見出し画像

あの日見た景色

とても苦しい自分の誕生日をやり過ごした。

死別経験者の記念日反応とも違うその感じは言葉にして後に残したくないくらい、、なので今のところは書かない事にする。(笑)

そして時間はやっぱり螺旋状で、ダンナ君のいた最後の一年を辿る想いがある。

けどその一年は、隣のそのまた隣の軸になってしまっている。

確実に薄れていく記憶を繋ぎ止めたくて、スマホの写真を遡って日付を確認する。


ただただ、自分のための覚書。


2020.1/1   足の痛みをおして頑張って歩いて行った近所の神社。毎年恒例だった、最後の初詣の景色。

画像3


2020.1/27  二度目のガンマナイフを受けた国立病院からの景色。移転して新しくなっていた。

画像2

自宅から救急搬送してもらって以来、発作が心配でそのまま入院させてもらっていたかかりつけ病院に迎えに行き、グロッキーなダンナ君を直接ここに連れて行った。

(この時の発作は腫瘍が原因のてんかんではなく心因性と言われた。)


2020.2/1 快適だったので退院する時、去り際に撮った病室。

画像2

ソファーは伸ばすとベッドになり、ダンナ君のベッドの横に並べて束の間一緒にテレビを眺めたりした。

この時はガンマナイフの固定用マスクも最新の物になっていたため照射の負担が減り、ずっとひどく悪かった気分も改善して、とても平和な時間だった。
一度目のガンマナイフ直後にほぼ喋れなくなったので、この時もダンナ君はそれを覚悟していたのだけど、そんな事もなくて拍子抜けするほど穏やかだった。

ただ、第一希望の部屋代のかからない大部屋とその次に安い二人部屋は空きがなく、第三「希望」という言質をとられて一泊一万五千円の個室だった。。


ダンナ君の重みでよれたシーツ、着ていた貸し出し用パジャマ。

重みがあって、厚みがあって、温もりがあったのだな、としみじみ思う。



お読み頂きありがとうございます!