見出し画像

自分の「好き」に向き合って辿り着いたライターの仕事

こんにちは!高知県高知市のフリーライター「ことのは舎」です。

2021年6月からnoteを始めて、6ヶ月が経ちました。
同時期にフリーライターとして独立したので、noteの作品は私のフリーランスの歴史そのもの。
でもまだ自己紹介記事を書いていなかったことに、今さら気づきました。

フリーライターの仕事に就いた経緯などを交えつつ、「ことのは舎とは何者か」について紹介したいと思います。

物語の世界が大好きな「本の虫」の子ども時代

◆先生に「外で遊びなさい」と叱られた思い出

私は幼少期から本が大好きな子どもでした。
小学1年生になって図書室が使えるようになると、そこはまさにパラダイス。
小説・伝記など、たくさんの本を読み漁りました。

その頃大好きだったのは、「こまったさんシリーズ」と「かいぞくポケットシリーズ」、そして「ナルニア国物語」。

休み時間も本を読んでいたら、先生に「外で遊びなさい」と叱られ、私が全然態度を変えないために、母も小言を言われたそうです。

でも教室の片隅で一人黙って読書していたわけではなく、友達とは人並みに仲良くやっていたので、外野の声はあまり気にしていませんでした(笑)

◆ミステリー小説にどっぷりハマった中学・高校時代

中学に上がると、ミステリー小説を読むようになりました。
ファンタジーやホラー・SFなども読みましたが、やっぱり一番ワクワクするのはミステリーの世界。

色々なトリックや謎解き、犯人は誰?と考える楽しさ。
そんなハラハラドキドキな物語が書ける小説家の人たちを尊敬し始めたのも、この頃からです。

特に好きだったのは、赤川次郎さんと東野圭吾さん。
古本屋に行っては片っ端から買い漁り、私の部屋は文庫本だらけでした。

読書で色々な文章に触れたおかげか、自分自身も文章を書くことが好きになり、学生時代には読書感想文や作文コンクールでいくつか賞もいただきました。

母や先生たちに「あなたは文才がある」と褒めてもらい、将来は文章を書く仕事に就けたらなぁ…とぼんやり考えたことも。

でも、それはまったく具体的な目標ではなくて、まだまだ目線は一読者。
部活に勉強に忙しい中でも、時間があれば本を開くことが私の楽しみでした。

運命を変えた大学時代の出会い

◆海外留学で自分の未熟さを知る

本好きが高じて、大学は文学が学べる学科に進学しました。
当初は日本の古典文学を勉強するつもりでしたが、英語の作品も面白いことに気づき、専攻を英語に変更。

そこから英語学習にどんどんハマっていき、在学中にイギリスへ留学、卒業時には英語で論文も書きました。

海外の人と接する中で感じたのは、「自分はとても子どもじみている」ということ。
将来の明確な目標もなければ、絶対に成し遂げたい夢もない。
なんとなく大学に進学してきて、何も考えずに就職活動をしようとしている受け身な学生。それが私でした。

そろそろ物語の世界から出て、自分の現実を見つめなければ。
そう思い立ち、とある会社のインターンシップに応募します。

◆インターンシップが生き方を見直すきっかけに

高知県にある、ネッツトヨタ南国株式会社。
全国的に有名なトヨタのカーディーラーで、トヨタ販売店でおもてなし日本一の栄誉を15回以上勝ち取っている会社です。

インターンシップの内容も、県内の他企業とは一線を画す厳しいもの。
でも、自分を変えるなら今までとは180度異なる環境に追い込みたいと思いました。

他のインターン生に比べれば落ちこぼれの部類だった私ですが、ネッツトヨタ南国の流儀から学んだことがたくさんありました。

  • 当たり前のことも本気でやる、それこそが一流の人間

  • 周囲の人と協力しながら何かに挑戦することの意義

  • 現在地を見定め、目標に向かって努力を続けることの大切さ

何事も受け身で、自分に自信が持てなかったそれまでの人生。
それはなぜか…「自ら挑戦をしていなかったからだ!」と腑に落ちたのです。

そこから残りの大学生活は、たくさんの経験をし、多くの人に会い、自分の夢を見つけていくことに時間を使いました。
人生の中でも、かなり充実した時間の使い方ができた経験でした。

目標を見失った新卒時代、そして転職

◆高知で就職のつもりが…まさかの東京転勤

大学時代のインターンシップを通して、「私はやっぱり地元が大好き。だから、高知を元気にする仕事がしたい」という目標が生まれました。

その想いを軸に就職活動を行い、IT系企業に就職。プログラマーになりました。

それまで文系で歩んできた私が足を踏み入れたITの世界は、専門用語が飛び交い、先輩の言うことがほとんど理解できない毎日。

それでも真面目さだけが取り柄の私は、独学で仕事に役立ちそうなIT系の資格を取得しながら、少しでも役に立てるよう頑張っていました。

でも就職してすぐに、東京への転勤が決定。まさかの出来事でした。
本当は高知から離れたくありませんでしたが、それでも前向きに頑張りながら、慣れない土地で暮らし始めました。

仕事の知識が増えていくことは嬉しい反面、残業や徹夜が当たり前の業界で働くうち、体調を崩し持病が悪化。

何のために頑張ってきたのか、私が本当にやりたいことは何か?
それらを完全に見失い、働く意味がわからなくなってしまいました。

地元が大好きだから、ずっと高知で生きていって、自分の目標も叶えたい。
そう思ってITの仕事に就きましたが、高知から離れてしまっては、目標を見失うのも仕方がないことだったのかもしれません。

◆地元へのUターン転職で、やりたい仕事に就けた

考え迷った末に、3年ほど勤めた会社を退職し、地元・高知に戻ることにしました。
就職活動のときの「高知を元気にする仕事がしたい」という希望を、今度こそ叶えるためです。

