他人に求めるなら自分にも
皆さんはこのタイトルを見た時どう思っただろうか?
“まあ言っていることは当たり前じゃね?”と思ったり“人間そんなに公平に出来てない”と思ったりしただろう。
しかし、今回はこの言葉の正しさを主張したいわけではない。
この言葉の有効性を主張したいのだ。
この言葉は今日からでも行えるかなり有効なマニピュレーター撃退スタンスを端的に示したものである。
解説していこう。
まず、この“他人に求めるなら自分にも”というのは“相手に対してメリットを求めるのであれば、その求め主であるあなたも、こちらが与えるメリットとはまた別の形のメリットを、同等にして与えるべき”というものである。
これは社会人にとっては仕事をする上で、口には出さないものの当然のスタンスの一つと言えるだろう。
五分五分といえば分かり易いか。
このスタンスは仕事では当たり前だが、プライベートでは当たり前ではない。
しかし、マニピュレーターは常にこのスタンスを取り続けている。
彼らは常に構えているのだ。心を傷つける凶器を。
このスタンスはそういった相手に対してどうしてもやりあわなければいけない時にとても有効に働く。
このスタンスは皆さんあまり気づいていないだろうが、正論の塊である。
相手に対して求めるなら自分にも何かないと、というのは言っていること自体は至極まっとうなのだが、人間というのは常に五分五分の世界で生きていない。
これまた当然だが、五分五分を相手との関係性で六分四分、二分八分に調整して生きている。
マニピュレーターはこの曖昧さを批判してくる。
ならどうすればいいか?こちらも批判してやればいいのだ。
自分の曖昧さを思いっきり棚に上げ。
マニピュレーターはこちらの曖昧さを指摘し、罪悪感を植え付けてくる。
しかし、その曖昧さを開き直ってしまえばこちらは怯むことなく相対することが出来る。
これを聞いた時、“それが出来たら苦労はしない”とか“開き直るのにも理由がいる”と思う方もいるだろう。
大丈夫。開き直る理由はちゃんと用意してある。
理由は“そちらも自分のことは棚に上げている”で事足りる。
この戦法だと勝つことはできないが負けることもない。
マニピュレーターは勝つことへの執念がすさまじい。
負けていなくても引き分けにさえしてしまえば、彼らのはらわたは煮えくり返る。
ここで、最後にとどめの一撃で“潔く勝負を降り勝ちを譲ってあげる”というお情けをかけてやるのだ。
そうすることで彼らのプライドはズタボロになるだろう。
しかし、これは優秀な詐欺師が同じ詐欺師をやむなく相手にする時に使うような、一度きりの手法なので、今日から行えたとしても使わないことをお勧めする。
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