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歌枕からオタク系聖地巡礼をつなぐゲニウス・ロキ

歌枕からオタク系聖地巡礼をつなぐゲニウス・ロキ/松永英明(#co_article032)」は、プロジェクト「.review」に投稿され、2011年1月26日に公開された論考である。

Abstract

 『エヴァンゲリオン』の箱根、『らき☆すた』の鷺宮神社などを筆頭に、漫画やアニメの舞台になった場所を訪れる行為を「聖地巡礼」と呼ぶことはすでに定着したようだ。オタクたちはその場所を実際に訪れ、作中と同じ風景を見つけて心を躍らせる。
 しかし、これらの行動は決して新しいものではない。川端康成の伊豆や夏目漱石の三四郎池など小説の舞台を訪れることは以前から見られた行動だ。
 さらにさかのぼれば、日本では「歌枕」というキーワードにたどりつく。松尾芭蕉の『奥の細道』は歌枕を訪れ、その地にまつわる物語を想起する紀行だ。それは現代的に言えば「西行などの聖地巡礼」とも受け取れる。
 私たちはなぜ、物語の舞台となった場所を実際に訪れたくなるのか。物語と現実との違いを私たちはどう認識しているのか。宗教的な「聖地」巡礼との共通項なども探りつつ、「ゲニウス・ロキ」をキーワードに解読する。

関連論考

2010/11/15 ver. 1.0


■序:オタクの「聖地巡礼」の非宗教性

 テレビの大河ドラマや連続テレビ小説などの舞台となった場所を実際に人々が訪れる、という現象は以前からよく見られたことである。大河ドラマの視聴率が高かろうと低かろうと、ドラマのテーマが決まった時点で「○○年大河ドラマゆかりの地」として全国各地で観光誘致合戦が始まるのは、すでに定番ともいえる。
 それが現在、特にマンガ・アニメの世界で作品の舞台となった場所を訪れることが特に「聖地巡礼」と表現されるようになっている。
 特に『らき☆すた』の舞台とされた鷲宮神社(作中では「鷺」宮神社)にファンが殺到したというのが「聖地巡礼」が大きく報じられた画期的な出来事と言えよう。このほか、有名なところでは「新世紀エヴァンゲリオン」の第三新東京市の舞台となった箱根、『ひぐらしのなく頃に』の雛見沢村の風景モデルとなった白川郷、『涼宮ハルヒの憂鬱』のモデルでもあり作者の母校でもある兵庫県立西宮北高等学校、『けいおん!』の私立桜が丘女子高等学校のモデルである豊郷町立豊郷小学校旧校舎などが挙げられる。これらの作品に登場する舞台を実際に訪れることが近年、「聖地巡礼」と称されるようになった。
 しかし、この「聖地巡礼」について、言葉そのものは宗教的な行為から発生しているものの、イスラム教徒のメッカ巡礼や日本の伊勢巡礼などと対比させることは適切ではないと思われる。オタクの聖地の代表格ともいえる「鷲宮神社」は確かに神社ではあるのだが、そこにアニメファンたちが宗教的参拝を主目的として行っているとは到底思えないからだ。
 古来の「聖地巡礼」はむしろ現在の「パワースポット巡り」にダイレクトに受け継がれている。聖なるエネルギーを受け取るためのパワースポットを回るというのは、スピリチュアルという言葉を使おうとも、やはり「宗教的」な行為であろう。それに対して、オタクの「聖地巡礼」は、別に鷲宮神社で御利益を得ようという目的ではない。あるいは、エヴァンゲリオンの「聖地」箱根に行って何か開運すると思っているようなオタクはいない。その目的については後述するが、明らかに非宗教的目的なのである。
 その非宗教的目的に対して、なぜ「聖地」という言葉が用いられたのか。そして、それと共通する「作品の舞台を訪れる行為」そのものを松尾芭蕉の『奥の細道』という「歌枕めぐり」までさかのぼるのが、今回の論考の内容である。(本文敬称略)

■「聖地」のたった一つの条件

 この論考の前提として、まず「聖地」という言葉を改めて考えておきたい。
 宗教人類学者・植島啓司による『聖地の想像力』(2000)という本がある。この本は、世界各地の聖地を訪れた宗教人類学者としての筆者の経験から、聖地の条件を列挙したものである。植島の考える「聖地の定義」は以下の9項目だという。

01 聖地はわずか一センチたりとも場所を移動しない。
02 聖地はきわめてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03 聖地は「この世に存在しない場所」である。
04 聖地は光の記憶をたどる場所である。
05 聖地は「もうひとつのネットワーク」を形成する。
06 聖地には世界軸 axis mundi が貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)として機能する。
07 聖地は母体回帰願望と結びつく。
08 聖地とは夢見の場所である。
09 聖地では感覚の再編成が行われる。

