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「働く」って、楽しくラクに好きなことだけやるってことだよね|その3

こういうプロセスを経て、はじめて配属されたのだけど、若いうえに根っからのお気楽な性格が災いして、当時の私はまだこんなことを思っていた。

「研修は大変だったけど、やっぱ働くって、楽しくラクに、好きなことだけやるってことでしょ?」

アホである、ほんとに。研修で気づいてくれ。

若いって、気楽って、基本的には素晴らしいことだけど、この頃の私に限っていえば、ただの鈍感&アホだ。

初日は説明や簡単な仕事を頼まれたくらいで終わって、いい人ばっかりでよかった~なんて、一緒に配属された同期と安堵して、ホクホクで帰宅。

で、次の日から徐々に現実を思い知る。

まず、朝から全社員のデスクと電話をぞうきんがけして、床に掃除機をかけ、給湯室を掃除し、役職会議でみんなにお茶を出せという指令が出た。しかも、始業までにやり終われと。

昼休憩は60分あったけど、まともに60分休んだら怒られる時代であり職場だったので、実質は30分のみ。始業も定時より1時間前に出社し、終業は定時より2~3時間後が当たり前だった。

そう、「当たり前」だったのよ。だって、みんなそうだし、そうやって新人時代を過ごしたし、そういう時代だった。そういう時代だ、そういうものだと上から言われたら、従わざるをえない社風があり、それが業界の「出来て当たり前」だったし、それが「ごくごくフツー」だった。

私の思う「仕事」に、早出も残業も掃除も入っていなかったから、フツフツと疑問を抱くも、それを口にして上にぶつけるほど強くもなかった。だから、私は年がら年中、このフツフツと顔を突き合わせていた。

社会で仕事をして生きるとは、なんと窮屈なんだと20代前半の私は愕然とした。就活の時に提示された雇用条件はどれもウソで、でもウソであることが「フツー」で「当たり前」。「そういうもんだから」という、よくわからない理由で、無理強いされることがとても多かった(ように、当時は感じていた)。

まるで「フツー」という籠の中に入れられて、出口を塞がれたみたい。

そんな風にエモく自分をかわいそうに思えたのは、若さゆえかもしれない。

小脇に抱えた、フツフツと静かに煮える不満とともに迎えた社会人2年目の夏。私の「働く」に大きな影響を与えてくれた恩師と出会うことになる。

・・・・・・のだが、これはまた次の機会に。
今日も読んでくださりありがとうございます。


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