天使たちとの最終戦線(終章、井の中)
俺は社会に出てある程度経つと無職になった。
これは別に俺が仕事で何か大きな損害を出したとかが理由ではなく、ただ単に契約の問題でだ。
元々俺の最初の職場は産休の人が戻ってくるまでの間の繋ぎということで俺を雇ってくれていた。
そういう契約で両者合意し、労働契約が成立していた。
その為俺は無職になったのだ。
産休に入っていた人が2人も職場に戻ってくるのであれば流石に俺に居場所はないだろう。
ということで俺は円満退社をした。
しかし、ここからが中々に大変だった。
最初は毎日が日曜日、エブリデイホリデイということで人生初めての何者にも邪魔されない日々をゲーム三昧、夜更かし三昧、睡眠三昧で過ごしていたが、半年たったあたりから仕事が見つからないことに多少焦り始めた。
こういう変わらない日々にこそ運の良し悪しが如実に見えてくる。
面接を数十回と行き、履歴書を手に持っているのに名前を間違えるような面接官に当たってしまったり、面接に行ったらこんなに早く来る予定じゃなかったんだけどな・・・と言われたり、同時期にクソも無職になったりと、良くないことは必ず畳み掛けてくる。
よく大人になってからの方が辛いと言うが、俺の辛さはこうした場面でも中学時代の最高潮から更新されなかった。
この程度なら5割だ。
結局俺は1年強仕事が見つからなかったがそれでも毒親時代の全盛期には遠く及ばない程度の辛さだった。
食べるものはなんとかなるし、時間的余裕もある。
邪魔もされない。思考できる余地も十分にある。
毒親時代全盛期は虐待をしてくる親でも我慢しなければ食べ物すらままならないし、朝怒られ、日中は無能な教師とキモイ同級生がいる学校、休日は昼も怒られる。夜も怒られ、風呂に入っていても、あまりに遅いと怒られる。
時間的余裕はないに等しかった。
俺の辛さの基準はそんな毒親時代全盛期。
だから、1年程度無職になった程度では生活が脅かされることはない。
予め、こうなることを想定し貯金は溜めてある。
食事は1日1食に制限すれば問題ないし、保険料だって滞納はしない。
最悪、後1年はこの状況が続いても巻き返しは可能。
俺は久々の逆境に少しワクワクしていた。
昔はどうしようもなかったが、今なら結構めんどくさいと感じる程度で熟せる。
本気を出せば余裕だ。
今まで何年こうした時間を過ごしたと思っているんだ。
毒親時代全盛期を懐かしみながら、俺は無職を難なく乗り越えた。
さて、ここでそんな毒親時代全盛期を象徴するクソについて紹介していこうと思う。
理由は毒親育ちの人がどれだけの不条理や悪条件で普通親育ちの人と同じように生きてきたのか、少しでも実感してもらう為だ。
はっきり言うと、現実を見たうえで口を開けということだ。
ということで俺が知っている限りのクソの変遷を話していこう。
まず、俺がまだ幼稚園に行っていた時代。
この時点でクソは自己破産をしていた。
理由はクソの姉夫婦と共同名義にしていた(この時点で意味が分からないが)家から姉夫婦が飛び、それが払えなくなったからだ。
その家は後々、子供にワンコインお年玉をあげるババアも済む予定の家だったが、姉夫婦が飛んだことでその家のローンが払えなくなり、自己破産となったのだ。
共同名義と言っても、当のクソは何故か俺と母で月10万、2K(ここの2Kは決して見間違いではない)のオンボロアパートに住んでいて、そのアパートの家賃も母が払っていた。
そして、クソは当時真っ黒動物の運送会社に勤めていたが、会社でいざこざがあったらしく、退職金も受け取らず辞めるという、ふてくされたクソガキのような行動をしていた。
子供がいるにもかかわらず、一時の感情に身を任せ行動するクソのこれはもう気質だ。
ここからクソは履歴書に書ききれないほどの転職を家族の金を使って繰り返していく。
しかも、お金が必要になる節目節目で。
小学校の頃には、オンボロアパートからオンボロマンションに移り住み、妹が生まれ、同級生にお前のお父さんはいっつも家にいるねと言われたり、みぞおちに肘を入れられたりした。
中学時代にはそんな家庭と学校の落差に絶望と殺意を抱き、母親に怒鳴られ続けた。
今客観的に見れば、俺の家庭に福祉的支援が必要なことはよく分かる。
だが、下手に無能が介入するとかえって危険が悪化する状況なのは明白で、毒親側にも立ってあげてという声があるだろうが、俺はそうした発言に殺意を覚える。