 すべての聖地がすべての条件を満たしているわけではないが、それでもこれらの条件を満たしているように思われる、と植島は主張する。
 これらの条件には、いくつか興味深い点がある。たとえば、「聖地はわずか一センチたりとも場所を移動しない」。その代表例がイェルサレムだ。ユダヤ教・キリスト教・イスラムの聖地であることはよく知られているが、それ以前からすでに聖地であったということが示されている。
 これで思い出されるのが宗教学者・中沢新一著『アースダイバー』(2005)である。縄文時代から丘の先端(岬)などが聖なる場所とされ、その場所は後世にも受け継がれて神社や寺などが作られた、という。
 聖地は受け継がれる、という考え方については、確かに当てはまる事例を見つけることがたやすい。
 しかし、このように個々の条件を列挙して見たとき、少々散漫なように思われる。これらは聖地の特徴ではあっても、定義と呼ぶにはまだ曖昧ではないだろうか。そこで、私はこの見解をもとに聖地の定義を一つにまとめてみた。それはこの一か条である。

「聖地は、「この世界」と「別の世界」の接点・境界であると人々が認識する場所である」

 人は、「この世」と「あの世」、「こちら側」と「あちら側」の「境界」に聖性を見る傾向にある、ということは赤坂憲雄『境界の発生』を引き合いに出すまでもなく、民俗学の世界でさんざん言われ続けてきたことである。場所的には道祖神、庚申塚、辻、坂。時間的には黄昏時(「誰そ彼」時)・彼は誰時(明け方)などの昼と夜の境界時間……こういった「境界」において、人は普段見ている「この世界」とは何か違うものを見ることになる。そういう「異世界」を見やすい場所が、場所によっては「聖地」とされ、場所によっては「避けるべき場所」とされたのではないだろうか。
 この「接点・境界と認識される場所」という定義であれば、植島の9項目も説明可能であると思われる。以下、一つずつ簡単に検証しよう。

01 聖地はわずか一センチたりとも場所を移動しない。
 地形的条件その他として、「山」「岬(丘の突端)」「峠」「独特の目印」「合流点」などは境界となりやすい。また、「川」もこちらとあちらを隔てる一方で、上流と下流という異質なものをつなぐ境界の連続である。海の果ても、目に見えない境界といえよう。大きく地形が変わらない限り、特殊な場所の聖性は持続すると思われる。

02 聖地はきわめてシンプルな石組みをメルクマールとする。
 メッカのカーバ神殿の中心が実は石であるように、また日本の神社のご神体が石であったりするように、石は独特の存在である。そこには、何かが下りてくる「神の座」としての力を想定されているといえよう。一方、殺生石伝説はマイナスの異界との接点である。つまり、石は異界の存在を引き寄せる磁力を有しているのである。

03 聖地は「この世に存在しない場所」である。
 とはいえ、聖地自体はこの世にマッピングできる。要するに聖地は「この世でもあり、あの世でもある場所」すなわち境界であると言える。

04 聖地は光の記憶をたどる場所である。
 植島の記述によれば、ガウディのサグラダ・ファミリア教会は年に一度、ノエルの日の午後にのみ、中庭に十字架の影が浮かぶように設計されている。シドニーのオペラハウス、淡路島本福寺の水御堂……いずれもある瞬間に光が差し込んで、普段と違う光景が見られると指摘されている。「普段と違うものを見る」すなわち「異世界を垣間見る」と言える。

05 聖地は「もうひとつのネットワーク」を形成する。
 聖地の存在する場所は、政治・生活の中心地とは違った分布を示している、というのが植島の指摘である。それはまさに、「日常生活」とは切り離される場所が聖地だ、すなわち異界と接する場所だ、と言えそうだ。ただ、日常のすぐ横にもこういう異界は存在しうる。ただ、そういう異界は認識され損ね、日常に埋もれがちになってしまうかもしれない。

06 聖地には世界軸 axis mundi が貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)として機能する。
 天と地を結ぶ接点、それが世界軸(アクシス・ムンディ)である。植島は、宗教学者ミルチャ・エリアーデの「中心のシンボリズム」の三類型をまとめている。ここでは孫引きになるきらいはあるが、植島の論を検証するという意味であえてその三類型を引用したい。

(1)世界の中心には「聖山」があり、そこにおいて、天と地が出会う。
(2)いかなる寺院や宮殿も、ひいてはどんな聖都や王宮も「聖山」に比定され、したがってそれぞれは「中心」となる。
(3)さらに、寺院や聖都は、そこを世界軸が貫いている場所であるので、天と地と冥界とが交叉する点でもある。

