モモの記憶

生後3ヶ月で我が家に来てから14年間、ずっと一緒に過ごしてきた猫のモモがいなくなり2ヶ月半が経った。
あちこち不調が重なり覚悟はしていたけれど、喪失感は想像以上だった。毎日味も色もないような感じ。それでも日常は続き、家族はそれぞれの生活をしていた。
特に小6の息子は私が心配していたほどの落ち込みはなかった(ように見えた)。
彼には毎日やるべきことがたくさんあり、外の世界が広がっていた。私はと言えばテレワークで自宅で過ごすことが多くどうしてもモモの写真や骨壺、片付けられずにリビングにあるキャットタワーにどうしても目が行くし、ふと思い出しては独り言のようにモモに話しかけていた。
「このままずっとメソメソして生きていくのか」などと思っていたけれど、気づけば私もモモのことを考えない時間がだんだん増えてきていた。
でも不思議なもので、今度は「なんて薄情な飼い主なんだろう」などと思い始めた。朝晩モモの骨壺に話しかけ、花瓶の水を変えたり、出かける前後は挨拶しているけれど、普通に笑ったり美味しいものを食べたりする時間が増えた。
そんな、少しモヤモヤする気持ちを抱えていたとき、友人から頂いた贈り物のパッケージにかかっていたリボンをテーブルに放置していて「あ、モモが食べたら大変!」などと思って慌てて片付け、3秒後に一人で苦笑いした。モモはリボンに目がなく、見つけると必ずと言っていいほど口に入れ、時に飲み込んでしまうのだった。
だけど、もう彼女はいないんだった、、、。
おかしなもので、こういうちょっとしたことに、まだ私の意識の中にモモがいることを感じ安堵している。
まったく勝手な飼い主だ。
でも、私はやっぱりモモとモモにまつわる記憶を大切にしていきたい。たまに存分に泣きたいし、彼女を知る人と思い出話をしたい。
きっとモモは天国でそんな私をいつものクールな目で眺めていることだろう。
いつか、私が彼女がいる場所にいく時がきたら、また一緒に過ごしたいと思う。撫でたり、添い寝したり、遊んだり。
遅かれ早かれその日はやってくる、それまではこっちでがんばってみるよ。待っててね。

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