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差別の差別


よく差別的な発言に対して、理路整然風に反論している障害者の光景をネット上で見かけるが私はこの両者に対して“対面では絶対に会いたくないな”と思ってしまう。

ここで皆さんは疑問に思っただろう。

何故両者に会いたくないのだろう?と。

理由はいくつかある。

一つ。確かに、差別的発言は良くない。

私も肯定するつもりはない。

しかし、世の中には必ず一定数差別的な思想を持つ者はいるし、その者全てが頭がおかしいというわけではないこと。

これを理解していないように見えるからである。

あまりいい例ではないが、世間で言われている障害者はとても差別にさらされやすい環境にある。

しかし、だからといって差別していいわけではない。

法律でもそういったことは規定もされている。

しかし、ここで考えてみてほしい。

何故差別をされるのか。

理由としてまず挙げられるのは、障害への理解が足りない。

これは福祉関係の方々が毎日必死に活動を行っている。

だがどうだろう?それでも差別がなくならない。

私はこの理由について勝手にこう考えている。

怖いから差別をするのだと。

もちろんそのような理由で差別していいということには絶対にならないが、この部分については一考の価値はあると考えている。

本能のどこかで障害を抱える人の姿が怖いから、普通といわれる人々はその恐怖に反応し、普通ではしない発言をしているのではないか?と。

こうなると、差別という行為は良くないことだが、それをする人自体は一概に悪いとは言えなくなってくる。

穿った見方をすれば“差別的な視点があることがおかしいから正すべき”と障害を盾にして普通の人に今までされた差別の憂さ晴らしをしているようにも見える。

こうした正論とも極論ともいえる正しさの皮をかぶった、普通差別主義者の影を節々から感じるため、どちらも会いたいと感じないのだ。

まあ、実際会うこともないのだが。

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