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Quick and Dirty

物書きになる前に勤めていた会社で「Quick and Dirty」という考え方を教え込まれました。
一旦仕事に取りかかったら、なるべく早い段階で、大雑把でいいから「形にしたもの」を人に提示する。そうすれば問題点や改善点を素早く指摘してもらえて、「やり直し」の時間が短縮できるので合理的。
「丁寧にきちんと仕上げること」にこだわって一人でコツコツ作った挙句、後から根本的な問題点を指摘され、一からやり直し……っていうんじゃ時間と労力の無駄だよね、ってことですね。

この「ちゃんとしてなくていいから、素早く」という考え方は、当時の私にとってすごく斬新で、目から鱗がポロリと落ちた気がしました。
「最初はDirtyでいい」と割り切ることは、意外と勇気が要ると思うんです。でもそこにだわるのを止めるだけで、得る物がたくさんあると思う。

そもそも「Dirtyな段階で人に提示すること」に、人はどうして抵抗を感じるかというと、カッコつけたい気持ちがあるからだと思うんです。
「その程度しかできないのか」と思われたくないとか、「実力以上の力があると思われたい」という気持ちが、「時間をかけて、自分が完ぺきだと思える物を提示したい」と考えに繋がるんじゃないかなぁ。

だけど、人から指摘を受けることって、別にカッコ悪くもなんともないと思うんですよね。
いわゆる”ダメ出し”って、している側は、何となく気分が良くなっちゃうものだと思うんです。「教えてあげる側」に立っていると、自動的に優越感が味わえますもんね。
逆にダメ出しをされる側は、「下に見られてる」みたいな感覚に陥りがちだと思うんですけど、どちらも単なる勘違いじゃないかと思うんです。
「人が提示したものに対して意見を言うこと」は、「第一段階のものを作って提示すること」に比べて断然簡単だから。
「人が作ったものについて指摘をすること」って、後出しジャンケンみたいなもんだよね、と私は思うんですよ。後出ししてるんだから、勝って(いるような感じになって)当然ですよね。
だから指摘を受ける側は、「言われたこと活用する」ことにだけ集中して、不必要に劣等感なんて持たなくていいと思う。
逆に指摘をする側は、「自分の方が優れている」と勘違いをしないように注意しなきゃいけないと思うんです。
まあ、「指摘する側」「される側」の両方をちゃんと経験している人は、そういう勘違いはしないと思いますが。
一番危険なのは、後出しジャンケンばっかりしてる人が「自分はジャンケンが強い」って勘違いすることじゃないかな? 「強いもなにも、そもそもあなた、ジャンケンしてないじゃないですか」って話なんですけどね。

#日記 #エッセイ #コラム
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