離婚したら、家族は、子どもたちは不幸になるのか~魂のつながり②
私はこの2月に24年共に暮らした彼と離婚をした。
子どもたちの後押しもあり、しばらく同居を許され、寝室から末っ子の部屋へお引っ越しをした。
なぜ同居を選んだのか。
1.まだ学生の子どもたちの食事が心配だった
2.会社の代表でもあるので、住所変更等が面倒だった
3.何だかんだゆーて、この家族でいることに未練があった
今、こうして改めて文字にすると、本当に私の勝手な希望を家族に押し付けている。が、しかし、この希望は叶った。
同居している娘は私の出張中や帰宅が遅いときは代わりに家事をしていた。離婚後はほぼ彼女と彼女の夫であるスピリチュアルガイドDがしていた。
コロナの一件で、学生の子どもたちが家にいる。おかげで朝のお弁当作りから解放された私。元旦那さんも在宅勤務となり、家事を率先してやっていた。
おかげで私は自由に気のままに過ごしていた。
1.断念と自由
魂のパートナー、片割れヒロキとのことを家族にも世間にも公開すると決めた5月13日、私は思い知る。
1.まだ学生の子どもたちの食事が心配だった
⇒子どもたちや元旦那さんが協力して食事を作るようになり、心配する必要がなくなった。
2.会社の代表でもあるので、住所変更等が面倒だった
⇒精神的自立は果たしたが、機能的にはまだ元旦那さんに依存している。これも卒業すると決めた。ということは同居を解消することになる。
3.何だかんだゆーて、この家族でいることに未練があった
⇒私はこの家族をとても大切にしてたんだ、とより深く実感する。
長女は「お母さんが幸せであるなら」
次男は「俺は年の離れたおばちゃんは無理だな、でもお母さんたちはそれでいいんやろ、ふふ」
末っ子に「お母さん、もういいよ。会いたい時に会いに行くから」と伝えられた。悲しいより嬉しかった。そして子どもたちとは肉体は離れるけど、心は繋がっているんだと分かった。
結局、想いを断つ=永遠の別れ
という方程式をつくっていてそれを回避していたにすぎないと知った私は、簡易的に荷物を会社の事務所に持って出た。(弊社は生き直し事業を行ってるため、シェアハウスしている。そしてあとひと部屋空きがある)
出会いから約30年。10代の頃から共に過ごした元旦那さんとは「じゃ、バイバイ!」とお別れするつもりは微塵もない。婚姻関係は終わったが、家族であったことは消えない。
そうか、断念してもなお、続く縁なんだ!ともやが晴れた。
そんな私とは裏腹に元旦那さんはかなり困っていた。
自由奔放なのは知っていたけど、ここまでとは。呆れてもいた。
・・・けど、彼は結局そんな私を許した。
今までの私はこんな自分は許されたらダメ、と。
「好き勝手な事していいわけないだろう」
というような世間の声や
「そんなに簡単に思い通りになるわけないやん」
という劣等感に従い
自分を非難し、何だかんだと言って元サヤに戻るように仕向けただろう。あやうく、そんな思考もよぎったことは白状しておく。けれども、それでも私の選択は違った。
私は素直に元旦那さんの、子どもたちの許しを受け入れた。
自分自身を≪受容≫した。
この瞬間、私の身体の内側がじゅわっと温かくなり、何かがほどける感じがした。私が今世の生きる目標としている《受容・アガペー》の体験だ。
2.魂が求める今世の目標
実はこれまでの人生において何度かこの《受容・アガペー》を感じたことがある。そのたびにまるでスポンジが温泉水をゆっくり吸い込んだような心地良さをこの身体(五感)が感じるんだよね。
事柄は覚えてないのに、身体が覚えてる。こういうことあるんだ、実際。
アッコペディア:
魂には全生の感情記憶(潜在意識)が残されていて、新しい肉体に入った時にインストールされる。
同じような状況になった時に、肉体反応が起こる。その時の記憶と現状が重なり、目の前に繰り広げられていることと同化して混乱を招くことがある。
それを知覚するようになると、それは過去世で起こった出来事だと知り、今世ではそれを解消する手立てと理解し、解決方法を模索する機会とする。
とにかく、この一生でも《受容・アガペー》の経験を思い出し、たくさん愛されていたことを今更ながらに知った私。
あまりにも分かりにくい(私が願い思う形ではないため、知覚しにくい)ものだったから、見逃していた。
こうして時が経ち私にも経験や智慧がついたので、それを理解できるようになったんだろうな。
3.終わらない、魂のつながり。
ふと、崩れ落ちそうな古いビルの前にある植木を愛でながら前を歩くヒロキの後ろ姿を眺めながら、涙がこぼれ落ちた。
嬉しいんだ、私。
適当に距離を置いて歩くのが好きなヒロキになのに、彼との間には不安を感じることはもうない。それどころか、日を追うごとに安心感が増す。
同じ家に住む。
手をつないで歩く。
目に見える形で側にいる実感を得る。
以前の私は身体が重なりあっていないと、誰かがそばにいないと、安心感を感じることができなかった。
今は身体が離れていたとしても、目には見えないが、確かに在る心の繋がりを強く感じることができる。
感覚でしかないものを信じて
安心しているわたし自身を信頼している。
私は元旦那さんの、子どもたちの、仲間たちの、ヒロキのおかげで、少しずつ自己受容することを覚えたんだ。
知覚するのが少しだけ遅かった。いや、まだ間に合ってる。ありがとう、って元旦那さんに伝えた。子どもたちにも伝えよう。そしてヒロキにも。そして私自身にも。
自由奔放で誰かを悩ませる根源になりうるって言われたこともあるけど、それでも自分の心の声に従ってみた。なかなか心地いい。
すると、元旦那さんからたメッセージが届いた。
改めて、プロフィール画像見たら、いい顔してるな。
本来あるべき姿やな。
寛容なあなたの愛が私を自由にした。出会ったことに感謝してる。そして、共に切磋琢磨しながら子育てし、4人の子どもたちはしなやかにたくましく育っている。そしてこの関係は終わることはない。だからまだまだ発展途上。いい母親かいい家族かなんて、今のところ評価なんてできないんだ。
あっこ歴47年にして、ようやくたどり着いた、
”私にとってちょうどい人生”
目の前には希望って名の道が拓けている。
4.おまけ
仕事もプライベートもごちゃまぜ、生きる=仕事になってる私。
事業はこんなことをやっています。
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