 「天と地と冥界が出会う」というのは、天と地(この世界)と冥府の「接点・境界」というのと同義である。また、大地と空の接点のモニュメントは、富士山などの高山、タワー、大樹などということになろう。
 バベルの塔の神話も、地上の人間が神に近づこうとした結果であったと語られている。言い換えれば、塔によって神に近づける、神になれると考えたということになる。それはまさに異界への入り口であったといえよう。

07 聖地は母体回帰願望と結びつく。
 洞窟などが聖地に含まれるのは、母体回帰願望、母親の母胎に帰りたいという願望を満たすものであると述べられている。この記述によって私が想起したのが、奈良県の信貴山(しぎさん)朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)と、沖縄の亀甲墓である。
 私の出身地、奈良県斑鳩町から西を見上げると、大阪との境に信貴山という山がある。松永久秀が信長に攻められて爆死した信貴山城跡もこの山頂である。ここにある信貴山朝護孫子寺には、戒壇巡りというものがあった。これは、お堂の中の真っ暗な通路を手探りで進んでいくものである。そして出口に近いところで錠前に触れるが、これが本尊の象徴となっている。一度死んで、胎内を経て聖なるものに触れて生まれ変わる――生と死の擬似的境界がここにあるといえよう。
 沖縄の亀甲墓はもちろん墓であるが、女性の子宮をかたどっている。つまり、死者は葬られ、そしてまた生まれてくることを期待されているのである。
 いずれも母胎回帰、そして生まれ変わりを象徴している。生と死の接点がそこにあるといえよう。

08 聖地とは夢見の場所である。
 聖なる場所で眠る、夢を見ることが重視される、と植島は指摘する。しかし、一歩進んで考えれば、夢というのは最も日常的にわたしたちの触れている異界ではないか、とも思われる。また、眠るということは擬似的な「死」でもある。日常とは異なる夢、あるいは眠り。それが与えられる場所としての聖地とは、やはり異界との接点・境界なのである。

09 聖地では感覚の再編成が行われる。
 岐阜県の養老天命反転地など、日常の感覚を大きく狂わせ、わたしたちの感覚が実はあやういものであった、ということを教えてくれる場所が挙げられ、「人工的な聖地は可能か否か」と植島は問題提起する。日常感覚と異なる感覚を与える、すなわち異界に接する体験であると言えよう。

 以上のように検証すると、植島の指摘した聖地の9つの特徴は、すべて「聖地=異界との境界・接点」という定義によって矛盾なく説明できると考えられる。

■オタクの「聖地巡礼」史

◎「通信用語の基礎知識」

 序でも述べたとおり、オタクの「聖地巡礼」という言葉が使われるようになった歴史はまだ浅い。ネット等で見る限り、それは定着しているようにも思われるのだが、オタク系用語集においてはまだ受容に温度差があるようである。
 パソコン通信時代以来のいわゆるオタク的趣味の用語集「通信用語の基礎知識」において、「聖地」という項目は別の意味合いで使われている。

 ある集団において神聖で重要な土地のこと。宗教的な聖地の場合、その場所は一つとは限らない。
 ヒンドゥーではベナレス(ヴァラナシ)など多数、仏教では天竺(ガンダーラ)や五台山、ルンビニなど多数、キリスト教・ユダヤ教などではエルサレム、イスラム教はメッカ。
 まりも愛好家には阿寒湖、鉄ちゃんには旭屋書店、栄松堂書店、書泉グランデ、UNIX愛好家にはカリフォルニア大学バークレイ校(UCB)。まんが・アニメ関係の愛好家は、昔は晴海、今は有明。

聖地 ‐ 通信用語の基礎知識  

 つまり、90年代的な感性を中心としたこの「通信用語の基礎知識」においては、宗教から趣味に至るまで広い意味での「信者」が「集まる場所」という意味合いしか持ち合わせていない。この説明文の「聖地」は通俗的な意味での「メッカ」と置き換えが可能である。たとえば「鉄ヲタのメッカは○○書店」ということである。また、「まんが・アニメ関係の愛好家」の聖地としての「晴海」「有明」とはすなわち「コミケ会場」であって、決してマンガ・アニメそのものの舞台ではない。

◎オタクの「聖地巡礼」の起源

 一方、「同人おたく用語の基礎知識」サイトによれば、今のオタクの用法としての「聖地巡礼」という言葉の起源は1980年代ごろにさかのぼれるという。

 作品中に登場する場所が 「聖地化」 となって大きく注目を集めたといえば、アニメ化もして大ヒットとなった 「うる星やつら」(高橋留美子/ 少年サンデー/小学館/ 1978年~1987年) に登場する東京の練馬区 (友引町のモデル) でしょうか。
 その後のアニメでは武蔵小金井となりましたが、印象的な放映第一回目の 「あたるとラムの鬼ごっこ」 が武蔵小金井の商店街で行われ、多くの 「うる星ファン」 が、「聖地巡礼」 とばかりに押しかけたようです…っていうか、家がそばなので、あたしも行きました! ><。 もうこの頃から、「おたく」 系、「アニオタ」 系の人たちがこういう場所に行くのを 「聖地巡礼」 と盛んに呼んでいましたね。

