映画「スターウォーズ9 スカイウォーカーの夜明け」感想

 悪意のある置き石に横転、大脱線した貨物列車の機関部分を修理し、再び線路に乗せ、荷物を積みなおし、なんとか目的地にはたどりついたという感じ。一本の映画としては構成的に難があるが、正しくスターウォーズ作品となっている。本作を前半と後半に分割し、それぞれに足りない分の尺を足して2つの作品にすればもっと完成度は上がったはずだが、キャスリーン・ケネディCEOの情夫であるライアン・ジョンソンの狼藉のせいでそれは許されなかった。

 5年前にも指摘したように、ただその強大な力ゆえにレイはダース・ベイダーと化し、イスラムに傾倒する英米の若者を思わせるカイロ・レンがライトサイドへと転向する、この2点を描写することは7に張られた伏線から判断すれば、規定路線だったはずだ。それを、エイブラムスが丁寧に上げたアタックしやすいそのトスを、ライアン・ジョンソンが突然のオーバーヘッドキックで観客席に蹴りこみーー「オイ、何やってんだ! バレーボールだぞ!」「でも、今のオーバーヘッドキック、すごかっただろ?」ーー、皆を騒然とさせたのが8である。そして、たんこぶをつけた観客から忌々しげにコートへと投げ返されたボールを、エイブラムスが再びレシーブし、自らトスし、自らアタックしたのが本作なのだ。ベンチに下がったライアンがふてくされながら、「でも、おれのオーバーヘッドキックのほうがすごかったじゃん」と小声で吐き捨て、コーチに後頭部をはたかれるところまでが目に浮かぶようである(幻視です)。

 基本的には、過去の名場面を下敷きとしたシーン(運命の戦いを思わせる波濤のデュエルなど)の連続で、シリーズを追いかけてきたファンなら、否応にグッとさせられることは間違いない。そして本作の最後において、「スカイウォーカー」は團十郎や菊五郎と同じく、歌舞伎のように襲名されていく何かとなった。フォースの使役はブラッドラインによらないという8のラディカルさを、少々薄めて再提示した形だ。映画史上に名を残す、空前の駄作である8さえも完全には否定しないあたり、さすが「100点を取れない代わりに決して80点を下回らない男」、エイブラムスの面目躍如と言えよう。同僚のライアンを否定せず、旧来のファンに寄り添いながら、上司のキャシーの機嫌を取ることも忘れないーー本作における彼の苦労を想像すると、キリキリと胃が痛くなってくる。

 だが冷静に見れば、3つもの作品を費やしておきながら、9のラストは再び6のエンディングの地点に戻っただけで、スターウォーズ・サーガそのものは1ミリも前に進んでいないのであった。8さえ無ければ、作品テーマを半歩は前進させることができただろうと思うと、無念でならない。そろそろキャシーはルーカスに頭を下げて、ディズニー資本のままで構わないから、彼の初期プロットによる3部作を撮り直させてもらうべきだと真剣に思う。

 そして、本作による再度の路線変更により、前作でフォースの片鱗を見せた馬屋の少年は、永久に奴隷として飼い殺されることとなった。ライアン・ジョンソンのクソ野郎め、最後の最後までイヤな気分にさせてくれるぜ!

 映画「最後のジェダイとスカイウォーカーの夜明けについて」

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