そして立つ必要はないと思っている。
正確に言うと、毒親から被害を受けた者に限っては立つ必要にないし、立とうとしなくていいし、立てないのが当たり前だと思っている。
これをすべきなのは、支援として介入する者だけだ。
そして介入する者も、生命の安全が脅かされない限りが条件に付くと思っている。
世界にはボランティアという意味の分からない立場がある。
無償でやってあげる人々。
批判を覚悟で言わせてもらうとボランティアのすべてがキモイと俺は思っている。
やる人もキモイし、この言葉が存在すること自体キモイ。
きれいごとのままごとごっこをやれるほど恵まれた人によって構成された概念。
人間心理も合理性も無視した、まさに理想を体現したかのような概念。
非現実的。
労力に見合う対価を支払わない、安易に認めるべきではない概念。
人の心と生命を守る為にもこうしたきれいごとはない方が良いとさえ思う概念だ。
ボランティアをする人は頭がおかしいと俺は本気で勝手に今も思っている。
まぁ、本心ではそう思っているが建前ではそうした理想を謳い続けていくことで実際に理想を実現するのが大切だとかほざいていくのだろうが。
こうしたきれいごとによって、現実の認識はずれていく。
ほざくな、さえずるな、じゃあどうするんだよ。
心が痛くなる?
だから?
痛くなったから何なの?
口では何とでも言える。
行動が伴わないなら、黙れ。
やるのは誰だと思ってるの?
やれたとしても、それは無理なく誰でも継続できる形になっているの?
奇跡を当てにした不安定な理想は、人の心に絶望を与える。
やってくれると思っていたのに。
終わると思っていたのに。
出来ると思った後にやっぱりできないと思い知らされた時の絶望は人の心を深くえぐり、再起不能なほど傷つける。
無慈悲を感じさせないことは心の平穏を保つうえで非常に重要だ。
人の心は簡単に変更が出来ない。
そして変更出来たとしても、その範囲には限界がある。
俺は子供ながらにそのことを知っていた為、自分の心に致命傷を与えない為、高校は無理に冒険せず、勉強を碌にしなくても卒業できそうな高校を選んだ。
理由はこれから先(中学時代から見た高校生活3年間)の時間軸で今以上の危機が来た時の保険だ。
高校生活3年間で、勉強すら手につかなくなる事態が来た時、もし頑張ってついて行かないと落第する環境ならすぐに俺は終わる。
つまり、リスクを想定して予め常時少しの余力を残したスタンスを俺は取って来たのだ。
結果見立ては当たった。
高校時代、俺の人生の明暗は決まった。
クソの心を再起不能なまでに壊すことで、力関係は変わった。
俺は昔、軽い未来予知が使えた。
高校の頃は2週間後、専門学校時代は7か月後を最大予知できた。
この未来予知で俺は専門学校時代、俺に好意を向けた女性とは今後仲良くなることはないと初対面で悟った。
そして、高校時代クソは何を思ったのか子供の金を使ってタクシーの運転手になった。
子供の金を使って当然と言っていたのはこの時期だ。
そしてその仕事も長くは続かず、辞め、その時クソは2か月ほど行方をくらました。
この頃からクソは仕事を辞めると行方をくらます癖がついていく。
勿論連絡が一切つかない。
そしてだんだんとおかしくなっていく。
家にある食べ物を勝手に食べ(正確には盗み)、人のドライヤーなどを壊してごみ箱に捨て、決して謝罪をせず、仕事を無断欠勤することを繰り返し、クビになるのを繰り返していく。
少しでもみじめだと思って手を差し伸べると付け上がり、調子に乗る。
この頃の俺の家には泥棒がいたのだ。
しかも調子に乗った泥棒が。
しかし親族間の窃盗は親族相盗例により免除される。
つまり、買ってきた夕食を、飲み物を日常的に盗まれようが、いきなり盗まれようが罪には問われないのだ。
こうした犯罪者に有利な法律によって社会は衰退していると思う。
もう働けないのなら、生活保護を一人で受けることを提案しても、それは決して認めない。
家の名義がクソにある限り、クソが働いていない間の保険料を払わなければ特別催告状、督促状が届き、クソの財産没収ということで住む家が無くなる。
妹の高校受験や大学受験で金が要りようの節目節目で無職になり、そのたびに前記の構図に落ちる。
そのたびに俺の貯金から金を出す。
そこにしか金が無いから。
これは夢でもなんでもなく今起きている現実の話。
理想は大いに結構。
だが、あなたは理想に生きているの?