聖地/ 同人おたく用語の基礎知識/ 聖地巡礼/ 聖地礼拝

 実際に「聖地巡礼」という言葉を使ったという証言である。ただ、作品舞台を訪れることを「聖地巡礼」と呼ぶ源流がここにあるとしても、その後継続して「聖地巡礼」という言葉が人口に膾炙したとはいえないだろう。
 「同人おたく用語の基礎知識」の解説では、続いて 「美少女戦士セーラームーン」の舞台である麻布十番と氷川神社(作中では火川神社)が挙げられている。これが90年代のことである。そして、次の事例が2007年の『らき☆すた』鷲宮神社(作中では鷺宮神社)となる。この間、散発的に「聖地」を「巡礼」する事例はあったものの、多くの作品の舞台を訪れることが「聖地巡礼」として認識され、定着したのは、後述するが『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』が出版される2005年以降のここ数年のことであると言ってもいいだろう。
 なお、「舞台探訪アーカイブ」というサイトでは、「このグループで取り扱っている活動を指して 《聖地巡礼》 と俗称されることがありますが,信仰を基礎としてなされる宗教的行為に対しては敬意を表すべきであり,これと混同を生じさせる用語の使用は避けるべきものと考えています。そこで,当サイトでは特段の事情の無い限り 《舞台探訪》 の語を用いています。」と書いている。宗教的行為への敬意(あるいは忌避)という理由になっているが、この表現に違和感を覚える人がいることも事実であることは確認しておきたい。そして、この論考においては、オタクの「聖地巡礼」は宗教的行為ではなく、別の意味を持つものであることを確認することになる。

◎前史としての「ロケ地巡り」

 作品の舞台を訪れることについてのガイドブックは「聖地巡礼」表現以前から存在した。その種の書籍も収集しているのだが、手元にある一般書籍としては以下のようなものがある。

  • オフサイドブックス『マンガの歩き方 あの名作の舞台を探れ!』彩流社 1999

  • ドラまっぷプロジェクト『TVドラマ ここがロケ地だ!!』サンブックス 2000

  • ドラまっぷプロジェクト『テレビドラマ&映画のロケ地』サンブックス 2003

 『マンガの歩き方』(1999)は、30人の執筆者が約50のマンガの舞台を訪れている「マンガ・ルポルタージュ」ムックである。じゃりん子チエ、こち亀、あしたのジョー、野球狂の詩、童夢、軽井沢シンドローム、湘南、釣りキチ三平、究極超人あ~る……等々のマンガの舞台が挙げられている。その中で「聖地」という言葉はいくつか使われているが、そこを訪れることが「聖地巡礼」とは呼ばれておらず、タイトルや「前口上」でも一切「聖地」という言葉は使われていない。
 この中で実際に「聖地」という言葉が使われている文章をもう少し見てみよう。
 漫画家・アニメーター・豆本作家「のま とし」による「なぜ阿佐ヶ谷は、マンガ少年たちの“聖地”になったのか 教祖・永島慎二の「引力」」では、冒頭がこのような言葉から始まる。「その昔、阿佐ヶ谷は全国の漫画少年の聖地(メッカ)だった。なぜならその街に青春漫画の教祖、永島慎二が住んでいたからだ」。これはトキワ荘が「漫画家の聖地」と呼ばれるのと同じニュアンスで、作中舞台という意味合いではない。この意味で言えば、今なら吉祥寺が「漫画家の聖地」ということになろうかと思われる。
 格闘系の執筆の多い岡本典久による「空手劇画“巡礼”の旅 『空手バカ一代』の聖地・清澄山を訪ねて」は、「聖地」「巡礼」という言葉が使われている本書唯一の文章であるといえる。おそらく、現在の「聖地巡礼」に先駆けとなる文章だろう。ただ、これも今の聖地巡礼と重なる部分もあるが、ややニュアンスが違うところもあるように思われる。一部引用しよう。

 現在、大山倍達の墓は池袋・護国寺と秩父・三峰山の祈念碑に分骨されている。護国寺といえば、原作者・梶原一騎や『あしたのジョー』の力石徹が眠る地であり、聖地の中の聖地と言えよう。また、三峰山は、極真空手が現在も冬合宿を行なっている地でもあり、大山の写真が埋め込まれた立派な記念碑があるので、ファンならば一度は訪れたい土地だ。
 しかしながら、両方とも“『空手バカ一代』の歩き方”からは論点がずれている。巡礼の出発点は、作品中に現われた土地から始めるのが正しい手続きというものだろう。……(中略)……超人追求の出発点である、清澄山が!
 ……(中略)……現在も現役で活躍している多くの格闘技者たちが本作品に影響されて格闘技を始めたと証言している『空手バカ一代』こそは、連載が終了して二十年が経過してもなお読み手の血をたぎらせ続ける、まさに“男の聖書”と言えよう。
 聖書に書かれた土地は聖地として、人々の記憶に残り続ける。
 愛読者よ、聖地をめざせ!

