見出し画像

新しい境地

私は趣味で絵と物語を書いている。
本来なら今月の初めに一本コメディーの物語を書きあげる予定だったが、体調を壊してしまって書けなかった。
結構有言実行している私は悔しい気持ちにもなったが、別の感情も湧き上がってきた。
 今なら別の自分で絵が描けるかもしれない。私の絵はふわふわ、ゆるっとしたファンタジーなものが多い。しかし描き方は全くってもって真逆。
常に全力。全身全霊を込めて描いている。普通の画用紙サイズのもので1枚、5、6時間はかかる。
大きいものだと25、6時間かかる。期間は役3ヶ月くらい。だから描き終わったあとはマラソンを走ったぐらいの疲労感が残る。
実は9月終わりまで大きい絵を描かなくてはいけない。
 今は体調が戻ってきたが、まだ絶好調とまではいかないので、普段通りのペースでは当然間に合わない。
普通なら大きい絵を描くことを止めるのだろうが、今の状態じゃないと描けない絵があるかも知れない。
新しい表現方法が見つかるかも知れない。 
あれ?ちょっとワクワクしてきた。
そんな思いを抱いていたら、今まで完成してない過去の作品をリサイクルしようと思いついた。
中途半端に色が塗られているものをに水彩絵の具やクレヨンで色を塗ってハサミで切って、新しいものに貼り付ける。考えていたら楽しくなってきた。
 ふわふわゆるっとしたものを、本当にふわふわした状態で描くのも面白いのでは?
 時々思っていた。人は自分から脱却することは難しい。それは物語も歌も絵も同じである。
サザンはサザン。(サザンオールスターズ)ヒゲダンはヒゲダン(Official髭男dism)である。当然私の絵も私の絵である。
 でも今回はひょっとしたら違う変化をもたらすかも知れない。そんな期待がある。だから自分の絵なのにいつもとは違う楽しみができた。
 それでもいつもと同じ絵になってしまうかも知れない。でもそれはそれで良いのだ。学者気質がある私は自分を観察するのも楽しみの1つなのだ。
いつもと違う作品になったら、それはシンプルに嬉しい。たとえ同じ結果になったとしても、人間自分を変えるのは困難であると言う結論になるからだ。要はどちらでもいいのだ。(今までの文章否定してる?そんなこともないか。心もゆるっとしてるので文章もゆるっとしてるのだろうか?)
 まずは初めに食べたことないかき氷を食べてみようと思う。新しい境地が開けることを願って。
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?