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誕生日によせて

8年前の夏、わたしは男の子を産んだ。

* * *

産まれる前日の朝、お腹が痛い…となり母に産院へ連れて行ってもらったけれど、「まだだから一度家に帰ってお風呂入ったりするといいね」と言われた。
その時は「確かにね、産んだらお風呂はしばらく入れないしね」と思って家に戻ったのだが、陣痛の感覚は段々狭くなり、とてもじゃないけれどお風呂に入れる余裕はなかった。

リビングのテーブルの下で襲ってくるお腹の痛みに耐える。
そして治まるとちょこちょことは歩ける。
父が「本当に何ともないときは平気そうにしとるんやなー」と妙なことで感心していたが、わたしにはお風呂に入るだけの安寧はなかった。

夕方までなんとかお風呂への望みを持っていたけれど「もう我慢できない!」となり、再び産院に連れて行ってもらい、そのまま分娩室へと入り、痛みに耐えながら服を着替えた(自分の部屋となる場所には出産後初めて入った)。

* * *

そこからの痛みはもうすごかった。

覚えていることは途切れ途切れだけれども、覚えている部分はカメラで写したように鮮明に焼き付いている。

分娩室で流してほしいと思っていたCDのメロディは1つも覚えていない(そもそも流れていたのか… どれにするのかあんなに考えたのに)。

そして、痛みの合間では落ちるように一瞬眠ることを繰り返す。まるで記憶を失う感じだった(母に「今寝てた?」と言われ、「ううん、寝てない」と嘘をついた。高校生の頃から一歩も成長してない自分を感じた… 習慣とは恐ろしいものだ)。

分娩台のバーを握りしめている左腕を右手で叩きすぎて、傷ができていることをなぜか冷静に見ている自分がいた(でもすぐに大きな痛みが襲ってくる)。

十二指腸潰瘍で胃の痛みに耐えたわたしだ!今回も耐えられるぞ!と謎の励ましを自らにしていた。

四つん這いだと少しは楽そうなのでそうしたい!と懇願したけれど、受けいれてもらえずガッカリした(一度は四つん這いを試してみたかった)。

* * *

母子手帳に記載されている分娩時間は15時間36分。

最後は「赤ちゃん疲れてきてるから、ちょっと押すね~」という助産師さんの声で、わたしの中のクッキリした記憶は途切れている。


そして午前7時30分過ぎに、息子は生まれた。


付き添ってくれていた母によると、我が子は産声をあげたらしいけれど全く覚えていない。
産まれた直後に、わたしのところに我が子を一瞬「産まれましたよ」と見せてくれたらしいけれど、全く覚えていない。
「ちょっと麻酔して切るよ~、はい縫ったよ~」と先生が言っていたらしいけれど、痛みもその感覚も全くない。
あの陣痛の痛みがなくなったことが何よりもありがたかった。
それに比べたらその他の痛みなんてないに等しかった。

* * *

出血が多かったとのことで、しばらくスタッフルームに一番近い部屋で休んでいて、出産後の朝食を目の前にしたけれど、ほとんど食べられなかったことが次の明瞭な記憶だ。

疲れていて…というのもあるけれど、出産時にバーを掴みすぎたためお箸もスプーンもうまく握れなくて、食べられなかった。
母と入れ替わりに来てくれた父に「わたしにお箸を持たせてくだされ…」と頼んだことはよく覚えている。
(でも掴めなくて食べさせてもらった…)

そして車いすで部屋に戻り(出血が多かったから、歩いたら倒れると言われ… わたしは全然そんな感じはしなかったのだけど)、しばらく休んだら、さっき産んだと思われる子が連れられてきた。

ふにゃふにゃで、どこをどう抱いたらいいのかわからない。何よりその前に、痛すぎて立ってベビーベッドまで行くのに一苦労。
富士山登山の際だって、60Km歩いた翌日だって、こんなに一歩に時間がかかることはなかった…

どうやってお乳をやったらいいんだろう?
なんか触ったら壊れそうなんですけど…
抱くってどこをどうやって?
泣いてもどうしたらいいかわからない…

ほぼ不安と心配、そして痛みを堪える塊となって、ふにゃふにゃしている子をまじまじと見た。


「髪の毛が多いな…」
それがまず思ったことだった。


さっきまでお腹にいたけれど、突然この世に現れたため、どうも自分の子という気がせず客観的に観察してしまったようだ。


それからしばらくは「自分の子」というより「どこか大切なところから預かった大切なもの」という感覚が抜けなかった。

* * *

そんな息子もありがたいことにグングンと成長して、身長はわたしの胸あたりまで伸びた。
この子がお腹の中におさまっていたとは…、といつも不思議な気持ちで見てしまう。

息子は話せるようになった頃、「お母さんを見て『この子にしよう』と思って来たんだよ。で、ながーい滑り台みたいのを滑ってきたの」と話してくれた。

だからか、「産まれてきてくれてありがとう」というよりは、
「選んでくれてありがとう」という気持ちの方が大きいかもしれない。

あの年の8月5日、わたしは母になった。



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