仏教の教えに学ぶ、苦しまない生き方
・なんであの人は連絡を返してくれないの?
・今日もあの人は帰りが遅い!
・なんであの人不機嫌なんだろう、嫌われるようなことしたかなあ・・・
こんな風に、日頃イライラ・モヤモヤすることってたくさんありますよね。しかし、多くの皆さんが本当はどんな時も穏やかに過ごしていたいと思われると思います。
ということで、今回はそんな「イライラ・モヤモヤ」が”自己肯定感”を高めることで解決するかもしれません!というお話をしていきたいと思います。
ここだけ見ると、「はいはい・・・よくある、そんなことも気にならないくらい自信をつけようね」というメンタルの話なのかな?と思われる人もいるかもしれませんが、そうではありませんのでぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
初めに、先ほど出てきた「自己肯定感」という言葉の定義からみていきましょう。
自己肯定感とは
どんな自分も、良いと感じる状況でも、悪いと感じる状況でも、納得できない感情や状況が目の前にあっても、顔や体の身体的な特徴がどうであっても、全てOKでこれが自分なんだよねと思える心。
つまりは、他人と比較するのではなく、あるがままの自分を認め、尊重し自己価値を感じることができる心の状態です。
そして、自己肯定感はいくつかの要素によって構成されており、その根っこの部分となるのが、自尊心だといわれております。
自尊心とは、どんな自分にも価値があると思える心というものなんですが、
結局のところ、この自尊心がしっかりと養われていないと、いくら頑張っても内側が満たされず、目の前の出来事が、全て自分に対する評価のように感じられてしまうということが起こるのです。
・あの人から連絡が来ないのは私に価値がないからだ。
・あの人の帰りが遅いのは私に価値がないからだ。
・あの人が不機嫌なのは私に価値がないからだ。
・今日、雨が降っているのは私に価値がないからだ・・・・。
客観的になってみたら、「いや、そんなバカな」と思うようなことにさえ”私の価値”を紐付けて考えてしまっている人が本当にたくさんいます。
さらに厄介なことに、この紐付けは無意識に起こってしまうため、自分では気が付くことができず、よって第二感情と言われている”本当の気持ちを隠すために湧いてくる怒り”という形になって表に出てきたり、モヤモヤするという感情に変わり、日常生活の中で起こる様々な出来事が「嫌な出来事」へと姿を変えてしまうのです。
だから、「自己肯定感」そしてその根っことなる「自尊心」をまず先に高めるといった”自分で自分を愛すること”が必要となり、その結果、周りの反応や目の前の出来事を自分に対する評価として受け止める必要がなくなるため、どんな時も何があっても穏やかでいられるようになるというわけです。
しかし、そうなると「ん?結局、自分に自信を持って好きになることが大切なんだっていうメンタルの話がしたいのでは?」と思いますよね。
ただ、ここで伝えたい大切なことは、そこではないのです。
ここで、お釈迦様のお話をお借りして今日の大切なポイントについて解説をしていきたいと思います。
それが「悟りを開いた聖者」と「悟りを開いていない凡夫」との違いを説明された「二本目の矢」というお話です。
例えば
あなたが足の小指を机の角にぶつけたとします。すると当然「痛い」と思いますよね。これが一本目の矢です。
そして、そこであなたが「私は本当についてない、最悪だ」と思うとします。これが二歩目の矢です。
こんな風に、起こった事実に対して、追い討ちをわざわざかけるようなことを「考えてしまう」これこそが、私たちの苦しみの原因であるというお話をお釈迦様は残してくれています。
さらに酷くなると、自分に対して何本も矢を放ってしまう人もいるでしょう。
いつも私はこうだ。だからダメなんだ。どうせ私は頑張っても何も変わらない・・・。
客観的に見れば、「いやいや、ちょっと待ってよ。ただ、足をぶつけただけでしょ」と思いますよね。
それがさらにひどくなると、起こった事実まで、歪んで見えてきてしまうという人もいます。
「あの人がここにわざと机を置いて、そのせいで私は痛い思いをしたんだ。これは嫌がらせよ」と、どんどんとありもしない妄想や思考が広がってしまう。
