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過去、現在、未来が交錯する時間

里帰り出産のため実家に帰省している。
良い機会だからと母に促されて、自分の部屋のクローゼットを片付けた。

自分だけの部屋をもらったのはいつだっただろう。小学校高学年の頃だったかもしれない。小学校から高校卒業までの長い期間、そしてその後も断続的に過ごしていたこの部屋。当時の思い出が詰まったクローゼットを開くのは、少しだけドキドキした。

クローゼットから出て来たのは、小学生の時に書いた作文や文集。中学生の頃の交換日記やプリクラ帳。修学旅行のしおりや、学生手帳。高校の授業中にプリントの端を破り交換していた手紙。写ルンですで撮った写真や卒業アルバム。受験票やパンフレットなど…。中には、よくこんなものずっと保管していたなと思うものも沢山あった。

例えば、文字がかすれて薄くなったレシートが1枚あった。これは、私がアメリカ留学へ旅立つ日、成田空港まで見送りにきてくれた兄と最後にお茶をした時のレシートだった。「留学先で過ごす時間は本当にあっという間。日本に戻ってくると、あれ?夢だったのかな?と思うくらい。どうせ夢になるなら、良い夢を見て来い。」と言って送り出してくれた。ただのレシートだし、薄くて文字は見えないし、捨てるのは簡単。だけど、手に取るだけで今でもその言葉を思い出すことができるほど、私にとっては大切な思い出の一つだったりする。

そんなタイムカプセルのような思い出が詰まったクローゼットの中で、宝物として出てきたのは日記帳だった。懐かしいデザインのノートや手帳が25冊程度。サボっていて空白の期間もあるけど、小学生の頃から社会人になるまでずっと書いていた。

誰にも見せられないほど赤裸々に、日々の出来事や当時の悩みごとを綴っていた。そこに記された登場人物も内容も、小学生から高校生、社会人になるにつれ、手書きの文字と共に少しずつ変化をしていた。

頭の中で様々な人の顔が思い浮かんだ。私のこれまで生きてきた時間の中で、接点を持たぬままに通り過ぎていった人。少しだけ交わったけれど、今はもういない人。その当時も、そして今もまだ留まり存在をし続けている人。

自分の書いた文字で綴られたその時その瞬間の私を、あまりにもリアルで鮮明な記憶として思い出してしまいそうになって、高校生以降の日記は読まずに閉じた。

クローゼットの中にずっと残していたもの。その一つ一つを改めて眺めてみて、あぁ、ここに今の私のルーツが詰まっているなぁと思った。うまく言葉にできないけど、「らしさ」のパズルのピースのようなものが沢山見つかった。

言葉で記憶を記録すること。感情を言語化すること。
この2つは、今こうして私がnoteを綴ることにも繋がっている「私らしさ」だったりする。

片付けをしている時間は「懐かしい」という気持ちはもちろんあったけど、それ以上に、過去の私が今の私を追いかけてくるような感覚があった。
「これがあなたの今を作ってるのよ」「そんな大切なものを捨ててしまうの?」「忘れないで」「覚えていてよ」と、過去の私が今の私に訴えかけているようで。そんな過去に引っ張られそうになった。

だけど、そうしている間にも私のお腹の中ではポコポコと新しい命が動いていて、「あなたのこれからはここにあるんだよ」「こっちを向いて」「前に進もう」と、未来が私が今の私に向かって話しかけているようで。ここに戻ってこなきゃという気持ちにもなった。

過去と、現在と、未来の私が、同じ空間で交錯し混ざり合い、行ったり来たりを繰り返すような不思議な時間だった。何も考えなければたった数時間で終わるような片付けだったのに、感情を揺さぶられながら数日かけて片付けを終えた。

人が一度に抱えることのできる量は限られている。クローゼットに詰まった過去の思い出全てを手放すことはできなかったし、きっと手放す必要もないのだけれど、ゴミ袋3袋分の思い出に感謝を伝えた。私はこれからの私のために、未来の私にとって大切な人や物や思い出のために、今ここで自分の心の中にスペースを作っておきたいと思った。

今回読み返せなかった日記帳は、元の場所に置いておいた。きっとまたいつか片付けられる日が来るかもしれない。その時が来る頃には、私は今よりもっと新しい思い出を沢山抱えているんだろうと思う。これから出会う新しい登場人物と共に、新しい毎日を大切に重ねていくんだ。

その時までまたねと、そっとクローゼットを閉じた。

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