見出し画像

魂のパートナーと出会い、統合するまでの道のりとその先

魂のパートナーとの出会いはカルマが関係している?!しているだろうな。

カルマ・因縁とは
・生きている間人と自分との関係において生じた気持ち・感情
・信頼と赦しと愛のためにやり直す手立て
・すべての過去生の感情の記憶を潜在意識に記録している

と私は理解している。完全にアッコペディアだけど。

カルマが生じる相手(魂が記憶する)との出会いで突然、潜在意識に刻まれた感情が顕われ、身体に何かしらの衝撃や違和感が走る。

それは懐かしさだったり、安堵だったり、苦しみだったり、怒りだったり。今現在の自分では受け入れがたいことがその身に起こる。

そして急にカルマ解消への道が開かれるのだ!!!


1.魂のパートナーと出会う前に成すべきこと

《自分らしい》を知り、《自分らしいとは》何かを探究し始めている

現在地の自分、等身大の自分とはどんな自分だろうか。
誰かが決めた自分から目覚め、本来の自分に還るとはどういうことなのかを現在における人間関係の中で見つけている、もしくはその入り口にいる。

私の場合、《母》《妻》《経営者》《セミナー講師》などのステレオタイプの役割に自分を当てはめ、はみ出さず、その枠に見合うように自分を最大化することを励みにして生きてきた。

4人の《母》である私は、世の中のスタンダードとは少し違う子育てをしていたため、この枠に馴染むことができず、混乱してた。
一番上と下の子どもは私を「あっこ」と呼ぶ。子どもたちとは対等に関わり、子どもたちの欲求が正しく表現されるよう接してきた。
そのため、私の価値観をはるかに超える選択をすることが多く、子どもたちから学ぶことは多かった。
どの子も同じように育てず、その子に必要だと思われる関わりをしてきたので、どの子も個性を発揮し、多種多様な生き方をしている。

《妻》である私は、苦労した。
大好きな人と結婚し、子どもを授かった。
結婚する前から価値観の違いではよく衝突していた。しかし、旦那の言うことも一理あり、それを受け入れられない葛藤が30年近く続いた。
べったりくっつく生活もしたし、お互い好きなように過ごすこともした。そしていよいよこの結婚生活の終盤2年は彼の価値観を受け入れる、をやってみた。それについては以下に書いている。

《経営者》としては理想を体現したくて、右往左往してたな。
合理的な中でも精神的な要素を入れたくて、でもそれがなかなか伝わりにくく、一緒に働いていいる仲間やスタッフには混乱を招いただろう。それでも愛ある経営を心掛けていたな。それも等身大ではなかったため、いったん破綻した。

《セミナー講師》
英会話の講師から講座やワークショップなどの講師業を13年している。知らないことが多すぎて、伝えたいことを思い描くように伝えるには何かが足りないと焦っていたな。

で何度反省しても、等身大の私ってなんやろ?ってなるわけ。
以前共に働いた仲間たちからは「あっこは寂しい人だね」とよく言われていた。「寂しいから周りに人が必要なんだ」と。しかし、それもしっくりこない。

本当にちょうど1年前の今日、思い知ったのは

遠慮があった

ということ。自分を最大限発揮し、表現することを《遠慮》してたのだ。


よって魂のパートナー、片割れヒロキとはすでに出会って半年が経っていたのにも関わらず、魂の出会いが果たされなかったのは、魂が求めている欲求に気付いていなかったからなんだ。

とりもどせ、本来の自分!!


2.魂のパートナーと出会い、魂の統合までに成すべきこと

脱皮する!以上!

で分かればいいんだけど、そうもいかない。
そして何度脱皮した感があっただろうか。え?これで正解じゃないの??

