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〈第一回〉犬の看板探訪記|埼玉犬・志木駅編|太田靖久

犬の看板天国へ

 連載第一回目のスタート地点に選んだのは、東武東上線にある志木駅だ。ここは埼玉県の志木市、朝霞市、新座市の3つの市が隣接しているところにほぼ位置している。

 なぜここからはじめるのか。

 この地に僕自身特にゆかりはないし、「犬の看板」発祥の地などのルーツがあるわけでもない。今回の連載をはじめるにあたり、まずはなるべく多くの数と種類をサンプルのように提示したいと考えたのが理由である。この3つの市には何度か訪れたことがあり、数も種類も豊富な地域であると知っていたため、導入に相応しいと判断したのだ。

 かなりのボリュームになるが、連載一回目でもあるため、今回の<志木駅編>の探訪で見つけた看板をほぼすべて列挙する。ちなみに、看板の数と種類が多い地域を【犬の看板天国】と僕は呼んでいる。この呼称はもうひとつ別のシチュエーションでも使用していて、それが訪れた時には再度説明したい。

 4月某日、空は曇っているが、雨は降っていない。探訪日和とはいえないものの適度に過ごしやすい気候のため、歩き回ってもそれほど疲れないだろうと思った。昼12時に小鳥書房の編集Sくんと志木駅改札前で合流。まずは新座市から攻めようと提案した。

直感に従い、でたらめに移動する

 探訪に際しては、いくつかの基本的な「あり/なし」のルールを自分なりに設定している。「なし」の中では、Googleのストリートビューなどを使ったネットでの下見はしない、というのは大切にしている。

 現場に着いたら直感に従い、でたらめに移動する。次の角を曲れば「犬の看板」があるかもしれない。そんな高揚感を抱えながら偶然の邂逅を待ちわびるのだ。

 他方、現場で地図を確認するのは「あり」にしている。遠出をした際は最初に観光案内所に寄って、駅周辺の紙の地図を入手するようにしている。スマホやタブレットで地図アプリを立ち上げることはせず、その紙の地図だけを頼りに散策するのだ。

 便利であることがおもしろい時と、不便であることがおもしろい時と、両方存在すると思っている。「あり/なし」のルールをその日の気分で変えることもまた一興だ。

 この遊びは僕が勝手に実行していることだから、その時々に感じるおもしろさに忠実でありたい。そういう点で、「犬の看板」探訪は自らの状態を見極める行為であり、自分の本当を知っていく冒険でもあるのだ。

必勝パターンはない

 今回は地図担当をSくんにまかせることにした。経験上、繁華街で看板が見つかる可能性は低いので、ロータリーを横目にして住宅街を目指す。

 「犬の看板」は公園や学校等の公共施設のフェンスや手すりに設置されている場合が多く、それには理由がある。僕が探している市区町村名入りは保健所などが関わっている「公」のもので、当然ながら公的な場所にあるのがまずはスタンダードといえる。ただし絶対とは限らない。

 「犬の看板」探訪のおもしろさのひとつに「必勝パターンがない」というのがある。公共施設の周辺に必ずあって、そこに行きさえすれば犬に出会えるというのなら、町をさまよう必要はなくなる。そのあたりの確率については深く検証せず、曖昧なままにしておきたい。

 路上観察学会等の偉大なる先人たちの業績を鑑みると、「犬の看板」探訪は比較的初心者向きでわかりやすい部類に入るのかもしれない。実践している方も多くいると思うし、僕よりもいろいろな地を訪ね、たくさんの写真を撮ってコレクションしている方もいるはずだ。

 この活動を資料や学問としてとらえるならば、何らかの基準で分類したり、正確な数字の統計を作成したり、設置場所のマッピングをすることには当然意味があるだろう。そういったことに興味がないわけではないが、僕自身は少し違う角度から「犬の看板」へのアプローチを情緒的に試みるつもりだ。

 自分自身をカテゴライズするなら、犬好きの小説家がはじめた「犬の看板」探訪、である。その意味をこの連載の中でも少しずつ展開していきたい。

新座市 -DOGモ(ドグモ)との邂逅

 志木駅の南口を出てから数分後、記念すべき一枚目の看板を発見。シルエット型の犬はちょっと珍しいし、このイラストは新座市でしか見たことがないため、新座市のオリジナルの看板ではないかと推察する。もちろん、のちに他の地域で同じ看板が見つかってオリジナルではなかったと判明する場合もある。

