映画「パラサイト 半地下の家族」感想

 『なんだかここで結婚したような気がするし、ここで生まれたような気がする』

 視聴後、最初に思ったのは万引き家族と同じ手法を使っているなということ。つまり、弱者による明確な犯罪行為へ感情移入させ、自分が同じ立場だとしたら同じ行動を取っただろうと思わせることで、現行の社会システムの不足や不備を可視化させるやり方だ。本作で言えば社会的階級と結びついた「臭い」がそれであり、執拗に臭いを言われた後に目の前で鼻をつままれれば、私でも殺すかもしれないと感じさせてしまうところが他のメディアにはない映画芸術の一種、暴力的なまでの伝播力である。前半の一時間はコメディタッチで描かれ、半地下に住む家族の貧しさを安全圏の観客として笑わせておいて、後半のパートでは貧しい人々を笑ってしまったその事実こそが差別に気づかず虐げる側と同じふるまいであることを強烈に突きつけられるという構成になっており、視界にあり理解もしていると思っていたものが全く別の何かに変じていく落差が見事である。万引き家族が枯淡の味わいだったのに対して、本作は彼の国の伝統料理を思わせる濃い味付けで、それぞれの社会に対する両作品の価値は完全に等価でありながら、後者がアカデミー賞受賞へと至った理由なのだろう。もう一つ要因を挙げるならば、彼の国はハイパー格差社会でありながら、対外的には巨大電子機器会社ときらびやかな芸能活動を全面に押し出して、実状を糊塗する宣伝ばかりが行われてきた。そこへ非常にリアルな社会風刺の作品が現れたのだから、初代ゴジラではないが、そのインパクトが西洋にとって大きかったのかもしれない。個人的なことを言えば、家人が彼の国の芸能イコール虚構へ耽溺していく様を苦々しく見ていたこともあり、西洋の審査員と同じく評価のパラダイムシフト的なものが生じた。この視点を持つ人物がいるなら、彼の国は大丈夫なのだろう。

 あと、是枝監督的な上手さを指摘するなら、金持ちほど西洋文化に傾倒してゆき、貧乏人の中に父を敬い救おうとする儒教精神が息づいているという描き方がそれだ。冷静に考えれば常に正となるテーゼではないのだが、物語の中への落とし込み方が巧みなので、否応に真実として受けとめさせられてしまう。社会の半数以上を占める貧しき人々を共犯者にする、狡猾きわまるたくらみだと思う。

 それと、ものすごいひさしぶりに韓国映画みたなー、いつ以来だったかなーと考えてたら、火山高ぶりだった。

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