見出し画像

はじめての万年筆

万年筆に大人の魅力を覚える人は私だけではないはず。

成人式や就職祝いで貰った、という方もおられるでしょう。しかしながら、27になった今なお自分のやりたいことを追いかけている私は、未だに定職に就かず、バイトを続けながらの毎日で、残念ながら幼い日に思い描いた「大人」像とはかけ離れた生活を送っている。

そんな私が万年筆を買った。

元々憧れの筆記具であったのだが、どうしてもその「大人が持つもの」という思い込みで「私なんかが持つにはおこがましい」と己で制していたのだ。

しかし買った。そんな私が万年筆を買った。それも、

「無性に文字を書きたくなったから」

ただそれだけの理由で。

昔から、良いことも悪いことも自分の想いが溢れる時に文字を書きたくなる衝動に駆られることがよくあった。書くことは自分の気持ちと向き合うことだった。今回もちょうど、抱えきれない自分の気持ちを持て余していたタイミングに、私は出会った。

PILOT  iroshizuku 〈色彩雫〉tsuki -yo【月夜】

日本の美しい情景を全24色に閉じ込めた万年筆専用インク。並ぶその色には、朝顔、露草、霧雨、山葡萄、冬柿…など情緒を切り取った名が冠されている。その中で一番目を引いたのが、青とも紺とも言えぬ、しかし黒では無い、【月夜】という一色だった。一目惚れだった。万年筆を買った、と言ったが、インクを買った、ので、それで文字を書くために万年筆を買った、という方が正しいかもしれない。

ここで出てくるのは、万年筆に対して「私なんかが持つには…」と敬遠していた人間が、何故手にとる機会があったのか、という点である。事実、普段なら絶対に万年筆売り場には近づかない。「自分で自分を認められたら買おう」という思いがどこか聖域のように思わせていたからだ。綺麗にガラスケースに並べられた場所には宝石店のような近づきがたい雰囲気がある。

そんな小心者への販促に成功したのは、文房具屋の老舗ー伊東屋さんであった。駅直結の東急百貨店内にある伊東屋渋谷店。ふらりと寄ったお店の入口。入ってすぐ横に並んだ万年筆インクの瓶と、試し書き用万年筆。色彩雫24色を含む、PILOTさんの商品が綺麗に並んでいた。お店の端っこの位置ということもあり、人目を気にせず(こんなヤツが万年筆?と思われないかが不安なのだ)、思う存分試し書きができるようになっている。そこで私は出会ったのだ。試し書き用にセットされていた万年筆も、重厚なものではなく、スケルトンボディで7色展開をしている同じくPILOTさんの商品、PRERA、色彩逢い。値段もインクが1500円、本体も3500円、と思っていた以上に手が出しやすい。書きたい、という衝動に駆られた。

しかし、強く書きたいと思う瞬間、私の精神状態は冷静では無いことが多い。今回も、一旦この気持ちを持ち帰って、改めてにしよう、とぐっと堪えた。まあ、万年筆なんてどこでも買える、ましてや伊東屋さんは他にも店舗を持っていらっしゃるーと思っていたのだが。

数日後、別店舗に足を運んだ際に同じディスプレイを探すも見当たらない。あるのは高級感溢れる万年筆売り場だけ。人も少ない平日ということもあり、どうにも近づきがたい。メーカーも品名も分かっているんだから、店員さんに尋ねれば良い、そうは分かっていても、まだ買う決意が固まっておらず、また、数万円級が並ぶガラスケースに日和ったのだ。しかも購入意思はインクにははっきりあったが、本体はできればお手軽な価格が良く、かつこの時は試し書きで置いてくださっていた本体のメーカーや品名が分からず、自分の持つ知識と顧客価値の低さに(これも勝手な思い込みだが)ピシッとスーツを着た店員さんの手を煩わせることに躊躇したのだ。

結局、他にも文房具店を回ったのだが見つけることができず、私は渋谷店に舞い戻っていた。よりによって普段あまり使わない駅に、わざわざ戻ってきたということは、己の衝動に逆らえなかった、ということで、開き直って散々試し書きをして、見事遅咲きの万年筆デビューを果たしたのである。初めてインクを入れる時の高揚感、初めてノートに書く筆感、初めての色合い感…どれをとっても心地よいものだった。多分、この感動は忘れられない。買ってからというものの、衝動に流されるまま、文字を書く喜びを思い出すかのように、そのペン先から出るインクの美しさと、書き心地を繰り返し繰り返し味わっている。(断っておくが、私は特別に字が綺麗なわけでも、大した中身のある文章を書いているわけでもない。ただ、自分の書きたいものを書きたいように書いているだけだ)デジタル化が進む中、私はきっと一生紙とペンから離れられない人間だと思った。

最後に。私は伊東屋さんの回し者ではないし、申し訳ないが頻繁に通っているわけでもない(行くと絶対買いたくなるのでむしろ避けていた)し、昔、接客業をしていたこともあり、買い物は良き店員さんとの会話を含む魅力的なものだと思っている。しかし、今回ばかりはその限りではないな、と。会話なくとも、陳列したお店の、店員さんの、言葉無き接客のおかげで、人目はばかることなく、購入することができたのだから。こんな自意識過剰な小心者に、憧れの筆記具を手に取らせてくれたことに感謝を込めて、この記事とさせていただきます。

この記事が参加している募集

最後まで読んでくださってありがとうございます。