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ペットのように愛し愛されることしか知らなかった

あなたならどんな風にペットに餌をあたえるだろうか。
ペットが求めてきたら?それとも時間きっちり?

あなたはどんな風にペットを可愛がるだろうか。
ペットが求めてきたら、相手が飽きるまで抱きしめたり、遊んだりする?それともこちらの都合で可愛がる?

両親は私たち姉弟を可愛がってはいた。でもそれは自分に余裕があるときや興味関心があるときだけだと知っていた。

関心がなければ、返事すらしないこともあるし、自分の話に転嫁させ、都合よく自分の満足を感じるまで話続けていた。

そうすることが愛されることだし、それに応えることだと思っていた。

相手の満足という枠の中で《自分の満足》はどこか推し量り、その枠からはみ出ない生き方が賢く、幸せになる方法だと思って生きてきた、魂のパートナー、魂の片割れヒロキに出会うまでは


1.焦がれる恋に落ち、結婚ー試練のはじまり

旦那さんとの出会いは19歳になるちょっと前のこと。友人のお見舞いに病院で出会った。

きっとひとめぼれ。

私には付き合っていた人もいて、彼も友人の彼氏。でも運命を感じるほどのスピードで私たちはお互いフラれ、いつの間にか惹かれ合った。

結婚するまで5年間、月1回会うだけの遠距離恋愛。彼は大学生でもあったので、お金も時間(卒業後の進路の兼ね合いで)もあまりなく、会えない想いが募る、ドラマチックな恋愛をしていたな。

福岡で仕事が決まり、お互いの故郷をうんと離れることにした。

私は実家での生活に嫌気がさしていたので、一刻も早く結婚したかった。彼はもう少し落ち着いてから結婚を考えていた。でもこれ以上の距離が離れることはもう我慢できないと無理に結婚へと導いた。

しかし、彼の両親から
1年は同棲すること、それを誰にも知られないようにすること
を強いられた。新入社員がいきなり結婚しているなんてことは恥にかんじられたのだろうか。

そのため、私は半年完全に軟禁状態。それが辛くなりバイトと買い物の時は外出を許された。電話にも出れず、彼はパートナーがいることを職場の誰にも伝えないでいた。

知人もいない私にとっては誰にこの関係を話すこともないが、「話せない」と思うだけでストレスになっていった。


2.出産と別れー家族の中で孤立する

祝福されいると思っていたこの結婚も、時が経つと分かることがたくさんあった。

彼の両親はとても束縛的な人たちで、離れて暮らしている私たちにもあれやこれやと多大な影響を与えていた。その両親に文句をいうこともなく、受け入れてもいないのに言うことを聴く彼の行動が許せなくて、理解できなくていつも喧嘩をしていた。

結果、5年後には彼の両親は彼と私たち家族との縁を切り、完全に孤立。
両親の介護云々や育児鬱気味になっていた私はこれまた無理やり説得に近い状態で外で働くことにした。

子育てを半ば放棄する形で自由を謳歌した。

小学生になる子どもたちの学校の様子や友人関係などすべて記憶にない。今思うと本当に惜しいが、そうでもしないと自分の人生を生きていないようで苦しかった。

結局どんな努力をしても寂しさや孤独感は払拭されることなく、身体的にも精神的にも無理していたことに気付いたとき、4人目を妊娠した。


3.自立ーナイアガラの滝のような距離感

子どもと過ごす時間は辛いものだけじゃなく、楽しく過ごす時間もあったけど、前記に触れたように、私はペットのような愛し愛され方しかしらなかったから、この子育ては不満が多かった。

