体重が113キロ→75キロになったときの話③

体重が100キロを超えたのは、いつ頃くらいだっただろうか。おそらく、高校3年生の夏、ずっとやってきた剣道をやめた時からだと思う。受験勉強には糖分が必要だと言い訳して、好きなだけご飯を食べていたら、あっという間に太っていった。

その時と同じくらいの体重と考えると、大したことないように思えるかもしれない。けれど、増加して辿り着いた100キロと、減少して辿り着いた100キロは、私の中では大きく違った。

自分は10キロ以上も体重を落とせた。これからもっともっと痩せて、細マッチョになってやる。

なんて考えるようになり、このころからダイエット本を読み漁った。ダイエット本の中でも、特にはまったのがTestosterone著『筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法』という本である。かなり有名な本なので、ご存じの方も多いだろう。この本は、ダイエットのノウハウというより、精神的なアドバイスが多く、自己啓発本の領域に近い。

この本を読んだのは大学一年生の時。ちょうど、世の大学生が自分探しを始めたり、自己啓発本にはまる時期だろう。そうした思考の迷走の中で、誰かの信者になったりせず、筋トレが好きなれたのは幸運だったと思う。

なお、この本の著者は40キロのダイエットに成功しているそうだ。この体重の減少量は私が最も痩せられた時とほぼ同じである。そう考えると、遠い世界の憧れの人であったTestosterone氏が少しだけ身近に感じられる。とは言っても、私は(実際にみたわけでないが)Testosterone氏のようにマッチョになれていないのだが。

さて、『筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法』を読んで、筋トレへのモチベーションが高まった。大抵、こうしたやる気は長く持たないものだが、その他にも類似の筋トレ本やダイエット本を読み続けていたおかげで、筋トレへの興味は薄れなかった。気が付くと、大学がない日は毎日ジムで2時間以上の筋トレと有酸素運動を行うようになっていた。

しかし、何事もやりすぎはよくない。それを感じ始めたのは、ウォーキング中に膝が痛くなってきたあたりからである。現在はテキーラ村上著『痩せない豚は幻想を捨てろ』の坂道ウォーキングを実践しているため、膝への負担は大分軽減されている。けれど、ダイエットによる体重減少が順調に進み、調子に乗っていた私には、膝を気遣う意識も知識も持ち合わせていなかった。

痩せてきているとはいえ、90キロ以上の人間は毎日ハードな運動をこなしていては、いつか限界が来るものだ。私の場合、膝の痛みも感じつつあったが、それよりも先に異なるところに限界がきた。

大学が春休みに入り、トレーニングができる時間をより取れるようになった私は、いつも通り町営のトレーニングルームで締めの有酸素運動を終えて帰宅した。そこで尿意を催し、トイレへ。すると、私の体から赤い尿が出た。血尿である。いきなり血尿が出た私はパニックに陥り、呼吸が浅くなる。そしてリビングまで行ったところで床に倒れ、そこから立つことができなくなった。

結果的に、大事には至っていない。私が立てなくなった少し後に、ちょうど母親が帰ってきて、私を泌尿器科に連れて行ってくれた。検査の結果に異状はなく、おそらく水分不足と過労によるとのことだった。

ただ、血尿が出た時の衝撃。立てなくなった時の不安感。この経験が反省となり、以降体重の減少スピードを落として、健康的に痩せる方向へとダイエットを軌道修正した。

なお、この時過度な食事制限等の影響からか、好きなものを楽しめなくなっていた。そうしたエピソードについては次回以降に書いていきたいと思う。

今回はここまで、以上コトレでした。

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