そのころ今の夫と結婚して、2人で新しい生活を開始。
同時に、私の希望が叶う仕事へと転職が決まりました。

その会社には7年ほど勤めましたが、仲間に恵まれて仕事内容もやりがいがあり、非常に充実した日々でした。
7年の間に2人の子どもを授かり、仕事・育児・家事と、忙しいながらも幸せな生活を送っていました。

「好きを仕事に」フリーライターの道へ

◆子育てと仕事の両立が困難に

しばらくは順調な日々を送っていましたが、2人目の育児休暇から復帰した頃から、また持病が悪化し始めました。

朝は2人の子どもを保育園に送り届け、仕事をして夕方子どもと一緒に帰宅したら、食事づくりにお風呂に寝かしつけ。
子どもが寝るまで休む暇もない生活に、どんどん体調は悪くなっていきました。

多くのお母さんたちがこなしていることを、当たり前にできない自分の不甲斐なさ。
ダメな母親、ダメな妻なんじゃないかと自分を責める毎日でした。

このままでは子どもたちに悪影響が出るかもしれないと考え、思い切って夫につらい気持ちを打ち明けると
「仕事にやりがいを感じているのはわかるけど、今はゆっくり休むのを優先して欲しい。そのために自分にできることは何でもする」と言ってくれました。

好きな仕事から離れるのは、とてもとても悩みました。
でも、子どもたちにとってママの代わりはいないし、家族が笑顔で暮らすためには、私の健康はとても大事な要素。

職場の上司にも相談したところ、事情を理解してくださり、私がいなくなるのはとても寂しいと言ってくださいました。
そして2021年5月、大好きだった職場を退職しました。

◆昔の夢を思い出し、ライターになることを決意

私は元来、じっとしているのは性に合わないタイプ。
会社を退職したあと、これを機に何か新しいことを始めたいと思いました。

とはいえ、自分の体調が万全でないため外で働くことは難しい。
加えて、下の子は保育園でよく風邪をもらってきて熱を出すので、いつ看病が必要になるかも読めない状態です。

そうなると、家にいて自分の裁量である程度仕事をコントロールできる、フリーランスが選択肢の有力候補になりました。

では肝心の仕事内容はどうするか?
せっかく独り立ちしてやっていくなら、自分の好きなこと・得意なことを仕事にした方が楽しいんじゃないかと思いました。

そこで思い出したのが、学生時代にぼんやり考えていた「文章を書く仕事がしたい」という夢。
思い返してみると、文章を書いているときに私が感じる充実感は、仕事で得られる充実感に近いものがあると考えました。

私は特別な資格は持っていないけれど、コツコツ地道な努力を続けることと、わかりやすい文章を書くことは得意です。
それから集中力の高さも、少し自信がありました。

フリーライターの仕事について調べ、ランサーズの存在を知るうちにわかったのは、ライターの仕事は今やかなり身近になっているということ。

本当に私にできるのか不安…収入につながるのかな…などなど
色々と言い訳をして叶えてこなかったけれど、実行するなら今じゃない?と思ったのです。

夫は、私が元気でさえいてくれれば好きなことに挑戦したらいい、というスタンスで理解があるのはありがたかったです。

◆夢が叶い、家族との時間も増えて毎日が充実

文章を書く仕事は、思った以上に楽しいものでした。

  • 自分が考えて書いた文章で、クライアントが喜んでくれること

  • クライアントの持つ考えや想いを、文字で表現し形にできること

  • 読んだ人の悩みの解決など、なにかの形で役に立てること

これらすべてが私のライターとしてのやりがいです。
好きなことだから、さらに上達したいと思うし、努力も苦ではありません。

もっとわかりやすく、もっと良い情報を、もっと良い表現で。
それらを突き詰めていく作業は、私にとっては自分らしさを表現するひとつの方法だと思うようになりました。

フリーランスになったのと同時期に、私はランサーズの「新しい働き方LAB」に仲間入りしました。

新しい働き方LABは、地域や職業の垣根を越えた様々な人がつながり・気づき・学べる共創型コミュニティ。
この中で実施された「研究員制度」で、自分でテーマを決めて働き方を実験してみようというプロジェクトに参加しました。

私は「子育てとフリーランスの両立」をテーマにしました。
子どもが小さいうちはしっかりと子育てに向き合いながら、ライターとしてキャリアを築くことも諦めたくないと思ったからです。

▼ 研究員活動の詳しい内容は以下のnoteにまとめています ▼

半年間の活動で一番大きな収穫は、自分にとって最適な子育て・仕事・家事のバランスが見つかり、生活にメリハリがついたこと。

仕事のために子どもに我慢をさせない。
子育てのために働くことを我慢しない。
その両方が叶うライフスタイルの実現に近づいたと思います。

最初はフリーランスでやっていけるか不安でしたが、新しい働き方LABではライターに必要なスキルがたくさん学べました。
今では固定のクライアントもつき、仕事は軌道に乗っています。

さいごに

私はもともと、誰かの役に立つことで自分も幸せを感じ、仕事にやりがいを感じられるタイプです。
私が書いた文章でクライアントのサービスや商品の魅力が伝わり、読者がファンになってくれたら、もっと嬉しい気持ちになります。

それが、ライターの仕事で使っているキャッチコピー
言葉で人と人のご縁をつなぎたい」につながっています。

好きなことを仕事にすると続かない、などとよく言われますが、私の場合は「好きな文章を書いて誰かの役に立てるなら、これ以上嬉しいことはない」と思いながら、日々ライターとして活動しています。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
これからも「ことのは舎」をよろしくお願いします。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?