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12日目:子どもの戦い遊びについてのモヤモヤ

週に一度、いわゆる森のようちえんと呼ばれるところにアルバイトに行っている。
今日は預かり保育までの勤務で、年少・年長一人ずつと一緒に遊んだ。

たまたま今日は自分で作った木の剣を手に入れていたこともあって、戦いたい欲が旺盛だった彼ら。
保育室に貼られていたロープに新聞紙一枚を大きく使ったてるてる坊主を吊るしたら、うわあ!と歓声が上がってすぐさま剣が宙を舞った。
その姿のまあもやもやすること…!!!

振り返ってみるともやもやは大きく分けて二つだった。
一つは、『こうやって剣で突くようになって、弱いものいじめをするやつらになったらどうしよう…』というもやもや。
二つ目は『戦時中の竹で突く訓練みたいだな…』というもやもや。

そもそもなぜ子どもは長い棒を欲しがるんだろうと見ていて思う。
新聞紙で棒を作ってくれと1歳児にせがまれ、渡すと嬉しそうに振り回して遊んでいる。
なぜ戦いたくなるんだろう。
仮面ライダーやレンジャーもの、そういったアニメがなければ戦いたい欲は起きないんだろうか。

でも私のモヤモヤによって彼らの遊びを止めたいわけではない。
汗をかくほど夢中になって、てるてる坊主を倒そうと戦っている彼らを止めるのは違う気がする。
でもどうするのがいいのかわからなくて、私も一緒になって戦ってみた。
ロープにタオルを吊るして、シュッシュ!とシャドーボクシングをしてみる。
シュッシュ!シュッシュ!…なんだか楽しい。
隣で戦っていた年少さんが、私の姿を見てより一層笑顔が増す。

暴力的なことがダメなら、なぜ世の中にはボクシングやプロレスがあるんだろう。
剣は危ないのになぜ剣道は武道として残っているんだろう。
一つ思うのは、ルールの中で戦っていること、がある。
私が怖いのは、彼らが社会のルールを守ることなく暴力的になってしまうことだと思う。
そうしたら、関わりの中で正したり、一緒に考えたりしていくことが、もやもやとの付き合い方な気がする。

遊びの中で、年少さんが振り上げた剣が私の腕に当たって思わず「痛い!」と言った場面があった。
本当に痛かった私は「痛かったよ〇〇く〜ん」と半分軽め、半分マジトーンで彼と目線を合わせた。
3歳の彼のまんまるな目が揺れる。
しまったちょっと責めて伝わったかと一瞬で方向転換し、「こゆときなんて言うの」とにっと笑って囁いた。
「…!ごめんなさ〜い!」
「うん、気をつけてな」
そう言って、スッキリと当たった話はおしまい。

当たったら痛いよ、がわかる。
わざとじゃなくても痛い思いをさせたらごめんねと言う。
そして、お互いにスッキリする。
平和だって、そういった日々の生活の繰り返しの延長線上だと思う。

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