発達障害の姉とDVの父親②

2ヶ月も間が空いてしまい、本当に申し訳ない 。このような自分の芯に触れる話を他人に伝えるのは思いのほか難しいものだ。

①ではざっくりとだが、私の今までの経験則からひとつアドバイスをした。②では、より細かく自分の体験を書き、またひとつアドバイスしたい。

①でも書いた通り、私は小学3年生から不眠症である。理由は、父親の怒鳴り声と姉の泣き叫ぶ声。これは要因として間違いない。そして、この要因は私が18歳、大学に上がるタイミングで解消された。父親と別居したのだ。母と姉と私で家を出た。

18歳で、父親と姉の怒鳴り声は無くなった。 だから私の不眠症も治るはずだった。でも、私の不眠症は一向に改善しなかった。第2の要因として私が考えたのは、姉の歌だ。姉は今も仕事の片手間にシンガーソングライターをしている。昔から兎に角歌うことが大好きで、昼夜問わず歌い続けていた。いや、現在進行形なので歌い続けている、ということになる。

小学生の頃から姉の歌が隣の部屋から筒抜けで、そこに歌声に耐えかねた父親が怒鳴り込みに行くことも、日常的なパターンだったのだ。姉は歌が下手な訳では無い、むしろ私からすると激うまだ。ただ、中高時代の姉は病んでいた。もちろん学校には行けていなかったし、オーバードーズやリストカットなどは日常茶飯事だった。そんな姉の歌はいくら音程が取れていても、やはり聞いている方もなぜだか苦しくなってくるのだ。そんな歌を聞き続けて10年以上。姉の歌に本能的な恐怖を感じるようになっていたことに、自分自身驚いた。

私がこの事実に気づいたのは、最近行き始めたカウンセラーの先生と話した時だ。要するに結論から言うと、父と姉に対する慢性的なPTSDなのだ。

暴力を振るい怒鳴り散らす父親と、私にとっては恐怖と言ってもいい歌を歌う姉。今の姉の歌は好きだ。けれど、結局この2人に対するPTSDが今の私を苦しめている。

いま、姉のことは好きだ。しかし、PTSDはそんなに簡単な問題ではないらしい。

私はずっと自分のことを、ただの躁鬱病の人間だと思っていた。PTSDとか、そんな大変は思いをしている人とは違って、自分が甘いのではないかとさえ思っていた。けれど、いざ慢性的なPTSDの影響で自律神経の問題である。と診断してくれたカウンセラーの先生にとても救われた。(PTSDによる影響についてはまた別の記事で書こうと思う)

この記事で私が伝えたいことは、「自分の弱さに名前をつける大切さ」である。

やる気が出ない、眠れない、気分が落ち込む。例えばそんな鬱の症状が垣間見えた時。「大丈夫。少し疲れてるだけ。病は気からというし、多少無理してでも仕事を、家事を、育児をしなくては。頑張らなきゃ。」そう考えるのを私はおすすめしない。なぜなら、「何かおかしい、辛い、自分でどうにも出来ない」からそのような症状が出ているのであって、無理をして頑張っても恐らく早々の改善は見られない。だから、周囲の人も絶対にそのような発言、態度は取らないで欲しい。そういうときは無理せず病院やクリニックに行って、何かしら病名をつけてもらうのがベストだと思う。軽い鬱病かもしれないし、不眠症や適応障害かもしれないし、元々発達障害を持っていたのかもしれない。どれにしても、病名をつけてもらい、話を聞いてもらったり、心を助けてくれる薬を少しだけ飲むことで、「自分が変だった訳では無い、自分を甘やかした訳ではない」そう思える。

現代では、鬱っぽいからメンタルクリニックへ。発達障害の気があるから、精神科へ。そのような風潮があり、上記で述べた通り私はそれに大賛成だ。しかし、その一方で未だに「怠けているだけ、大丈夫だから頑張れ、自分だけが辛いと思って」などと、病気や障害であることを認めない人もいる。そのような人に全く遭遇しない人はほとんどいないだろう。だから、しっかりと逃げ道を作っておいてほしい。何か言われても、自分の中ですっと整理できるように。押しつぶされてしまわないように。

もちろん、逃げ道を作って生きることを放棄するのはもってのほか。自分の弱さを受け入れて、どのように前進していくか。これが一番大事なことである。

次回は、PTSDについて、またどのように自分の弱さを受け入れていくかについて書こうと思う。

長々と読んでいただきありがとうございました。




 

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