私らしく生きる
私は人間が大好きだ。
そして私は、魂が本当に私たちの中に一人一人あると思ってるし、輪廻転生を繰り返し、魂を磨いていると思っている。(はーい、怖くない、怖くない)
そして、その輪廻転生はグループ転生で起こっているという話を信じているので、今世出逢った人は前世も一緒だった人たちだし、来世でも一緒だって本気で信じている。
だから、今世出逢った人たちにはどんな人でも「また私を見つけてくれてありがとう」って思ってるし、いろんな事情でもう会えなくなってしまった人たちには「また来世で会おうね」と思うので、もちろん寂しいけれど、絶対また会えるを信じて感謝をしてから、なるべく執着はしない。
そんな私は、私を知る皆さんもご存じの通り、人間に対する「愛」が非常に大きい。それは本当に愛情深い父と母の間に生まれ、4人の兄姉に囲まれて大切に育ててもらったからだと思う。
困った人がいたら助けることは当たり前だし、大きな声でいつも挨拶をすること、勉強はできなくてもいいからとにかく人に優しくして、いつも感謝して生きていきなさいと教わって育った。誰かにいじめられても、「いじめる側じゃなくてよかったね」と言われてきたし、とにかくまっすぐに育ててもらった。
どんなに私を傷つける人でも、嫌な人でも、なにかしら自分に学びを与えてくれるし、こうして私の目の前に、私にとっての「悪役」として登場してくれる相手には、その瞬間はそうは思えなくても、時間をかけて「有難う」と感謝をしてその過去の出来事には執着せず、前を向いて進むようにしてきた。それは無理にじゃなくて、本当に心からそう思えるタイミングで思うようにもしてきた。
ただそんな私も、歳を重ねるにつれて私の愛情を人にうまく表現することが難しくなっていた。「人たらし」と言われることもあれば、「勘違いさせるよ」と言われることもあった。男の人も女の人も関係なくただ「人間」が好きで、その存在が尊いだけなのに・・・「そんなんじゃ利用されるよ」とか「騙されやすそう」とかさんざん言われてきた。
そう。だから、私は「疑う」ことを身に着けてしまったのだ。
もちろん原因はそれだけじゃなくて、「裏切られた」と感じる体験から、無意識に自分から自分の世界に「裏切る人」を探してしまっていたし、その人たちを成敗しようと自分なりの「正義」を振りかざしていたこともあったと思う。
また、私の幼いころに周りにいた大人の男性たちは、どちらかというと気性の荒い人が多くて、普段優しい父もおじいちゃんも仕事のこととなると大声をあげて喧嘩をしていたり、怒ると怒鳴り散らすので「男の人は本当はとても怖い生き物」という思い込みも根強かった。
またいろんなトラウマもあって、実はいつも男性が怖かったのに加えて、幼少期の父の何気ない一言「一番最後は男の子だと思ってた」という言葉を気にして(※父はまったく悪気ない)私はずっと男性として生まれてきたかった・・・と男性への劣等感も強く、それならと女性として生きる自分の身を守るべく「女性らしく」生きること、また「媚」を売ることも覚えてしまったのだろう、、田舎育ちで本当は怖くない虫を怖がってみたりすることもあった。
しかし、きちんと心と向き合ったら、その無意識の自分の思い込みにも、意識して気が付くようになり、今では、自分の正義はだれかにとっての悪になることもあるし、私が成敗する必要なんてないことを知ったり、「女性らしく」「男性らしく」なんてだれが決めたわけでもなく、私だって山に登って泥だらけになって遊んだり、虫が怖いふりなんてしなくてもいいし、誰に対しても自分の気持ちはきちんと伝えてもいいこと、みんなただの人間で、誰がすごくて誰が弱いとかもなく、いつだって対等だから、嫌なことは嫌だといえるようにもなってきた。
だけど、ここ最近なんとなく「愛」を表現することに対して「日本人らしくしなきゃ」と、ずっと大切な誰かに愛を伝えるときは勘違いさせないように「人として」とかつけて、私にとって本当に大切な人たちへまで「愛」を表現することを出し惜んでいた。
でも・・・ある人に言われてしまったのだ。
『その「人として」傷つくよ。』
その人は私がオーストラリアにいたころお世話になっていたシェアハウスのオーナーさんでもあり、本当に家族のように大好きなお兄ちゃんでもある。その方の奥さんも本当に素敵な人で、自分の母と並ぶくらい女性としてすごく尊敬している。だから2人のお子さんが生まれたときも本当にうれしかったし、今でもSNSで成長を一緒に見守らせて頂いていて、ほっこりさせてもらっているので今回も久々に連絡をさせてもらった所だった。
「俺たちは家族じゃん」
その言葉を聞いて涙が止まらなかった。私の愛をただ純粋にそのまま受け取ってくれて、まっすぐに愛を返してくれた。
そういえば、私の周りには「利用する」とか「利用しない」とかじゃなくて、ちゃんと私の愛をまっすぐに受け取ってくれている人はたくさんいたのに、私は私のことを何もしらない人からの言葉に耳を傾けたり、本当に利用してくる人に怯え、一番大切にしないといけない人達への愛情まで出し惜しみをしていたことに気が付いた・・・。
そうだ。そんなの私じゃない・・・。
私はいつだって「最期」を意識して過ごしているから明日が当たり前にくると思っていない。
あと何回、大切な人に会えるのかな。
あと何回、大切な人に愛を伝えられるのかな。
そんな風に思えば、自然と愛のある言葉が出るし、愛を表現したいし、感謝を伝えたいと思ってしまう。
もちろん愛情の押し売りはいけないから、時と場合は考えるけれど・・・(抑えられてないよと思うかもしれないけど笑)
何を言っても何をしても、結局自分の世界を創っているのは自分で、相手の世界を創っているのは相手なんだから、私は私らしくいていい。
真っ直ぐな純粋な気持ちで愛と感謝を伝えたとき、届く人には届くし、こじれた届き方をしても、結局すべて相手次第なら、(ある程度のモラルはもちろん守るけれど)その時は届かなくても、来世もあるんだからそれでいいなと思った。そもそも私に損得とかそこに下心なんてないんだから。
私らしくない「」に対して、そう突っ込んでくれたオーストラリアのお兄ちゃんに「日本でいろいろ学んでしまったんです。」と伝えるとその人は教えてくれた。
「みんなに愛をばらまいて何が悪いの?俺は嫌だよ。そんな学び。」
オーストラリアにいたころ、朝リビングにいくと「さっちゃん元気?今日はなにするの?」と聞いてくれて「特に用事がないのでゆっくりします」という微妙な回答の私にも、ビックスマイルと共に「いいね!最高じゃん!!」と返してくれていたお兄ちゃん。その横には女神のように微笑む奥さんがいつも一緒にいた・・・当時それが本当にうれしくて、私もセッションの始まりはいつも「元気ですか?!」とそのオーストラリアのお兄ちゃんを意識して声をかけている。
人との出会いは本当にかけがえのないもので一生の「宝物」だと思う。
私はいつかのブログでも書いたけど海外の人ように、誰にでも愛を全力で表現するスタイルがやっぱり好きだし、沖縄の人たちのように人と人との距離が近くて、愛のあるコミュニケーションをとることもすきだ。大好きな本「アミ、小さな宇宙人」の世界のように純粋な「愛」でいっぱいの世界になったらいいのになあ~
さ、ということで本当に本当に出逢ってくれたすべての皆さん!
愛してます!!!出逢ってくれてありがとう!!!ビッグハグ!!
最大級の愛を込めて/Sachiko
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?