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ふぞろいの単語たち (1)

見出し画像は、東シナ海に浮かぶ鹿児島県甑島こしきしま列島の上甑町かみこしきちょう瀬上せがみ地区集会所。当地の伝統方言を教えてもらいに、度々訪れている施設である。

はじめに

標題の「ふぞろいの単語たち」とは、日本言語学会第159回大会 (2019年11月16日於名古屋学院大学) にて行なった研究発表の主題である。この主題で同大会に応募したところ、拒否されるどころか採択してもらえた。日本言語学会、心ひろっ。

この研究発表が契機と成って、語形成や統語の研究においても音調を観察する習慣が身に付いた。忘れられない主題[*]と相俟って、個人的には思い入れが深い。

[*] と言いつつ、この主題を不意に見掛けると、自分のものであることは忘れて、「なんじゃこりゃ?書いたん誰やねん」と思ってしまう。

ただ、会当日は能力不足から[*]研究の面白味が伝えられなかった。幸い、今年もAdvent Calender「言語学な人々」に寄稿する機会を得たので、この場を借りて、捲土重来する次第である。(日本との時差を忘れて、投稿が1日遅れてしまったことは伏せておこう。)

[*] その上、蛇足も有り。「言語復興は難しいので、トーカロイドを作る方が現実的」などとあの場でわざわざ述べる必要は無かった。今は反省している。

瀬上方言の独自性

この研究の対象言語は薩隅さつぐう方言亜種の瀬上方言である。冒頭に紹介した上甑町瀬上で話されており、独自の進化を遂げた日本語方言として一部の日本語研究者にはよく知られている。その独自性は近隣集落においても殆んど通じないほどである[*]。このような状況は本土(に近い離島)には極めて珍しい[**]。

[*] 因みに、瀬上方言話者は近隣方言を理解し、地域共通語も全国共通語も話す。

[**] 似たような状況に有る方言として頭に浮かぶものは、山梨県南巨摩郡早川町奈良田ならだで話される奈良田方言小西いずみ (2021)小西いずみほか (2022) (および、これらの参考文献) を見るに、近隣地域においても通じないと思われる。
こうした例を除けば、一般に「変わっている」と言われる方言であっても、近隣地域の人々に殆んど通じないということはまず無かろう。

瀬上方言の独自性は、このDropbox共有フォルダー (以下 "[Db共有]") に有る [sogee.wav] を聞けば、すぐに分かるだろう[*]。[sogee.wav] の発話状況は次のとおり。

瀬上方言母語話者F03とF04 (共に1920年代生まれ、女性) とに筆者が訪問の事前連絡を入れるも、F04には数度電話しても、繋がらなかった。F04は結局、筆者の来訪をF03から聞き、筆者がF03宅を訪れた際に来てくれた。雑談の最中、F04が冗談めかして、音信が無かったことの不満を筆者に述べる。それが面白いので、瀬上方言を初めて聞く連れに筆者が訳してあげている。

[*] 再生もダウンロウドも可。研究/教育活動に利用する場合はその旨を明記ください。
残念ながら、音質に対する筆者の低意識が災いして、フォルダー内の .wavファイルはいずれも音響分析に堪えない。更に、(標題のみならず) 音量も不揃いであるから、再生時には注意されたい。

[sogee.wav] におけるF04の発話は、

'(F03には) そうしてるのに、私にはなぜ何も言わないんだろう'

を意味している。とは言え、初見では分析しがたいだろうから、先のフォルダーにも入れておいた [sogee.textgrid] を次掲図1に挙げる。下から2行め (gloss tier) に記したローマ字略号の意味はこのGoogle Sheetsを参照されたい。

図1: 瀬上方言の文例

[Db共有] には、F03からF04への通話を注解した [ELAN_telephone.eaf] も入れてある。母語話者の発話自体は30秒も無く、使用語句の音形も比較的分かり易い(と思う)が、それでも、瀬上方言の特徴はよく出ている。

この注釈[*]は、九州西部・南部方言に特化させた表記法と .xml辞書ファイルとで言語注釈アプリELANを走らせ、ほぼ自動で生成したものである。この仕事に興味を持った方は、GitHubから公開している筆者謹製ELAN関連ファイル群 "CROJADS" を参照されたい。表記法等を纏めたファイルは [rules.xlsx] (ただし、初学者に優しくはない)、.xml辞書ファイルは [kushikino.xml] である。

[*] ローマ字略号の意味は先のGoogle Sheetsに等しい。

「ふぞろいの単語たち」とは?

瀬上方言の魅力を語ると、日が暮れてしまうので、本題に移ろう。標題の「ふぞろいの単語たち」とは、瀬上方言に見られる3種類の形式的単位を指している。まずは、そのうちのひとつ、声調領域を確認する。

声調領域

瀬上方言には下降調、非下降調という2種類の声調が有り、それぞれ次掲 (A) のように実現する。

(A)
下降調 : (H--L)[F:Mμ]@
非下降調: (H--L)[H:μ]@

A--B: AからBへのピッチ変動  (◌): 任意の要素  [A:B]: 単位Bに実現する声調A  @: 声調境界  F: ピッチ下降  H: 高ピッチ  L: 低ピッチ  M: 音節主音拍 (e.g. kai '貝', kjoo '今日', hon '本', etc.)  μ: 拍 (音節主音拍に限らない)

(A) の具体例は、[Db共有] に属する次掲フォルダーに入れてある。フォルダー名は動詞語根を指しており、"n/nf" の別は下降調/非下降調の別に対応している。

(B) 下降調の例
[huk-_f_拭く], [musub-_f_結ぶ], [wajuw-_f_笑う]

(C) 非下降調の例
[huk-_nf_吹く], [kak-_nf_書く], [tuzum-_nf_包む]

フォルダー (B–C) のファイル名には、当該語根に接尾する形態素を記した。境界記号および各形態素の意味は次のとおり。

(D) 境界記号
-: 接辞境界  =: 接語境界  +: 語幹境界  &: 被連体修飾接語の境界  #: 統語境界

(E) 形態素
-tjoj-: Prf [完了相]  -woj-: Ipfv [不完成相]  [a]-n-: Neg [否定]  -e: Imp:Ccl [命令:終止]  [j]-u: ATTR [終止/連体]  -ta: PST:ATTR [(相対)過去:-]  [j]-eba: COND:Adv [条件/継起:連用]  =a: Ifm:Ccl [通達:-]  =de: Csl:Adv [原因:-]  &to: Nml [準体]  toki: 名詞 '時'  =@jo: Ifm:Ccl  =@to, =@te: Quot [引用]

動詞語根 (B) の下降調も、(C) の非下降調も、"@" の直前までに実現することに注意されたい。たとえば、

[Db共有] - [huk-_f_拭く] - [-e=@to.wav]

に収録された /huk-e=@to/ '拭(く)-Imp=@Quot' であれば、/=@to/ 'Quot' を除いた /huk-e/ [ɸu.ke] '拭け' において下降調が実現する訳けである。

声調境界と統語境界との齟齬

声調境界は統語境界 (国文法に言う文節の境界) に大よそ等しい。ただし、声調に関しては、/toki/ '時' のような名詞語幹が従属的であったり、/=@jo/ 'Ifm:Ccl' や /=@to/ 'Quot' のような接尾語が自立していたりする。

つゞく

しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり