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桜と2年越しの卒業

桜の季節だ。
今、どこも見ごろをむかえている場所が多いだろう。

人混みにいくと必ずダメージをうけてしまう
私にしてはめずらしく
桜の名所といわれる場所付近に出かけることが多かった。
ある時は家族に付き添われてだったり、
その日の体調で単独で出かけたりもした。

桜の華やかさに見とれて心が高揚し、
家に帰ると家族に興奮してしゃべり尽くし、
翌日に疲れでダウン。
家族も慣れたもので、そっとしておいてくれている。

アップダウンするパターンが分かっているのだけど、
それでも出かけられるようになったのはかなり最近のことで
また動けなくなる日が来ると思うと、一つでも思い出を
頭にこころに残したいなと思った。

まったくうまく撮れないけどいつか見返した時。桜をみにいったのだなと記憶を呼び覚ませるかな

ダウンした日に、のっそりベッドから起き出し
リビングでボーっとしている視線の先に、ビデオカメラをみつけた。
何を録画してあったかなぁと
軽い気持ちで再生ボタンを押す。

そこには、
子どもの卒業式・その後校庭で先生たちの拍手で見送られる姿が
記録されていた。

私はその全てを初めて見て、あふれる涙が止まらなかった。

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2年前の3月。
桜がどうだったかは全く覚えていない。

ただ、新型コロナウィルス感染症が2類感染症だった時期に
私はコロナ陽性患者と接触する可能性がある小さな医療機関で
色々あってパートとして働き始めた頃だった。

その日はたまたま休みであったが、朝目が覚めると
今まで経験したことのない、のどの強い痛みに襲われその後発熱。
この時点で、自宅内で基本的には一人部屋に隔離。
(浴室のみ共用で家族と接触しない時間に使用した)
その後、発熱時における自治体の相談窓口を通して受診・PCR検査と
なった。

翌日以降だったか、陰性であってほしい祈りもむなしく
コロナウィルス陽性の知らせを電話で受けた。
やはりそうだよなという納得とこの先どうなるのかという不安。
(基礎疾患持ちだったので)
そして何よりも家族(濃厚接触者)はどうなるんだと慌てて
自宅待機の基準を確認した。

「え、間に合わない」
「卒業式、行けない」

3月末付近に卒業式を控えた子どもが、我が家にはいる。
卒業生代表の言葉を述べる1人に選出されていて、
毎日練習している姿をみて頼もしさを感じていた。
卒業式に着るために買った、スーツ姿もとてもよく似合っていて
早く見たいなと思っていた。

それなのに
どうかぞえても
卒業式当日は自宅待機期間内。
その事実を夫から子どもへ伝えてもらった。

隣の部屋からきっと布団を顔に押し付けて泣いているであろう
子どもの泣き声が漏れ聞こえてきた。
ずいぶん、長い時間だった。

「ごめんなさい」
「ほんとうにごめんなさい」
壁に向かって、泣きながら謝った。
本当は抱きしめて、そして土下座して謝りたかった。

働くときは細心の注意と感染防御に徹していたつもりだった。
だけど、罹患してしまった。
無症状の家族は(その後家族は発症せず)何も悪くないのに
準備していた式の言葉や、年度末で繁忙期の仕事へのアプローチ変更を
余儀なくされることに
ひたすら謝るしかなかった。

重い気持ちを抱えたまま、それでも月日は進み
先に家族の自宅待機期間は解除された。
そのタイミングで、子どもの学校から連絡が届く。
「卒業式をしましょう」と。

自宅待機期間が明けて、子どものために開かれた卒業式は、
4月1日。
新年度始まり、初日。
学校にとってかなり重要で新学期・入学式開催までに多忙を極める日に
開催していただいた。

私はまだ隔離中であったため、式へ向かう後ろ姿を少しだけドアを開けて
見送った。
夫が付き添い、久しぶりに外に出られた子どもの後ろ姿は羽根が生えているように軽やかで嬉しそうにみえた。

広い体育館で、
子どもと本来の式に出られなかった子と
2人だけのための卒業式が開催された。
先生方のご配慮には本当に感謝しかない。

その様子を夫がしっかりとビデオカメラに収めて帰宅した。
本来ならそのビデオをしっかり見て
「おめでとう」と言ってあげたかったのだけど、
私にはまだその気持ちの切り替えができず体調もいまひとつのままだった。

そのままあっという間に、今度は入学式。
さすがに隔離解除になった私だが、
入学式まで迷惑をかけたくなかったので
親1人のみ付き添いという制限の式は、夫へ付き添いをお願いした。

入学式の写真を送ってもらうと、
新しい制服をきた、素敵な笑顔の子ども。

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2年後、リビングで見つけた
少しほこりをかぶったビデオカメラ。

再生することで、そっと記憶の奥に閉じ込めていた
2年前の記憶と共に、
自分の目で見ることはできなかったがカメラがしっかりと記録してくれていた2年前の子どもの卒業式の時間に向き合うことができた。

もう、自分を責めたりすることはない。
あの辛さを経て、その後も山谷ありな時間を過ごしてきたけれども
生きているからたどり着くことができた2年前の時間。

子どもよ、
遅くなってしまったけど
卒業おめでとう!!
そして本来の式で読むはずだった言葉をよみあげる姿、
本当にかっこよかったよ!

わたし、
やっと2年前の後悔と自責から卒業、できたね。

卒業おめでとう
そして日々、未来を
山も谷もあるけど私らしい「ころも」をまといながら、
日々大切な人
と共に笑っていけるといいね


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