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赦しのコミュニケーション
沖縄は梅雨入りしてから、長い期間お天気が悪かったのですが、今週は有難い事に良いお天気の日が多く、外に出ると心なしかみんな、太陽を拝めてホッとしているように感じます。お日様って呼ぶくらい、無くてはならない有難い存在ですね。
さて、今回のテーマはコミュニケーションです。人間関係がうまくいっていない方にはぜひ、最後まで読んで頂きたい内容となっています。
まず、コミュニケーションとは、「人と人がお互いの考えや感情を伝え合う意思疎通」のことを言います。
よって、このコミュニケーションが上手くいかないと、些細なことで大切な人とすれ違ってしまったり、争いが起こってしまったりして大変ですよね。
また、コニュニケーションがうまくいかないと、人生の大半が誰かとのコミュニケーションで成り立っているとも言える、人間的社会構造の中を生き抜いていく事がとても困難に感じてられてしまうこともあると思います。
ということは、コミュニケーションは良好な人間関係の鍵であるとも言えると思います。
ここからは、私も普段意識している、人との関わりの中での「大切な視点」についてお話をしていきます。いいなと思った方は、ぜひ採用してみてくださいね!
それは、世界を見る目が「ジャッジ」ではなく「赦し」であるということです。
つまり「私とあなたは違う」という目で世界を見ているのか、「私とあなたは同じ」という目で世界を見ているのかの違いです。
「私とあなたは違う」は、比較です。比較はジャッジを生みます。そうすると常に競争の中に身を置かなければなりません。
ところが、「私とあなたは同じ」という目線で相手を見ることができると、そこには尊重が生まれ、“相手を通して自分を赦すことができるため”いつも安心感の中に身を置くことが可能になるのです。
きっと、こう言うと、こう思われる人もいると思います。
「あんなに最低な、あの人のことまで許せっていうの?私は、そんな聖人にはなれない。あの人は私を傷つけたのよ。」
もちろん、私は、人を傷つけることが良いことだとは言っていません。そして実は「相手の行いを許せ」とも言っていないんです。
ここで私が言いたいことは、「相手を許せない自分を赦そう」ということです。
想像をしてみてください。
例えば、「ひどく誰かを批判する人」をあなたが見たとします。もしくはそれが、あなたに向けられることもあるかもしれませんね。
では、その人を「ジャッジの目」で見た時、何が起こるでしょうか。
「なんて、ひどい人だ。私はあんな人にはなりたくない!」
とあなたも相手を批判しているということがわかりますでしょうか。
つまり、あなたの方から、わざわざ最低な人だと思っている人と、並び合って競争を始めてしまっているのです。もっと言えば、「あなたのなりたくない批判をする人」に、あなたがなってしまうことで、無意識に自己否定をしてしまっているのです。
でも実際、そんな風に、誰かを傷つけたり、批判ばかりする人って良くないですよね?と思う人もいるでしょう。
では、ここで一度「批判的なことを言うこと」についての「正しさ」について議論を始めると、どのような答えが出るのかを考えてみましょう。
きっと、答えは人の数だけ答えは生まれると思います。
・批判は全くよくない
・いつもは良くないけど、たまには誰かを批判したくなることもあるだろう
・もしかしたら、批判してるあの人も何か嫌なことがあったのかも・・・
・何があったかがわからないから何も言えない
たまに、テレビやYouTubeで、流行りのディベート対決をしている人たちを見ると、どちらがどちらの立場に立って議論するのかについて、その場で決めて、議論を始めるものもありますよね。
つまり、これを見ると、どっちの立場になるかで見え方が変わってしまうということがわかると思います。
特に発言者が、その論点に熱意がなければ、よりわかりやすいと思いますが、ここで何が伝えたいかというと、全ての物事には「ポジティブな面」もあれば「ネガティブな面」もあるということです。それを私たちが、良い悪いに分けて考えているということですね。
