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言葉というのは本当は勇気のことだ

少し、心がいろんなところにお出かけするのを、ここ数日、あえてほったらかしていました。

だけど、昨晩、よし、行けるかな・・・と思って、今朝起きても、よし、行こうかなと思えてたので、今日は連載を書く日になりそうです

新しい連載を書こうと、まっさらなパソコンのドキュメントに向かう時、なんていうんだろう、私は、透明な壁みたいなものをいつも感じます。

いつも、書きたいことはあるけれど、言葉じゃ、まにあわない気がして。
でも、言葉にすることをあきらめたらそこで試合終了。
永遠に、心の中から、それが出てくることはない。

だから、言葉では足りない気もするけど、言葉を足していく。
だけど、近づけない。日記帳の中に書いてあることをそのまま書けばいいじゃないか、それならば簡単じゃん?!なんて、ぱっと一瞬光がさすけれど、
でも、そのままでは、やはり、私にしかわからないし、詩みたいになってしまう。

日記を書いていた頃の私に近づこうと、そこへなんとか近づけようとするけれども、むしろ遠ざかりつつあることに気づいたりしたら、もう、どうしようもない無力感。

弱い私は、もう楽な方に逃げたくなったりもします。なんで書いてるんだろうなんていう疑問まででっちあげたくなります。

でも、おととい、ノートを開いたら、ちょうどそこに走り書きがありました。

「言葉というのは本当は勇気のことだ。
人生というものを自分から愛せるだけの」

そう、確かに勇気が必要なのだ。言葉にするには・・・
そして、そう、人生をもっと愛したいから、私は書いている。
全てを肯定した上で愛したいから書いている。
だから、言葉にすることをあきらめない為に、
体中から勇気をかき集める価値はきっとある。(と思いたい。)

多分だけど、詩集か何かの言葉だと思うのですが、出所を書いていなくて。ここに書いているということは、結構最近のような気もする。ちょっと目星をつけて探してみたいけれど、今日はぐっと我慢して、連載の原稿に向おう。よし、今日は書こう。つべこべ言わずに・・・・ああ、つべこべ言いたいけれど・・・・(笑)

壁の向こうで、応援してくれる人の顔を思い浮かべて・・・
書き始めよう。

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