心者レベルの人の作品には、この手のセリフが出てくることが多いと感じます。

こちらの本には、「ストーリーは人生の隠喩である」とあります。
ストーリーは現実に起きたことではなく、登場人物も架空の人々ではあるのですが、”単なるつくりごと”を書けば良いというものではない、と私は思います。
「ストーリーは人生の隠喩」という言葉の通り、映画やドラマの脚本は、人生を凝縮し、その本質を示すものだと考えているからです。

脚本を書き始めて間もないうちは、この感覚が薄い人が多いはずです。
そのため、過去に観たことのあるストーリーの影響を強く受け過ぎ、ついつい「どこかで見たような表現」を使いがちなのではないでしょうか。
「ドラマや映画で観たことだけを材料に、脚本を書いている状態」という言い方もできるかもしれません。
「どこかで見たような表現」が多用されている作品は、観る人に「いかにも、つくりごとだな」と言う印象を与えます。

一方、書き手に「ストーリーは人生の隠喩」という感覚がある場合は、作品内の表現に「現実世界」「実際の人生」から得たものが多く投影されており、観客にとっては、リアリティーがあって感情移入しやすいはずです。
ですので私は、自分の作品内では(特に、主要人物の感情が変わる等、重要なシーンでは)上のツイートにあるような紋切型のセリフで「何となくまとめる」といったことをしないよう心掛けています。

例えば上のツイートの中に、
「おい、俺の顔に何かついてるか?」
というセリフがありますね。
このセリフ、質問者さんは実生活の中で口にしたり、人から言われたりしたことはありますか?
私は一度もないと思います。
仮に、「誰かが私の顔をじっと見ているけど、その理由が分からない」ということが起きた場合は、「あの、何か……?」と尋ねる程度ではないかと思います。
ですので、今後も自分の脚本に「俺/私の顔に何かついてる?」というセリフを書く確率は低いです。

わざわざ「確率が低い」という言い方をしたのは、「確率ゼロ」ではないからです。
この種のセリフの”つくりごとっぽさ”を認識した上で、あえて使うことはあり得ます。
例えば二人の登場人物に、どこかつくりごとっぽい、空々しい会話をさせることで「ぎこちない空気」を表現したり、「なんだかドラマで観たような紋切型のセリフばかり口にする、妙な登場人物」を描いたりする、といったことがあるかもしれません。

作劇を学ぶ上では、「紋切型のセリフを使うのは、とにかくアウト」というように、画一的なルールがあるという思い込みは捨てた方が良いと思います。
「ルールを覚えて、何が何でもそれを守る」のではなく、「原則を理解し、その上で、あえて例外的な選択をすることもある」というスタンスをお勧めしたいです。
「紋切型のセリフはダメだからダメ」ではなく、「なぜダメなのか」を理解していること、そして、あえて使う場合は「なぜ、この場合は”あり”なのか?」を書き手がきちんと認識していることこそが重要だと思います。

これからもお互いがんばりましょう!

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