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黄金色の毎日

実家でなにげなくふと目に留まった箱をなんとなく開けてみると、そこには8年前ある方々に頂いた一冊の送別アルバムがあった。



私は高校卒業後、名古屋のブライダル専門学校に入学し、2年生の秋にはあるブライダルプロデュース会社に内定が決まり、次の春からはそこの契約ホテルのプランナーとして働く予定だった。

とにかくその時は謎に「正社員」であることにこだわり、そしてなるべく早く就職先を決め、残りの学生生活は悠々自適に生活するはずだった。ところが卒業まであと少しに迫った際に急に内定先から「1年はアルバイトでしか雇うことができない」と連絡があった。今思えばどうしてなのかわからないけど、「え、それじゃ困る」と本気で焦った。内定先ではすでにアルバイトも始めていたし、別にそのうち社員になれるし、先輩たちも本当にいい人ばかりだったのに・・・とそのタイミングで私はとある人物に出会ってしまったのだ。

「松瀬さん、就職先って決まってるの?うちで働かない?」

いつもぼさぼさの頭で、本当にこの人がプランナーなの??と思わせる風貌のその人との出会いが私の人生を大きく変えた。

ホテルのプランナーとしてキラキラした場所で働く道と、「え、ここ?」みたいな場所にあったプレハブのサロン、謎のむさくるしい男性プランナーが36歳で経営しているプロデュース会社でたった2人、8つ以上の会場のやり方を全て覚えて働くプランナー。勤務時間も勤務内容も明らかに後者の方がブラックだった。でも私は、なぜかこの大変な道をどうしても選びたかった。

まさに「魂の声」だった。

入社一日目。
社用車のハイエースが出勤中の私の目の前に止まった。

「はい。これ運転して。俺は君を女性としては扱わない。対等に一人の人間として、男と変わらず扱う」

今思えば、いや、私は女だし、男として扱うなよ、と突っ込みたくなるが、当時の私は、バリバリ男性への劣等感を感じて生きていたので、社長のその言葉は、最高に自分を認めてもらえたように聞こえて嬉しかった(笑)そして大きな車を運転するのが夢だったから、最高にワクワクした…とても単純だったなあ私。

こうして始まった私のプランナー生活は地獄だった。朝6時から夜中の2時まで働く日もしょっちゅうあったし、打ち合わせが続けばトイレにも行けず、ご飯も食べれず膀胱炎になって血交じりの尿が出て、休みたいとお願いしても社長からの返事は

「社会人をなめるな!健康管理は自分でしっかりしろ!」

このおじさん、まじなんなんだよと殺意さえ覚える日もあったけど、でも私は人生で初めて、自分の両親以上に尊敬できる人だと思うほど、この人のことを尊敬していた。

なにもわからないような20歳そこそこの私を本当に一人の人間として対等に扱ってくれて、小生意気にも社長に物申してしまうような私にもいつも本気でぶつかってきてくれた。今の私があるのは本当にこの人のおかげだったなと心から感謝している。そんな人の下で働けていたのにも関わらず、ある日私の胸に沸いた感情はこうだった。

「私、社長のお城の兵隊で終わりたくない。この人を超えていきたい。よし、海外に行こう。」

うん。謎すぎ(笑)

でもどうしてもこうだと思ったら止まれないのが私で、意を決してそのことを社長に告げた。

きっと怒るんだろうな・・・嫌われるのかな・・・そんな不安もあったけどやっぱりこの人は最強だった。

「松瀬さんが決めたことなら全力で応援する。俺を超えてみろ。」

その時にはプレハブにあったオフィスから、ビルの一階にオフィスを移し、二階には自社レストランまで立ち上げて社員も増え、大きくなっていた会社の、ナンバーツー的ポジションの私が辞めることは本当に迷惑だったはずだし、本当にずっと信頼してくれていた私からのその言葉を、どんな気持ちで聞いていたんだろうと今この歳になって彼の心境を考えると、当時感じていた以上に、感謝の気持ちが湧き上がる。だいたい、よくもまあ「超えます」とか言えたもんだ。

そうして私はこの会社を辞めた。そんな彼が最後に私にくれた言葉が今日の私をまた励ましてくれたのでここに残しておく。



~自分の人生は全戦全勝にしなさい~

自分の人生の審判は当然自分です。今、目の前で起きている出来事で損得や勝敗を判断するような小さなスケール感にならない。その時、その時の出来事をいかに今後の自分に使い、エネルギーにするか。その考えができれば、当たり前のように自分の人生は無敗で全戦全勝になるはずです。なぜなら自分の人生の審判は、他人ではなく自分だからです。



8年たって、やっと本当の意味でこの言葉がお腹の中に入ってきたように思う。もちろんその間の8年間、たくさん「失敗」に思えるようなこともあったし、「間違え」のようなこともしてきた。だけどそれはただの「点」にしか過ぎなくて、今少しずつそれが「線」に変わり、生きることが「使命」で、その線が繋がっていくことが「天命」へと変わることの流れを感じている。

ああ、私の人生にはいつだって私と真剣に向き合ってくれる人ばかりで、暑苦しい私を受け止めてくれる人が本当にたくさんいたんだなあと改めて出逢ってくれたすべての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして下に綴る、社長のこの一言を胸いっぱいに感じながら、そして久しぶりに昔のあの時代に浸りながら眠るそんな夜もいいなあと思う…。



毎日を全力で笑い、全力で楽しみ、悲しみ、悔しがり、全力で成長しようと、お互い前を向いた、色で言うと「黄金色」で楽しい時間でしたね。最後に「阿部さんにとって松瀬さんと出逢えた二年間を一言でいうとなんですか?」とインタビューされたとしましょう。きっと俺はこう答えるでしょう。「あ~本当にすべてが楽しい時間だったなあ。」



死ぬほど辛い毎日も多かったはずなのに、思い出すのは「本当に毎日目の前の出来事を全力で生きていたな」ということ。

自分にとっての「これだ」を見つけなければ前に進めない人は、そうじゃないことを「無駄だ」と思っているからかもしれない。

でも本当は無駄なことなんて一つもない。だから恐れずに「今」感じる感情を大切に「そう思う」自分を信じて、ぜひ目前懸命に毎日を生きてみよう。

そうすればいつかすべてが繋がっていくから。

今日も明日も本当の意味で「生きていこう」
出逢ってくれた皆さん本当に有難う!

愛を込めて/Sachiko

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