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眠れなくなったので徒然と。|花束みたいな恋をした

『花束みたいな恋をした』を観た。とにかく凄くて、怖かった。ものの2時間で実在しないカップルの5年分の恋愛を全て脳みそに叩き込まれ、あたかも自分が体験したかのように現実の記憶や体験とリンクするような。視聴した人の多くが「既視感」を感じて自分と重ねてしまうリアルさがあった。見た直後はそれくらいの感想だったのに時間が経つにつれてなんだかもやもやして寝れなくなってしまったので、柄にもなく感想とか勝手に自分と重ねたクサイ文でも綴ってみようと思う。

以下、独り言のような気になったところや感情の書きとめ。あらすじや登場人物については割愛。ネタバレを含むので未視聴の方は注意してください。あと記憶が曖昧な部分があって話の時系列もよくわかんなくなったりしてるけど自分の気持ちを落ち着けるためなので優しく見逃してください。

また「男は」「女は」ではなく、「麦は」「絹は」という視点で書いていきます。このお話は男女の違いがどうこうじゃなくて麦と絹のすれ違いの物語だと思うので。


物語の最初の方、共通点を次々に見つけて偶然が運命に変わって行く。そこからデートを重ねて付き合うまでの描写がすごく素敵だった。個人的に大学をサボってずっとセックスしてるとかの性の描写なんかはちょっと大学生あるあるなリアルでグロかった。ずっとしてなかったのに別れそうな時にするセックスとかもなんかグロかった。

なんというかうまく言えないんだけどこの映画を見終えてから思い出すと様々な『対比』が本当にすごいなと感じて。おおまかに「終わりと始まり」「現実と理想」を感じさせる対比の描写が残酷なまでに綺麗だなと。

終電からの出会い(始まり)だったり、プレゼントで2人を繋いでいたイヤホンが後に2人を拒絶する耳栓になっていたり、お揃いの白い靴と黒い仕事靴とか、最初は理想を求めていたけど現実を見つめはじめる麦と、現実的に見えて理想を常に追い求めていた絹、圧迫面接後に麦が絹にかけた言葉を、麦が仕事に染まった時に絹が麦に対して言っていたりとか。冒頭のシーンなんて別れた後の場面なわけであって、映画の開始から終わりを見せられていたわけなのが恐ろしい。いやこえーよ。

麦はイラストなど好きなこと食べて行くようなちょっと夢見がちなところから、絹との現状維持のためにある程度の理想は捨てて社会に出る。絹は麦より先に就職して事務の仕事をしながら麦と一緒にいようとするけど自分のしたいこと優先で転職する。なんか麦は理想→現実と変化したのに対して絹は現実→理想と変化したのかなと思ったその一方で、麦はイラストで食おうとしていた時から元々安定思考(現実的)だった気もするし、絹はずっと夢見がち(理想的)な思考だった気もするので、2人とも実際は出会ったことから何も変わってなくて、要は最初からズレまくってたけど気づいてなくてそれを時間が浮き彫りにさせたような気もするんだよね。そもそも付き合い始めから現状維持を目指すと公言していた麦に対しての花の名前を教えなかったりパーティーみたいな恋の一番盛り上がってる部分って語りでどこか終わるものだと意識してた絹、じゃあが多いんだよって喧嘩からのプロポーズのシーンとかの現実に縛り付けて変化させたくない麦のじゃあ結婚しようからと絹の思ってたのと違ったってセリフからもそんな気がしてならない。

その辺はもうわかんない。

まあダブル主人公で全ての物事が2人の視点から語られるのでいやでも『対比』が生まれていって、人生や恋愛に対する価値観の違いが浮き彫りになっていく過程が現実に存在する固有名詞や小道具からすごく友達の友達とかその辺のあるある〜って誰もが感じる描写でさらに体験してきた2015年から2020年の時代の中で行われていくのが「既視感」を重ねてしまう原因なんじゃないかな。


別れ話の時も、決意の段階から「最後まで笑顔でいたい」みたいな絹のことを思ってる麦と、「最後くらいは笑っていたい」みたいな自分優先の絹で違いがあって、そういうところがいざファミレスで話すとなった時に未練がましく手放したくなくなって今のまま一緒にいるための手段としての結婚を持ち出す麦の弱さと、明日じゃなくて今日話をしようって別れを強く決意していた絹の強さに繋がってたのかな。ファミレスで過去の自分たちのいた席に座ったカップルを見た時の二人の心情の違いって

麦はあの頃は楽しかったなって戻らない過去を見ていて、絹はずっとこういたかったなって存在しない未来を見てしまったんじゃないかなーーーっと。あってるかわからないけどもし最後まで二人は別々のところを見ていて、別れを決意したのだとしたら切なすぎる。つれぇよ。

最終的には絹のための現実を目指した麦と、自分のための理想を貫いた絹、みたいに僕は感じました。どっちも悪くないんだよなきっと。運命なんてものも実際はなくてただの恋になる過程での帳尻合わせでしかなくて、お互いのことを思っていてもすれ違ってしまう恋愛の難しさとか、変えようのない価値観だとか、そういうみんながどこかで感じている普遍的なものを、理想的なカップルと演出で表現した映画だと思った。


蛇足でなんかもっとどこか二人を取り巻く環境が違っていたらどうなってたんだろうとか考えてしまうのだけども、良い意味でも悪い意味でも『過去は変わらない』ってのも映画の伝えたいことなのかなと解釈してて、それは『輝いていたあの頃も変わらない』し『すれ違い終わってしまったことも変わらない』。作中で出てきた「恋はパーティーのようなもの」「恋は生もの」などのいつかは終わったり腐ってしまうけど瞬間的に楽しい、美味しいという表現。それを最大限恋愛チックな表現で綺麗にしたら、『花束みたいな』というネーミングになったのかな。美しく咲いて記憶に残ったが最後には枯れて捨てるところまで行う花(出来事)が何本もあるってことで。多分もっと深い意味があるんだろうけど僕の頭じゃわかんない。

もうなんかぐちゃぐちゃなので自分でも何かいたかわかってないんだけど、就活中に同棲してた彼女と別れた時の僕の行動と麦の行動が怖いほどリンクしてたり元カノの言動も絹のような感じだったなと、絶対にそんなことないはずなのに自分に怖いくらいに重ねてしまって辛くなったのでこの映画地獄です。もう一回観に行きたい。

見終えた後にこの曲を聞いたらまたみんなの解釈が変わるんじゃないかな。ぜひ恋人とイヤホンを片方づつで、なんて。

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