もちろん、だからなんでもしていいということではありません。
だったら「自分はどういう人で在りたいのか」ということを考える必要があるのではないか、ということです。
人の立場、価値観、モノの見方は、それぞれ異なります。そして、その人が本当に感じている気持ちは、その人のその状況に立って初めてわかることです。
よって、世の中には「正しい答え」というものはないという事がここからわかると思います。
時代が変わるだけでもそうですが、ある時は正しく、ある時は間違いであるということなんていくらでもあります。
では、それを踏まえた上で、先ほどの例を赦しの目で見たときに何が起こるのかを見てみましょう。
「私には知らない世界があり、私は私の価値観を持って相手をジャッジして見ていた。そのことを赦そう」
とまあ、こんな感じです。
そうすると、そこには競争も比較もなく、相手と同じ土俵に立つこともなければ、あなたがなりたいあなた「誰かを批判しないあなた」に自然となれるということが起こるのです。
これが「あなたと私は違う」という”ジャッジのコミュニケーション”と「あなたと私は同じ」という”赦しコミュニケーション”の違いになります。
ここで注意したいことは、この「同じ」という言葉の意味です。(ここまでの話をよく理解していれば、間違えることはもちろんないと思いますが。)
これは、決して「相手が、同じ考え方や同じ気持ちを持っているという意味ではありません。
私たちはどんなに仲が良い相手でも、家族でもパートナーでも友達でも、誰一人として例外なく、性質の異なった、それぞれの人生を生きています。そして、そこでは一人一人が各々の人生の主役であります。
だから、どんなに愛し合っていても、それぞれの人生の中で感じることや気持ち、考え方は違って当たり前なのです。
それはつまり、「相手と私が違っていることは何にも問題ではないということです」
そこで大切になってくるのが、違いを知り、お互いに尊重し合えるかどうかという点です。
もっと言えば、違っているもの同士だからこそ、同じ愛の方を見られるのではないかと私は感じています。
コミュニケーションの中で、良く聞くこんな言葉がありますよね。(私も過去よく使っていました)
「どうしてわかってくれないの?」
これは心の境界線を超えている言葉です。
コミュニケーションにおいて大切なことは「私にとっての正しさ」を押し付けることではなく、相手との心からの繋がりを感じることです。
だから、相手をわからせることも、自分の気持ちを押し付ける必要もありません。
コミュニケーションとは「お互いの考えや感情を伝え合う意思疎通のことをいう」と初めに確認した通り、「私はこう思う、こう感じる」とそうやって話せばいいし、必要であればその時に「だからやめてほしい」とかってお願いをしたらいいのです。
もちろん、意思疎通ですから、そこで相手の気持ちも尊重しなければなりません。相手には断る権利もありますからね。
そして、合わない時は無理に一緒にいる必要もありません。(でも、無理に切り捨てる必要もないですけどね。)相手とのちょうどいい、心地良い場所を探してください。
ということで、人との関わり方に困っている方は、ぜひここまでのことを参考に、世界を見る目を「ジャッジ」から「赦し」に変えて、一人一人の「心の境界線」を守りながら、押し付けたり、わからせたりするコミュニケーションではなく「伝え合う」コミュニケーションを取っていってみてくださいね。
最後に
とはいえ、ここまで書いたことを実際に実践していくことは、とても難しいということもよくわかります。
その理由は、マインドが邪魔をしてくるからなんです。どうしても、物事を赦しで見ようとしても「恐怖」の方が勝ってしまうんです。
それは、マインドが長年あなたが採用してきた、「ジャッジ」の思考を使う方が楽だし、「安全だ」と思ってしまうからなんです。
つまりマインドは、「ジャッジ」を通して過去を見ているため、また傷つくのが怖いのです。
では、どうすれば良いのかというと、思考(マインド)を抜け出し「イマココ」のあるがままを見る必要があるということですね。
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