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天使、なんかじゃない②(看護師編)

今年の5月12日は、母の日だった。
実母・義母について、前回書いてみた。

母たちに対する思いはこれが全てではない。
感謝の気持ちもあるし、もっと良い関係が
築けたらいいなとも思っている。
ただ、
それぞれの母たちが自分たちの問題や課題を
私に押し付けようとするのが辛くなってしまったので、
距離を置いている。

母たちの話は今日はこれでおしまい。
またいつかの機会に。
今日はもう1つの
「天使、なんかじゃない」と感じていた話。

5月12日は母の日だけではなく看護の日に
制定されているのをご存じだろうか。

近代看護を築いた、
フローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなんでとのことだ。
私の本棚には
20年以上前に購入し読み込んだ、彼女が記した看護における
基礎の本が残っている。

看護学の一番最初の課題はとにかくこの本を
ひたすら読みこむことだった。


養成機関を経て国家試験を受け、看護師免許を得た。
様々な場所で働き続け、時には休職し、
再び働き方を変えて歩み続けていたら
20年以上経っていた。

「白衣の天使のたまご」
学生時代は何かとそんな名称で呼ばれることが多かった。

戴帽式。国家試験合格発表よりも思い出に残っている。

免許を得て働き職業を「看護師です」と伝える機会があると
必ずといっていいほど
「白衣の天使ですね」
と返されることが多かった。
(今はそんなことはないと思いたい。昔のことだといいな)

さらに男性達(患者さんではない、知人とか)は
「白衣の天使か、病気した時は安心だな」
となぜか自分が病気の時は私が側にいる設定で安心感を述べる人、
ここには書くのも嫌なアダルトビデオの妄想そのままな質問を
ぶつけてくる人、質問をぶつけた時の私の反応を楽しむおかしな人もいた。

女性達(特に同世代)だと
「くいっぱぐれがなくてうらやましいな」と
言われる場面が多かった。
(終わりかけではあるが就職氷河期世代、ロストジェネ世代なため)
「高給取りでいいな」
「1人で生きていけてうらやましい」

今まででいちばんびっくりした言葉は、
「ずるい!!」

??
なぜ?
何もずるいことしてないよ。
むしろ遊ぶ時間なく(同志たちと飲んだくれてはいたが)
教員や病棟看護師にまでずっと提出したレポートや計画書、
人格までも否定されながら
実習と国家試験勉強の日々を過ごしていたんだよー!。
それに
夜勤手当とか全然妥当ではなかったし、
身も心も日々削られること多すぎなんだけどなぁー

言葉にすると話は平行線になると思ったので
笑顔で黙って聞いていた。

白衣の天使となる人は
オンもオフも
逆らわない、従順、身を尽くす、無償の愛、奉仕の精神で
生きている生き物と
勘違いする人、職場がある。

んな訳あるかい!!

勝手に勘違いして
私のオンオフどちらの時間も精神も
都合よく搾取しようと近づいてくる人・職場もある。

「天使、なんかじゃない!!」

白衣でも
(もう白衣着ているところってあまりないのか?)
カラフルなスクラブでも
着ても脱いでも

私は私だ。

今までご期待に沿うように
私なりの他人が喜ぶ・喜びそうな白衣の天使を
演じてきていた部分があったし、その時間が長かったように思う。
でも
もうそんな偽りの白衣はいい加減脱ぎ捨てる。

白衣の天使・看護師な私ではなくて
私が選んだ道・職業がたまたま看護師だった。

ただ、それだけ。

私は私。
これが私。

なんか歌いたくなってきた。

#なりたい自分










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