 ちなみに「犬の看板」には大きく分けて【オリジナル系】と【フリー素材系】がある。今後も頻出する用語のため、【フリー素材系】は短く【フリ素系】とする。

 そう自分で書いておきながら、【フリ素系】という呼び名には少し違和感がある。【フリ素系】は同じ看板が違う地域にも存在する場合に使用する用語なのだが、あくまで便宜的でしかない。僕は犬が好きだから、たとえそれがイラストでも犬に想いを馳せている。同じ看板を違う場所で見つけた時は「この犬はこの地域でも同じたたずまいで活躍しているのだ」と勝手に感動している。

 つまり、僕にとって「犬の看板」に登場する犬は役者やモデルである。看板が同種類なのではなく、あくまで犬とポーズが同じなのだと解釈している。僕は犬のモデルのことを【DOGモ】(ドグモ)と呼んでいて、それは「読者モデル」を略した「読モ」(ドクモ)になぞらえた呼称だ。そのことについては別の看板で追々詳しく解説していきたい。

 そうこうするうちに二枚目の看板に遭遇。こちらはずいぶん色あせてしまっていて、結果的にシルエット型のようになっている。これは【フリ素系】で、参考までに僕が別の地域で見つけた同じイラストの看板を添えてみる。

 文言や全体のデザインは異なるものの、プラカードのように警句を掲げる犬の姿・格好は同じである。こうして並べると、シルエット型というより、シルエットクイズの問題と解答のようですらある。

 三枚目、四枚目、五枚目は人も犬も笑顔を浮かべている。

 新座市のWikipedia(2023年5月現在)には「漫画・アニメ関係には非常に強い街であり、市政もそれを前面に押し出している」とあり、そのことを裏付けるかわいいイラストにも思える。

 六枚目は険しい表情のフレンチブルドッグとおぼしきイラストだ。この顔をぜひ覚えておいていただきたい。

 七枚目は自らフンを掃く犬である。こんな働き者に市政を任せたい。

 以上のように少し駆け足気味に看板を紹介したのは、当初の予想通り、新座市が【犬の看板天国】だったからである。

 幸先の良い立ちあがりともいえるが、ほかの地域ではこんなに簡単に見つからない場合も往々にしてある。同行のSくんには「犬の看板」探しは容易だと錯覚させてしまったかもしれない。第一印象はなかなかくつがえらないだろうから、そのイメージが今後の彼にどのように作用するのかは読めない。

 たとえば僕にとって北埼玉は鬼門だった。行田市と熊谷市は過去にそれぞれ3時間ほど歩き回ったのに一枚も見つけられなかった苦い思い出がある。その手の徒労がSくんを襲う日が来るのだろうか。

 結果、新座市の滞在時間はおよそ一時間ほどであり、そのわりにかなり豊作となった。

朝霞市 -ここは、犬の看板大天国

 新座市の看板をある程度見つけたこともあって、今度は隣接する朝霞市に移動した。こちらも大量に発見できたため、続けて紹介したい。

 一枚目と二枚目は犬のシンプルさと色あせ方がとてもよく似ている。

 三枚目は似顔絵のカリカチュアと呼ばれるイラストの手法だろうか。【フリ素系】である。

 四枚目のブルドッグはやけに挑発的で、五枚目の物憂げなブルドッグと比較してもおもしろい。

 六枚目のまゆげ犬の微妙な前足のあげ方がかわいい。七枚目もまゆげ犬。

 八枚目は「犬など動物を」とあるから、犬ではないのかもしれないが、何の動物なのか不明で興味深い。

 九枚目の犬猫は、知る人ぞ知る看板界のスターたちである。ほかの地域で登場している様子を紹介したい。こちらは東京都青梅市と茨城県小美玉市の看板だ。

 よく見ていただければわかるように、同じ犬猫である。これは漫画の用語でいえば「スターシステム」(※同一の作家が同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させる表現スタイル)だ。

 僕にとっては、「犬の看板」に登場する犬は役者やモデルであると先に書いたが、こうやって同じ犬猫が埼玉と東京と茨城で活躍していることを目の当たりにすると、そのニュアンスは伝わりやすいのではないだろうか。この犬猫は同じ芸能事務所に所属しており、コンビを組んで関東の看板界を席巻している。いずれは【DOGモ】を卒業し、銀幕のスターや人気歌手となっていくのかもしれない。

 十枚目はどこかで見た記憶がないだろうか。新座市にいたフレンチブルドッグである。それぞれの看板を比較していただければ異なる点に気づくはずだ。右上に猫が添えられている。これは目下売り出し中の猫であり、犬と同じ事務所のバーターであると想像する。

