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わたしのままでいられる幸せ

毎日何回も「あー幸せ」とつぶやく。
毎日何回も「愛してる」と感じる。

そんな人生があるなんて、博揮に会ってはじめて知った。

それまでのわたしは

「結婚したら」
「こどもを産んだら」
「仕事を持ったら」
「成功したら」

ずいぶん「たら」にしがみついて、それが叶っても「こんなはずじゃなかった」とつぶやき、また新しい「たら」を見つけることに必死だった。

わたしは5年前の8月26日に博揮と出会って、それから8か月後に博揮の魂と出会った。
その日からわたしの第4チャクラがぼわっと開いて、胸の真ん中から大量の光が放出し、全身がしゅわしゅわとなった。細胞が炭酸になったように軽くはじけてたように感じてた。毎日が新鮮で、自然と自分らしく振舞うそんな自分に恋してた。

わたしの変化に周りも気づかずにはいられない。賛否両論あったけど、誰が何と言おうと「今の私が好き!」とスキップするように過ごしていたな。

博揮の魂との出会いはわたしの記憶のずっと奥にしまった感情を呼び覚ますものだった。その後は必然的にたくさんのエゴと向き合わざるを得なかった。自分の中にある古い部族的信念(持論)を手放す機会になった。

・リーダーはすべてにおいて優れていないといけない
・お金も人望もあって、知識や経験も豊富でないといけない
・一度始めたことは諦めずに、何度も手を変え品を変えやり遂げなければならない

約50年でずいぶん拗らした持論。それを手放したら、現実の世界でもたくさんの別れと出会いをもたらすものだった。

今のわたしの信念は以下だ。これもわたしの霊的成長によって変化するだろう。

・「今」のわたしで十分だ
・すべての体験は霊性を高め、成長するためにある
・「今」を大切にする

この生き方になってからは、起こるものごとの表面的には無関係な出来事の深遠な意味に気づき、内面を観察し、成長している実感がある。

例えばそれは
人財育成の会社を経営しているのに、物流センターでバイトしたり、
(人を観察していると、不満や不平がなぜ起こるかがよくわかる)
朝からワインに合う料理をしてお腹いっぱいに食べ、お昼寝したり、
(好きな時間に、必要なものを必要なだけ取り入れる)
思いついてフリーマーケットを開催したり、
(自分を楽しませるアイデアをみんなと共有したい)
脇やスネの毛や白髪を気にせず、そのままにしていたり、
(誰のためのなんなんだ?と気づいてからは放置)
どこでも博揮にキスをしたり、お尻なでたり、
(心が求めるから)
目の前の状況がどうであれ、直観に従って行動することだったりする。
(どんどん共時性の波にのってる感じ)

ここでいう「成長」とは価値観を広げ、自他共に受容する領域が広がること。また魂、心、感情、行動が一致することとしている。

わたしのままでいること、それが自由だと思う。
どんな状況でもわたしが幸せや愛を選択することができるようになったのも、自分とまるで正反対の個性を持つパートナー博揮がいたからだ。

この人生、あとどれほどの時間があるか分からないけど、この肉体を離れる時は「あっこの人生はほんとに楽しかったよ」と魂が喜ぶことを願っている。


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