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あとがき{同等条件世界}

初めに、同等条件世界を最後までお読み頂き誠にありがとう御座います。

この同等条件世界は条件世界シリーズの第五作目となります。

そして、タイムトラベル第二弾となります。

時間軸は、前提条件世界より少し後。

一章では生きることに希望歩見いだせなくなっていた智之が早苗たちと会うことで、その希望を取り戻していきます。

二章では、同族の五神家派系たちに襲われながらも直系たちに助けられ、何とか平穏に落ち着く風太たち。

しかし、三章からは流れが大きくが変わっていきます。

新野は過去の世界でどんどんと排他されていきます。

最初はとても些細なきっかけでした。

おそらく、事情を正直に話し、謝罪と誠意を見せれば収まったでしょう。

現にビジラ王はその機会を作ろうとしてくれていました。

しかし、新野はその手を振りほどきました。

新野は明確な理由があり、意図的に振りほどきましたが、現代では無自覚に振りほどいていることがままあります。

人生はこうした無自覚な選択の失敗が後々になって響いてくることがよくあります。

最終的には龍一も心の中で思っていましたが、何処かの恋愛ソングのような状態にまで状況は悪化しました。

こうした状況に陥った時、とても活躍したのが前提条件世界で最強のクルデーレでした。

彼女は新野たちを導き守り切りました。

前作の継承条件世界では圧倒的な“能力的強さ”として超条件世界の人たちが条件世界にタイムトラベルして強さを見せつけましたが、今作では彼女たちが圧倒的な強さを見せてくれました。

ですが彼女たちの力は能力だけを見ると条件世界の彼らとほぼ変わらないのです。

では何故これほどまで強さに差が出るのか。

それは“経験”です。

人を殺した経験。

殺されそうになった経験。

何度も殺した経験。

こうしたあらゆる経験からくる慣れが、彼女たちからあらゆる迷いや躊躇いを拭い、最強たらしめているのです。

終盤にクルデーレはありえない数の兵士と能力者たちに命を脅かされましたが、先守や龍一たちが来るまで命を繋ぎました。

常人であれば、何をどうすればいいか分からない状況で、彼女は必死に考え、それを実行し続けることで、対抗したのです。

人は生きることが出来て当たり前か、生きることが出来なくて当たり前か。

彼女は龍一たちにこのような問いをぶつけました。

これは現代でも考える価値のある問いだと私は思っています。

今でこそ人は生きられることが当たり前だと言わんばかりの高度な文明を手に入れました。

しかし、歴史から見るに人間は奇跡と偶然を知恵によって積み重ねて今日まで種を繋いできました。

つまり、昔は生きることが出来なくて当たり前だったのです。

これを言うと大体の人が、そんなことを考えて何になるんだと思う事でしょう。

しかし、私はそうは思いません。

なぜなら、人間は昔からずっと人間だからです。

もう少し詳しく言うと、人間はずっと昔から性質を変えずに時を超えてきているから考える価値があると考えているのです。

人間はどうやってここまで長い間存続してきたのか。

それは、自身の取り巻く環境を自身にマッチするよう、カスタマイズし存続してきたのです。

つまり、根本的な問題は何も変わっていないのです。

対処療法。

人間は対処療法で種を繋いできた。

だから、心臓が止まれば人間は死ぬといった絶対的な事実はずっと昔から変わっていない。

自身を取り巻く環境が全て無為になるような事態に陥れば人類はあっという間に、生きることが出来なくて当たり前だった時間軸に引き戻されるのです。

大震災などがいい例です。

食事がとれなくなれば死ぬ。

水の中で息が出来なければ死ぬ。

病気になって死ぬ。

人はこうした時に、命が簡単になくなることを知るのです。

クルデーレや塵鳳、冷霧、蒸雨はこういったことを身に染みて知っています。

逆に霜太や天露は少しそういったことに乏しいです。

長々と語ってしまいましたが、私が今回書きたかったのはそうした経験を持つ者達の本気です。

その者たちが、本気でぶつかった時の強さ。

純粋に能力が高いだけではない、その能力をどう工夫し生きてきたのか。

そこからにじみ出る魅力を見てみたかったのです。

最後に、条件世界シリーズは次でラストとなります。

ここまで超条件世界の人たちが条件世界の世界に、条件世界の人たちが前提条件世界にといったパターンを書いていきました。

有名なタイムトラベル作品も第三部まであります。

ネタバレになってしまうのでこれ以上は書きませんが、これだけは言っておきます。

楽しみに待っていて下さい。

それではまた・・・。

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