 十一枚目は十枚目の猫の位置がフンに入れ替わっている。このフンも同じ事務所のバーターだろうか。それとも魔法か何かで猫がフンに変化させられてしまったのだろうか。

 十二枚目は困り顔のイラストが悲しい。この犬が見つめているのはフンなのか、ハエなのか判然としない。

 十三枚目は写真を使ったバージョンでかなり珍しい。デザイナーの愛犬・愛猫だろうか。もしそうなら、羨ましいほどの職権乱用である。

 十四枚目の看板は、看板の外にも世界があることをイメージさせる点で広がりがある。

 この十四枚目の看板を僕たちは小さな商店街で見つけた。雨が降ってきたため、適当な軒下に逃げてしばらく雨宿りをしながら、曇天の空を見上げた。朝霞市を歩いて二時間も経っていないのに、少し怖ろしくなるほどの数を発見してしまっている。これはもはや【犬の看板天国】では足りない。【犬の看板大天国】と呼ばせていただこう。そう決意した時、雨は静かに止み、太陽の光が辺りを照らした。

志木市 -探訪の終着

 ふたつの市だけでもすでに十分な数を集めていたものの、当初の予定通りに志木市に向かった。ゆるい坂道を下る途中にさっそく一枚目が現れた。

 この色あせた看板の元の色はどのような感じだったのだろうか。答えはすぐに出た。こちらが二枚目の看板である。

 三枚目の看板は全体が青い珍しいタイプだ。「必ず」ではなく、「必らず」となっているのは誤字ではないだろうか。

 四枚目のブルドッグが発する「ふん」は「フン」とそろえているのだろう。五枚目のブルドッグは四枚目の犬が狂暴化して進化したようにも思える。禁止マークを踏みつけている点でむしろマナーに反抗しているのかもしれない。

 六枚目はやけに礼儀正しい犬だ。【フリ素系】であり、実はカラーバリエーションもある。以前に朝霞市で見つけた色違いを添えてみると、自然とアンディ・ウォーホル感が発生する。

 七枚目は電信柱に向かって排泄する犬のイラストだが、本物の電信柱に看板が巻かれている点でメタである。

 八枚目は子供が描いたポスターのようなデザインだ。公募で選ばれたイラストなのかもしれない。

僕たちが今後目指すべき場所

 そんな風に看板を探し求めて歩き続ける中、気がつけば僕たちは柳瀬川駅近くにいて、柳川駅前専門店街「ぺあもーる」内のベンチに座り、感想を述べあっていた。

 道中、「あれは犬の看板ではないか」と僕が声をかけても、Sくんが反応できていない状況がたびたびあったことを指摘すると、「どこに目線を向ければ良いのかよくわからなかったんです」と彼は応えた。

 「いずれ君も犬の看板の眼を獲得するだろう」と、先輩面の僕は得意げに予言した。経験を積み重ねることで、雑多な風景にひそむ看板に瞬時にフォーカスが合うようになるのだ。

 陽は暮れていた。もう看板を探してはいなかった。志木駅からはじまったこの半日間の探訪で僕たちは大量の犬に出会った。思い出にひたりながら駅に向かっている時、九枚目の看板がふいに現れた。

 着ぐるみのようなポップな犬の姿に瞬時に癒された。犬が指さす先にはちょうど「街」の文字がある。僕たちが今後目指すべき場所を力強く示してくれているようですらあった。

 こうやって一回目の探訪は無事に終わった。今回は徒歩だけで回ったが、少しずつ趣向やテーマを変えたりしながら、さまざまな地域にいる犬たちとの幸福な出会いを次回以降も披露していきたい。 

著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。


□初出用語集
【犬の看板天国】
犬の看板の数と種類が多い地域。怖ろしくなるほど数が多い地域は「犬の看板大天国」とも呼ばれる。
【フリー素材系(フリ素系)】
2つ以上の自治体に登場する看板の犬。
【オリジナル系】
ある自治体にしか存在しない看板の犬。
【DOGモ(ドグモ)】
犬の看板で活躍する犬。

□おすすめ休憩スポット(編集S)□
【プーポ(喫茶店/志木駅)】
わたし(編集S)にとって、今回が初めての犬の看板探訪でした。必死に師匠に食らいつくも、犬の看板だけでなく工事の「ご迷惑おかけします」看板にも「ゴミの収集日」看板にも見境なく反応してしまい、ついには看板酔いに…。そんなとき、突如として現れたレトロな店構えの喫茶店がプーポです。やや重い扉を開けると、老夫婦が愛想良く迎えてくれました。カウンターにはご年配の常連さん、テーブル席には近くの大学に通う留学生が数人。お店の老夫婦はどちらのお客さんとも会話を楽しんでおり和やかな雰囲気です。ふかふかの椅子に座りコーヒーを注文すると、おじいさんがゆっくりと運んできてくれました。安心の深煎りコーヒーで一服。平衡感覚を取り戻し、探訪のラストスパートへと向かうことができました。


連載について
小説家の太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時、第二回は6月30日18時予定です。


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