《ツインレイの魂の統合》
何度もそれに関するものを読んでみた。何をどう解いたらいいのかわからない。私なりに統合までの道のりを簡単に説明するとこうなる。

思い込みの波が押し寄せ、それに飲まれると息ができず苦しみ、本来進むべく道を見失う。自分の思い込みに気づき、洞察し、心から湧き上がる気持ちに忠実にその身を動かす。この繰り返しを行い、本来の魂の求めるものに近づいていく。

って感じ。
とにかく考えるより、感じて動け!シーズン到来。この時必要だったのは《無邪気さ》のみ!この《無邪気さ》のおかげで乗り越えられた壁は数知れず。

例えば
《思い込み1》年齢差
パートナーといえば年齢が近い。離れていたとしても女性は下である。

書いてるとばかげていると思う。愛があれば、年齢差なんて、って思っていたけど実際自分がそうなるとパニックである。

《思い込み2》立場
ヒロキはうちの社員であり、私は代表。
そんな出会いもあるやろう、何があかんかったのか、もはや今は謎。

《思い込み3》結婚していて子どもがいる
これは私が離婚するまで、私もヒロキもタブー。受け入れない。むしろヒロキは私が離婚しても恋愛感情はないと言っている。※もっと大いなるものだとヒロキは言っている。

これらの思い込みをベースに生きていたし、それぞれの表現の仕方が違い過ぎるので、相手を拒絶したり、罵ったり、コントロールしたがったり、とにかく相手の行動ばかり目について気になって何かが進んだようには感じられない時間が長かった。

そしてある日、ふと思った。(これはもと旦那さんのおかげでもある)


「愛しているのであれば、そのままの俺をなぜ受け入れないのか」


本当におっしゃる通りです。
この説を元旦那にしたときは苦しかったな。だけど、効果はあったのでヒロキにも試してみた。

ヒロキの場合、生きる目的は私とぴったり一致する。でも感情表現がポンコツすぎるので、そこですれ違いが起こる。
私とはやり方が違うだけで、ヒロキも私を心の底から愛しいと感じているという。それなら、もしかするとその行動も、あの行動も全て愛しさからくるものではないか。

そして私はヒロキのせいにして自分を遠慮したり、想いはあるのに表現せずに、行動を諦めたりしているのではないか?ということに気付いた。


ピンポーン!正解~♪


という音がどこからともなく聴こえた(気がした)。

「ヒロキ、ハグして」

と素直に、ちょっとかわいらしく言ったとしても、ヒロキがその気にならない時は「今はいや」と言われる。それだけではただ拒絶されたように感じて寂しい。
なのでそのまま伝えてみる。すると「今は仕事中で、作業に集中したいから鬱陶しい」と追撃。でもさ、ヒロキの気持ちが聞けることがすごく安心なのよ。どちらも素直に自分を表現する、そしてどちらもその気持ちを受け止められる心地よさがある。
それでも離れない、愛しい存在だということは変わらない、安心感がある。

そんなパートナーシップを学びながら、自分に還る旅路をヒロキと共にしているんだろうな。

そしてなんだかヒロキとしっくりぴったりし始めたと感じた頃、毎日が安心で満足な日になっていく。
無邪気なあっこは顕在だけど、それに《穏やかさ》が加わったような感じ。

自己理解が進めば自他共に受容している、そんな感覚が私の中に芽生え、広がっている感じ。それが《統合》なのだろう。


3.統合のその先にあるもの

魂のパートナー、片割れヒロキにももちろん変化はある。
出会った頃の彼は芯はあるのだけれど、それを隠し、誰とでも仲良くなるべくへらへらしているように見えた。(声も高く、自分の意見や主張をしない)

今では自分の好きなものを生活にたくさん取り入れて生きている。
~ねばならないから少しづつ解放され、自分の枠をうんと超えチャレンジする意欲もある。(私といることはチャレンジの連続らしい)

「あなたは俺のパートナーだ。よろしく!」

と改めて伝えられた。
結婚や籍をいれたりすることはないが、事実私たちはこれから共にこの人生の幕が下りるまで一緒に生きると決めた。

まだまだ自分を知る旅は終わらない。
凝りに固まった価値観を広げ、深め、《真実の愛》とは何かを体現していこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?