4人目を授かったとき、「ああ、もう一度だけ“子育てって楽しいんだ”っていう実感が得られるのかもしれない」と安堵した。

仕事も人間関係も結局どうにもうまくいかない時期だったこともあり、約5年務めた会社を退社。仕事も自分自身も自立する道へ向かっていった。

自宅で英会話教室を開き、子育てと仕事、家事と人生を楽しむべく生き方が変わっていった。

子どもと自分と他人との関わりについて学び、実践する日々が楽しくて仕方なかった。学び活かせば活かしているのに旦那との距離が縮まらないことに気付いた。

彼の枠の中にいれば安心で、波も風も立たない。子どもたちも母と父が喧嘩して母が家を出る、離婚するという騒動に巻き込まれるんじゃないかと不安に過ごすよりも、このままでいいんじゃないかという思いが《自分らしく生きたい》という思いに勝るようで怖くなった。

そんな中、彼に仕事に夢中になる時期が再び訪れた。

柔軟ではないが、それでも一般的によき父であった彼は家族よりも自分の仕事に没頭するようになった。その頃、私も仕事が忙しくなり、彼との時間の重なりがうんと減った。

精神的な満足は得られなくとも、身体的には仲良くしていたはずの私たちがこの期にうんと離れた。とても寂しく、その状態を不満足と感じていると訴えてもなお、彼は振り向かなかったー。

ある日、「ぷつん」と糸が切れる感じがして、私は彼と関係を紡ぐのをやめた。


4.魂の別れー卒婚までの道のり

今思うとその時期とヒロキが人生を拓くために旅立つのと重なる。
その後、数十日後に私たちは出会う。出会ってもなお、お互いが個々に必要な学びを終了するまで本当に苦しい数ヶ月が訪れるとはこの時は全く知らなかった。

ヒロキとの精神的・物理的な距離は、旦那との因縁の解消と関係があるんじゃないの?っていうくらいリンクしていて(ついでに恐ろしいかな、業績にもつながっていた、涙)、どちらも躊躇していれば、穏やかに見える日々が続くけど、その業績に響く!収益を上げるなら、旦那との因縁が何かをみつけ、ヒロキとの精神的・物理的距離を縮める必要がある。

もうさ、なんかハードモードのロールプレイングゲームをしているようで、息つぎがやっとな感じで生きてきたな。

ふとある日、「旦那とは好きで結婚し、大切な子どもを4人も授かった。こんな幸せを授けてくれた人。この人と何も紡げなかったのはとても虚しすぎる。離婚するにしても、本音を伝えられなかったことが一番後悔するんじゃないか」と思った。

大切な人なのに、一番遠い人だった。本音は届かず、私も彼の本音なんて聞いていたのだろうか、疑わしい。

思い切って今抱いている気持ちと考えを伝えてみた。

本音で伝えあってこなかったこと。
価値観は違っていても、それは受け入れ合っていたこと。
でも、生きる目的が違っていること。

この先、その目的が違うのに一緒に過ごすのは苦痛を感じること。
彼の枠の中で上手に生きてきたことが虚しく感じられること。

これから先は自分の気持ちを大切に生きていきたいということ。

その後3か月、彼の言い分も存分聞いた(最後は彼もあがきもがいた)。でも決意は変わらなかった。
子どもたちにも夫婦の状況を全て聞いてもらい、むしろ後押しがあり、卒婚することになった。

とはいえ、私の意向で離婚後も同居している。そう、シェアハウスだ。(月に数日末っ子の部屋に寝泊まりしている)


5.愛するということを学ぶために出会った魂のゆくえ

元旦那は離婚後人生を大きく転換させようとしている。あれほど夢中だった仕事も転職を考えている。

そして今、コロナの影響で時間にも気持ちにも余裕が生まれたのか、もともとおおらかだった性質が現れはじめ、子どもたちと過ごす時間も豊かになっているよう。

もしかしたら私が全部それらのものことを彼から奪っていたのかもしれない。家族のかたちはうんと変化したけど、みんながそれぞれの快適な距離感を持ち暮らしている。

私とヒロキにも変化があった。

今日この記事を投稿している目の前にはいつもと変わらないヒロキの姿がある。温かくやさしく私の側にいる。数ヶ月に及ぶ怒涛の日々がうそのように穏やかに過ぎていく時間が愛しい。

愛し愛されることがどういうことか、日々日々ヒロキとの間に実感をもって顕れる。


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