何度も繰り返しながら統合する
何度目かの『タイタニック』をパートナー博揮と観たあと、彼の心は満たされていた。
熱く語る博揮の横で、うん、そーなんだけど、え?今更?ってか、うん、同じ想いだよ。え?でも、、、って戸惑う私がいた。
こういうこと私たちにはよくある。
シンクロも多いけど、気づきの時差っての?よくあるんだ。
気づきに時差があるとき、相手の想いは理解できるし、共感もするけど、《同時》ではないなにか、あ、そうだ!その感情に追いつかないもどかしさがあるんだ。
だって私もそんな想い、感情が湧いた時があった。でもその時の博揮はそうでもない感じで、でも共感はあった。だから物足りなさを感じてたわ。
同時に、はとても心地よい。安心感や幸福感もあって、心が満ち足りるばかりか、同じ景色を観て、同じ感情が湧いて、それを伝え合え、分かち合う相手がいる喜びがある。
じゃ、何が何でも《同時》ではないといけないのだろうか。
いや、そんなことはない。何かが削がれたわけではない。そうか、相手に共感したと思っていたけど、相手の熱量をもってその振動を分かち合ったわけではなかった。
昨夜この映画を観てから博揮は私たち魂の出会いを振り返っていた。もしかしたら、記憶のない出会いが何度もあったかもしれないね、と懐かしむ感じもした。ふたりの魂の重なりが増えただろうその一瞬を私は大切に扱わなかった。
懐かしい曲を聴いたとき、その時の情景を再び身体全身で味わうように、博揮はこの映画を観てそれを味わったんだろう。もしかしたら、その当時博揮は自分の感情をおざなりにしていたかもしれない。
時を超えて、今、ようやくそれを全身全霊で受け止めたのかもしれない。
その時を私はどれほど待ちわびたか。あーーー。今更その重要性に気づいたわ。
映画の主人公ローズはローズの人生でそれを味わった。
再びジャックとの出会い(自分が真に欲していた現実が叶った)を思い出すことで、その時自分が感じたことをその時以上に鮮明に実感するんだろう。
私もローズのようにこの人生で何度も何度も《あの日夢見たこと》が今まさにこの手にあることを実感するんだろうな。
博揮と出会ったあの日、もうすぐ6年になる。
彼のことは何にも知らなかったのに、3回会ったら仕事をオファーしようと直観的に思った。それが1か月半という短い時間で叶い、今時を共に生きているかけがえのないパートナーになっている。
魂はこの出会いを祝福し、宇宙のエネルギーは二人が自然と近づくように計らった。思考や状況が私たちを遠ざけようとしても、それは不自然だった。
自分たちの魂の想い、宇宙の計らいに抗うことなく身を任せていればいるほど、幸せと感じる日は増えた。その宇宙の法則に従った生き方を学んでいるんだろう。
魂に別れなどなく、何度もいくつかの肉体を離れ、その度に自分とは何かを知り、相手を知る。くり返しながら私たちは統合に向かって進んでいるんだな。
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