 まず、最初に大山倍達の墓のある場所が「聖地」として挙げられている。そして、大山の軌跡を追うためにゆかりの地をめぐることが「聖地巡礼」とイメージされているのである。ここには、まさに「大山信者」としての極めて宗教的なイメージが色濃く反映されているように思われる。その点が、宗教性のみじんもない現在の「オタクの聖地巡礼」との大きな違いであると思われるのである。
 この記載に続いて、『空手バカ一代』の舞台となった場所が世界地図とともに記されている。それは、物語とはいえ「大山倍達」という「教祖」の追体験にほかならない。
 むしろ、同書に収められた他の「マンガの舞台探訪」の方が、今の「聖地巡礼」行為に近いといえよう。
 「ドラまっぷプロジェクト」によるドラマ・映画作品のロケ地ガイドは、時代的には近づくのだが、あくまでも「ロケ地のガイドブック」であり、記されている内容は旅行ガイドに近い。
 『TVドラマ ここがロケ地だ!!』(2000)は、Part1:ジャンル別ロケ地探索、Part2:ドラマ別ロケ地探索、Part3:エリア別ロケ地探索、という三部構成である。「このドラマの舞台になったあの場所はどこ?」という関心よりも、「ロケ地に使われた橋や建物はどこ?」「新宿や原宿でロケ地になったのはどこ?」という関心に焦点が当てられている。むしろ、実用書として考えるなら、テレビ業界人のためのロケ地ガイドに近い。
 3年後の拡張版としての『TVドラマ&映画のロケ地徹底ガイド』(2003)では、プロローグ:おすすめデートスポットベスト10、前編:ロケ地でたどるドラマの旅、後編:エリア別にめぐるロケ地の旅、エピローグ:インデックスとなっている。旅行先で「ここはあのドラマのロケ地だよ」「あー、見たことある!」といった話をするためのガイドといえよう。

◎「聖地巡礼」本の登場

 ターニングポイントとなるのは、2005年に発売された柿崎俊道『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』(キルタイムコミュニケーション)であろう。柿崎はライター・編集者であるが、特にアニメ・マンガなどオタク文化に親しんでおり、他に『Works ofゲド戦記』『痛車コレクション 』といった著書がある。
 『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』が出版された2005年前後にオタクの世界で「聖地巡礼」という言葉が定着し始めたことが、まえがきに記されている。

 僕も最初に編集者から企画を聞かされたときは、いまいちピンと来ていませんでした。学生時代に『究極超人あ~る』にはまり、OVAの舞台になったJR飯田線や光画部の修学旅行先である奈良、京都に行った経験はあります。今から10年ほど前の話です。
 そうした旅が今では『聖地巡礼』と呼ばれて、ファンの間では定着しているなんて初耳でした。

 この取材は主に2004年夏に行なわれていると記されており、ゼロ年代に入ってから「聖地巡礼」という言葉が定着していったことが伺われる。ちなみに、同書で取り上げられている「12ヶ所」は以下の作品の舞台である。

