見出し画像

ほかにだいじなことってあったっけ? 無理しない。

コップの中の水が、いっぱいになって、あふれる。
今、まさにそんな状態。
コップの大きさが違うだけで、大人も子どももみんな同じだと思う。
つい3日前までは元気で、SNSを見て「すごいなぁ!こんなことができるんだ!」とか「今、大変な状況になっている人や お店を助けなきゃ!」「今、私にできることは何だろう?」とか「前向きに!前向きに!」と思ってたけど、ふと目にした言葉や出来事、誰かの返信や反応がなかったこと、予定していたことができなかったこと…、些細なことで、一気に何かがあふれだしてしまう。
そして、何もかもストップして・・・
・・・ストップしてる自分を責める・・・

最近、私はその繰り返し。

今週は割と元気だった。
子どもと一緒に一日の時間割を考えたり、読書ノートつけたり、給食献立表を参考に「晩ごはんの献立表」を作ったり、朗読の企画立てたり、Zoomをやってみたり。

でも、SNSには、基本いいことしか書かないようにしてるしさ(笑)、「○○しなきゃ」という声に急き立てられている気がしていたので、「無理しない」を今週のキーワードにしてみた。
先週よりもちょっとだけ楽になった。
いろいろ気になるし、焦るし、必要以上にどうでもいいことに腹が立つし…
何よりも、医療関係以外の「動いてる人・頑張ってる人・すごい人」を見て焦る気持ちが、少しだけ楽になった。

ひとりひとり、コップの容量が違うんだもん、ね。
私は割とコップが小さいから すぐあふれるけど、ジャーッてこぼして空にするのが早いから、元に戻るのも早いのかもしれない。
でも、コップの容量(おちょこ?マグカップ?タンブラー?ジョッキ?)も、「どんなこと」でその水があふれるのかも、人によって違う。

今、「自分と、自分の家族(小さな単位の周りの人)を守る」
これ以外に何か「しなければならない」ことはないのではないか...
という気がする。
「守る」の定義も、人それぞれだけど、
私は「守る」とは「そこに、それが在ることへの感謝」かなと思っている。

3年ほど前に、自分ではどうすることもできないことが起こり、家族が一緒にいられないかもしれない状況になったとき、一番最初に実感したのは、「自分が家に帰ったとき、みんなで笑っていられる」ことの、「ありがたさ」だった。

「いってきます」って家を出て、「ただいま」って帰ってくる人が、無事でいる。
「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえりなさい」と迎えてくれる人も、無事でいる。
そして、両方が笑っている。
それ以上、それ以外、望むものはないのではないか。

おうち時間。
家の中で、みんなが笑っている。
それは「有難い=ありがたい」ことだ。
「当たり前」のことなんか、何もない。

私の好きな本、おーなり由子さんの「だんだんおかあさんになっていく」の一節に、とても素敵な言葉がある。

たくさん わらおう
たくさん うたおう
ほかに だいじなことって
あったっけ?

「~しなければいけない」が多い あなた。
あなたがとっても頑張っているのは、
自分(わたし)がよく知っています。
「無理しないで」ほしい。

いま、私にできること、
いま、わたしたちが「しなければいけない」ことは、
そんなに 難しいことではないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?