現実に生きているんでしょ?
だったら現実に起きている問題にああやこうや言ってないで解決していかないと。
答えを出さないと。
これは現実に生きるあなたの問題。
俺の中の天使はこう言っている。
その為俺は、このクソを家庭から切り離し、かつクソの権利もある程度尊重する方法を考えた。
それは離婚を事由にした名義変更。
今住んでいる家は俺が高校生の頃にローンを組んだ家。
名義はクソ。
この名義をクソから母に移し、クソには生活保護を取ってもらう。
問題は幾つもある。
まず、ローンが残っている家をおいそれと名義変更出来るか。
これはクソの単身名義ならかなり希望が薄いが、ローンを組んだ際、母の名前も入れ、共同名義にした気がすると言っていた為、その場合なら僅かだが希望があるだろう。
次に名義者の収入問題。
これは俺を共同名義者に加えることでかなり可能性があるだろう。
高校生の頃には使えなかったが、就職した俺にならば適応できるだろう。
一定の収入を見込める者が2人払っていくのであれば、通る可能性は高い。
またしても、俺の結婚できない理由が増えるが、俺は結婚より生命の安全が第一だし、俺自身居心地がいいから特段問題はない。
不幸なのはむしろ、俺を好きになる人だろう。
彼らはもう必要ない。
俺はこの時、ブッピラの言っていた俺たちの存在は最終的に完全に忘れてもらわないと困るという言葉の真の意味を理解した。
人間である俺はどうしても天使とずっと一緒にいることは出来ない。
どんなに仲が良くても俺は人間でビランチやイプノやグラント、シェンスは天使。
俺は人間として生まれ生きている以上、天使たちの世界にはいられない。
最終的に俺は人間として生きていかなければならない。
天使という理想の世界ではなく、現実の人間と現実の世界に人間として生きていかなければならない。
それが出来るようにならなければ本当の意味で幸せは手に入らない。
現実の世界で実際に存在する人間と向き合わなければ、これから先、いつかどこかでつまずく。
理想でごまかせるのは脳の機能が最高潮に働く20代まで。
脳の機能で心の平穏を保っている今の構図が成り立つのも20代まで。
人は必ず老いる。
人間の生得的な反応を利用した人格術も最高のパフォーマンスが発揮できるのは体が若々しいうちだけ。
これから今よりも長い時間を過ごす間に俺の体はどうしたって老い、さまざまな新鮮さを失っていく。
つまり、若気の至り前提で考える段階から、出来るだけ無理をしないスタンスに気持ちも行動も切り替えていかないと命にかかわるのだ。
人格術で身に着けた技術の多くはこうした若気の至りを前提にして成り立っている。
無理をしても、若さの回復力でようやくプラマイ0になっていたリスキーな技術。
ということはこの回復速度が落ちれば当然成り立たなくなる。
だが今はそうした戦場のような立ち回りはしなくても生きていける。
現実世界ではそうした技術が必要になる経験は毒親家庭以外でしたことが無い。
寧ろ、今の時代は平和そのものだ。
毎日食べるものが選択できるし、なんならその候補が多くて悩むことが出来るほどに豊か。
好きな場所に住める。
好きな布団で寝ることが出来る。
お菓子が食べられる。
アイスが食べられる。
お風呂に入れる。
ゲームが出来る。
医療が受けられる。
本が読める。
人がいる。
死に老衰という選択肢がある。
安楽死が出来る(ある特定の国に限るが)。
それら概念が言葉として表現できる程、一定の認知が人類全体に存在している。
人格術が無くても俺は幸せに生きていけるかもしれない。
俺は大海に出て直感し、井の中で改めて実感した。
これほどに豊かな世界は過去に生きた人類が積み重ねてくれなければ見ることが出来ない世界だ。
人格術は所詮一子供の夢物語。
現実を知らない子供がこれでもかと理想を詰め込んだ、技術なのかも疑問な出来事。
確かに、現実に影響を及ぼす程度の力は発揮すれど、それはもう過去の話。
経験としては極上であったが、俺はこれから自分の年齢より長い時を生きていくことになる。
天使たちも人格術もどんどん過去になっていく。
何もすべてが無意味になったわけじゃない。
天使たちのとの記憶や人格術の経験は確実に自身の糧になっている。
俺は自分だけの世界を、安全基地を作ったうえで自分の年齢より多い余生を過ごすことを決意し、これからの時間軸を生きるのであった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?