  • 『フルメタル・パニック?ふもっふ』仙川・調布・京王多摩川

  • 『天地無用!魎皇鬼』岡山県総社市・金光駅・美星町

  • 『新世紀エヴァンゲリオン』箱根

  • 『R.O.D READ OR DIE』神保町

  • 『げんしけん』中央大学多摩キャンパス

  • 『アベノ橋魔法☆商店街』阿倍野・天王寺・新世界

  • 『朝霧の巫女』三次市

  • 『ラーゼフォン』吉祥寺・秋葉原・お茶の水

  • 『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』秋葉原・お茶の水・お台場・有明

  • 『究極超人あ~る』飯田線

  • 『魔法遣いに大切なこと』下北沢・渋谷

  • 『コメットさん☆』鎌倉

 このほか、コラムでは主にオタクの集まる場所(いわゆる「メッカ」)として、聖地「秋葉原」を筆頭にバンダイミュージアム、三鷹の森ジブリ美術館、東京タワー、高田馬場(手塚治虫)、渋谷・新宿などが取り上げられている。
 本書はまさに現在の「オタクの聖地巡礼」のパターンを完全に確立した最初の書籍といえる。その中で特に重視したいのは、作品中の実際の映像と、著者が実際に撮影した同じ風景の写真が並べられていることだ。これは後で触れるように極めて重要なポイントであると考える。
 「四国八十八ヶ所巡り」を意識した「12ヶ所めぐり」という表現は使われているものの、その「巡礼」行為に、『空手バカ一代』巡礼のような「聖性」はまったく存在しない。ただ、作品の追体験としての舞台訪問というニュアンスが強くなっていることに注目したい。
 なお、本書著者の柿崎は2010年7月の第1回電書フリマにて『聖地巡礼 アニメ・マンガ1ヶ所めぐり「青い花」鎌倉・江ノ島編』を発行している。
 聖地巡礼に関する最新の書籍としては、ドリルプロジェクト編『アニメ&コミック聖地巡礼NAVI』(2010)が刊行されている。これはエリア別に実に100作品の「聖地」すなわち舞台をまとめた書籍であり、作品数としては傑出している。ただし、1作品の紹介が原則1~2ページ(Kanon、らき☆すた、エヴァンゲリオン、けいおん!、ハルヒ、天地無用!、海がきこえる、の7作品のみ例外的に4ページ)という制約のために、やや掘り下げは浅くなっている感が否めない。特に、原画と現地写真の対比がないために、実際に訪れたときにはやや物足りないかもしれない。

■「聖地巡礼」はやはり「聖地」である

◎マンガ・アニメ聖地巡礼の特徴

 ここまで主に書籍等によって「聖地巡礼」という言葉の定着度を見てきたが、実際にはネット等で先行して聖地巡礼行為が行なわれてきたことは言うまでもない。
 このオタク型聖地巡礼の特徴として、いくつかの点を指摘したい。
 一つは「聖性が希薄である」ということである。聖地巡礼という言葉こそ使うものの、そこに礼拝というイメージは含まれない。その点、聖地・トキワ荘とは異なる。トキワ荘には「マンガの神様」たちが暮らしていた場所という意味があり、それにあやかりたいといった個人崇拝的なニュアンスがあるといえる。永島慎二の阿佐ヶ谷も同様だ。あのあこがれの漫画家のゆかりの地に行きたい、という思いがある。大山倍達ゆかりの地を「巡礼」したい、というとき、そこには明らかに神格化が存在している。
 しかし、現在の「聖地巡礼」にはそういう神格化はない。単にあのキャラクターが活躍した舞台となった場所を訪れるという「舞台となった場所訪問」というニュートラルな意味合いしかない。そういう意味では聖地巡礼という言葉は適切ではなく、「ロケ地訪問」あるいは「大河ドラマの舞台訪問」、あるいは「歴史上の史跡探訪」の方に近いといえる。2011年の大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」ゆかりの地を訪ねて滋賀県へ行く、というのと同じ次元の行為なのである。
 その一方で、「聖地」という言葉にはやはり「特別な場所」というニュアンスが込められているように思われる。「聖地巡礼」という言葉から「崇拝」を引き算すれば、「特別な場所をわざわざ訪れる」という表現が適切だろう。他のどこでもない、作品の舞台となった特別な場所をわざわざ訪れるという、ある意味「無駄」な行為をあえて取る。それを再び宗教的な表現を用いて述べるならば、その「作品」の「信者」としての信仰告白ともいえる。オタクたちは作品舞台を訪れることによって、その作品への帰依を表明している、という潜在的な意味合いが「聖地巡礼」という言葉を選ぶ心理に内在しているのではないか。