こういった、二本目の矢を自分自身に放っていることで、自分自身を余計に苦しめているということに、気が付いてみようというのが今回のテーマの大切なポイントなのです。
あの人から連絡が返ってこない。それは、ただ今は返ってこないだけ。
あの人は今日も帰りが遅い。それも、ただ帰りが遅いだけ。
機嫌が悪い人に八つ当たりされた、それもただそれだけなのです。
もちろん、これ以外にも嫌な出来事、大変な出来事はそれぞれたくさんあると思います。
しかし、それらは優劣なく、宇宙から見れば「一つの出来事」としてそこにあり、それ以上でもそれ以下でもありません。
そこにいろんな意味であったり、まだ起こってもいない自分で作り上げた物語をつける必要はないのです。
もちろん、その一本目の矢に、あなたにとっての
苦しみがないとは思いません。
嫌なものは嫌だし、悲しいとか寂しいなどの感情も当然そこにあるでしょう。
そしてこの先、この考え方になれば何も嫌なことが起こらないという意味でもありません。
ただ、今目の前にあるのは一本目の矢のみです。一本目の矢の痛み以上に、自分で自分を苦しめるようなことを考える必要はないのではないでしょうか。
連絡がなくて、寂しい。
早く旦那さんに会いたいな。
八つ当たりされて悲しかったな。
その感情を知るだけで十分です。
なので、今後何かあってイライラ・モヤモヤした時は、そこで二本目の矢を放っていないかを確かめてみてください。そして、もしそうであれば、何かしらの自分に対するジャッジをしていることに気が付き、それを止めてあげてみてください。
とはいえ、一本目の矢も、下手したら二本目の矢も放たれていて、それが痛いですよね。
もちろん、それを感じてないと思い込むことは全く必要ありません。
むしろそうやって、「私は何も感じていない」と痛みに抵抗をすることで、余計に痛みは増します。
なぜならば、苦しみは痛みに対する抵抗によって生まれるからです。
そんな時は、少し怖いかもしれませんが、その痛みを感じている今を受け入れ、一度大きくお腹に息を入れるイメージで深呼吸をしてみてください。
そこで、あなたを苦しめる思考を手放し、必要であれば「私は唯一無二の存在だよ」と抱きしめてあげてもいいでしょう。
ただの深呼吸?と思うかもしれませんが、気休めではなく、きちんとした根拠もあります。
ネガティブな感情が嫌なのは、身体反応との繋がりが関係しているからです。
ネガティブな感情を感じた時の体の反応は、萎縮・収縮・緊張です。
よって、呼吸が浅くなってしまいます。呼吸が浅くなると自律神経のバランスも崩れ、そうすると不安定な精神状態になってしまうのです。
だから、意識的に呼吸を大きくしてあげることで、緊張を解き、緩和させてあげる必要があるのです。
こんな風に、すでに感じている感情をどうにかしようとせず、受け入れ、それ以上の思考を巡らせず今の自分に対して「どうであれ私は私だよ」という愛の中に身を置いている、この行為こそが自己肯定感の感覚であります。
よって、自己肯定感が高まることで穏やかに暮らせるようになるということが、今日のテーマとなりました。
最後に
今回の話のように、何本も自分に苦しみの矢を放ってしまうという自己否定的な思考が、そもそも癖になってしまっている人で、でも本当は「真実の世界」をありのままに生きていきたいという方は、もしかするとそのきっかけとなった出来事やトラウマが過去にあって、そのことと向き合ったり、そして自分自身と向き合う必要があるということにぜひ気が付いてあげてください。
そして、自我というマインドに振り回されてしまっていることによって、今苦しみを抱えており、スピリットというハートを使って生きる生き方へシフトする必要があるのかもしれないという気付きが、今後の人生を穏やかに生きていくための第一歩となると思いますので、たった一度の人生を「自分はどう生きていきたいだろう」ということを一度自分に問いかけてみてくださいね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
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