◎制作者の視点・シーンとの重ね合わせ

 そしてもう一つ、この論考で極めて重視したいのは、柿崎の著書にもあり、また多くの「聖地巡礼」報告ブログ等で行なわれているとおり、原作のシーンとまったく同じアングル、同じ場所から撮影した写真が並べられることが多いという現象である。単にその舞台となった場所へ行ったというだけでなく、同じアングルで撮影する。これは「検証」という名で語られることもあるが、「聖地巡礼」の重要なポイントだとも考える。
 これは身も蓋もない言い方をすれば、漫画家やアニメ制作スタッフが現地で資料用の写真を撮影したときの再現である。実際、京アニスタッフがここで撮影したんだ、というような発言も垣間見られる。しかし、そこで同じ角度から同じ場所を見ることで、二つの「重ね合わせ」が現われる。それは今述べた「制作者と同じ視点の重ね合わせ」だけでなく、もう一つ「現実世界に作品世界を重ね合わせること」である。
 後者について、たとえば箱根で芦ノ湖を見下ろしたとき、聖地巡礼としての視点としては「ヤシマ作戦のときエヴァ初号機はあそこにいた」とか「戦略自衛隊の戦車があそこに並んでいた」という作品シーンを思い出すことになる。つまり、それは現実の風景に作品のシーンを重ね合わせるという行為そのものなのである。
 PlayStation2「新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド 特別編」スペシャルDVD(2006年)に収められた「中川翔子のデリケートにゲームして 出張版」は、中川翔子が実際に箱根・芦ノ湖を訪れる映像である。
 何の変哲もない箱根湯本駅のホームを前にして、ゲームや原作のシーンを解説しながら中川は大興奮する。「エヴァファン、鋼鉄ファンなら絶対思い浮かべる大事な場所、名シーンの場所といえば五本の指に入る、こちら、このホームですよ! これはねえもうエヴァファンなら、箱根湯本の駅からすぐここが見れるので、エヴァファンだったら一度は絶対来るべきなんじゃないですか。私ももう体が震えちゃってどうしようもないですよ!」
 また、この映像の最後のナレーションでは「エヴァマニアの君たちなら、そのほかにもたくさんの名場面や名台詞を思い出したのではないだろうか。しかし! この旅はほんの一部。残りは君たちが自分の中にある名シーンを思い浮かべ、独自のルートを巡ることで、より素晴らしいエヴァの世界を作ってほしい」と語られる。そこではまさに「名シーンの思い浮かべ」によって物語、ストーリーが重ね合わされているのだ。でなければ、箱根湯本の駅のホームを見ただけで感動に震えるという現象は理解できない。アニメ・マンガの「聖地」は、作品と現実世界を重ね合わせることのできる特別な場所なのである。

◎「重ね合わせ」と「聖地」

 この「現実と物語の重ね合わせ」というキーワードをもとに、冒頭で検証した「聖地」の条件を振り返ってみよう。

「聖地は、「この世界」と「別の世界」の接点・境界であると人々が認識する場所である」

 そう、マンガやアニメの舞台となった場所は、この意味でまさに「聖地」にほかならない。この世界と、「別の世界」としての作品世界の接点である。そこを訪れることは、作品にさらに浸るために必要な「巡礼」なのである。
 一般的な宗教上の意味合いとして、アニメ・マンガの単なる舞台を訪れることは、礼拝行為を含まない以上、決して「聖地巡礼」とは呼べない。しかし、「聖地」を「異世界との接点」と定義するとき、それはまさしく「聖地巡礼」以外の何ものでもないことが理解されよう。
 そして、それはたとえば「トキワ荘」や「阿佐ヶ谷」、あるいはさらに宗教上の聖地にも共通していると言えないこともない。手塚治虫やムハンマド、空海が「この場所でマンガを描いていた」「この場所で聖なる行為を行なった」という「物語」を、その場所に行くことで重ね合わせ、イメージを強化しているという観点で見たならば、という前提であるが。
 さらに言えば、「らき☆すた」の舞台・鷲宮神社(鷺宮神社)はたまたま宗教的にも聖地であったが、そこに本来の意味で参拝する人たちと、オタクたちの「聖地巡礼」は、まったくニュアンスが異なっている。しかし、それはどちらの意味においても「聖地」と言えるのである。

■歌枕にさかのぼる「オタク的聖地巡礼」とゲニウス・ロキ

◎『おくのほそ道』に見る「歌枕巡礼」

 ここで話は一気に江戸時代にさかのぼる。松尾芭蕉の『おくのほそ道』である。
 松尾芭蕉は実際に江戸深川の芭蕉庵から出発して東北を巡り、その行程を紀行として描きながら、折々に触れて俳句を詠んでいく。その旅は、実は「歌枕」と呼ばれる場所をつなぐ旅であり、また西行の足跡をたどる旅でもあった。歌枕は、古来、和歌に詠み込まれた名所を指す。「おくのほそ道」は、最大の名所である松島をはじめとして、西行が実際に訪れたという場所へわざわざ寄り道をして行くなど、「歌枕巡礼」の旅と言ってもよい。
 歌枕というものは、実際には訪問せずにただ歌の題として詠み込まれることも多いものであるが、芭蕉は実際にその地を訪れた。もちろん『おくのほそ道』は芭蕉の実際の行動とはずれていたり、脚色が行なわれたりしている部分も多々見られるが、歌枕そのものを訪れたこと、そしてそれを踏まえて歌を詠んでいることは間違いない。
 たとえば、白河の関のあたりで、西行法師が歌に詠んだ柳を訪れる場面である。
「西行法師が「清水流るる」と詠んだ柳(芦野遊行柳)は、芦野の里にあって、田の畔に残る。ここの郡守である戸部某(蘆野民部資俊、俳号:桃酔)が「この柳をお見せしたいんですよ」とかねがね言ってくれていたので、どのあたりにあるのだろうかと思っていたが、今日、この柳の陰に立ち寄ることとなった。《田一枚植ゑて立ち去る柳かな》(西行法師は立ち止まった柳。私は道を進めるために立ち去るのでありました)」(松永訳)
 西行法師の歌は「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ」(古今集:夏)である。西行は「柳のかげに立ち止まった」と歌い、芭蕉はそこを訪れて「立ち去った」と詠む。西行のイメージをそこに再現し、それを踏まえて芭蕉は句を詠んでいるのである。
 またこういう場面がある。
「等窮の家を出て五里ばかり、檜皮(ひはだ、郡山市日和田町)の宿を離れて、浅香山あり。浅香山は道から近い。このあたりは沼が多い。「かつみ」の花を刈る時期もそろそろ近くなったので、どの草を「かつみ」というのだろうかと人々に尋ねたけれども、知っている人がいなかった。沼を尋ね、人に問い、「かつみ、かつみ」と尋ね歩いているうちに、日は山の端にかかってしまった。」(松永訳)
 「沼が多い」というのは、古今集「みちのくのあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」という歌を踏まえた表現で、「沼を歌った歌で有名なところ」ととらえるべきである。そして、その歌にあるとおり「陸奥の浅香の山の花がつみ」というのだが、「かつみ」という花はどれだろう、と尋ねてまわるがみんな知らない。沼はどこだ、かつみはどこだ、とうろうろしている間に日が暮れたという。
 和歌を踏まえ、またこの地を訪れた先人の故事をなぞろうとする。芭蕉は、それぞれの場所において、そこを訪ねた古人の言動に思いを馳せ、それを思い浮かべ続けた。イメージを重ね合わせ、過去の名残がみつからずとも探索することそのものに意義を見いだし、その場所で古人の思いを味わうことで興奮する。
 それは、過去あるいは物語と場所の重ね合わせにほかならない。
 芭蕉の奥羽旅行は決して参詣や巡礼が目的ではない。西行は僧侶でもあるが、芭蕉がたどろうとした西行の足跡は、あくまでも歌人としての西行のゆかりの地である。その意味で宗教性のない「ゆかりの地」巡りであるが、しかし、まさしくイメージの重ね合わせのための旅である。この意味で、『おくのほそ道』と現代のオタク型聖地巡礼は極めてパラレルであると考えられる。

◎聖地巡礼と「ゲニウス・ロキ」概念

 以上のような観点から見るとき、たとえば「篤姫ゆかりの地をたどる」「坂本龍馬の足跡をたどる」といった歴史上の「ゆかりの地訪問」も、オタク的「聖地巡礼」と軌を一にしていることがわかる。つまり、歴史上の出来事を、それらが起こった「場所」を媒介にして眼前に甦らせようという行為である。古代豪族の生活を想起させる古墳にしろ、ヤミ市の記憶を呼び覚ます下北沢驛前食品市場にしろ、歴史上の風景を「重ね合わせる」手がかりとなる風景として見るならば、それはまさに「過去」という名の異世界と接する「聖地」と見なすことが可能となる。
 「場所」とは、過去あるいは創作上の物語との「接点」を作り出す装置なのである。それはゲニウス・ロキというキーワードと深く結びついている。
 前回の.review論考「秋葉原のゲニウス・ロキ」でも記したが、中村雄二郎は「ゲニウス・ロキは、それぞれの土地がもっている固有の雰囲気であり、歴史を背景にそれぞれの場所がもっている様相である」と定義する。
 さらに、鈴木博之は『建築の七つの力』(鹿島出版会)で、「地霊の力(ゲニウス・ロキ)という言葉のなかに含まれるのは、単なる土地の物理的な形状から由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文化的・歴史的・社会的な背景を読み解く要素もまた含まれているということである。こうした全体性に目を開くこと、すなわちタウンスケープを、その土地固有の微地形や歴史性との対応のなかで読み解くことこそが、地霊の力(ゲニウス・ロキ)に対する感受性を生み出すのである」と解説している。
 現在を読み解くために「文化的・歴史的・社会的な背景を読み解く」のが鈴木のゲニウス・ロキであるが、逆に言えば、ゲニウス・ロキ的な観点からは現在の場所の抱いている物語性、歴史性などを読み解く試みがなされる。オタクの聖地巡礼とは、まさに土地に結びつけられた物語を再確認しに行く行為であり、舞台となった場所のゲニウス・ロキを体感しようという行為にほかならない。
 そして、実際の場所を舞台にした物語が作られ、実際の場所を舞台に歴史が紡がれる以上、たとえ形を変えてもオタク型「聖地巡礼」はこれからも続けられるに違いないのである。

【参考文献・資料】

潁原退蔵/尾形仂訳注『新訂 おくのほそ道』角川日本古典文庫 1967
鈴木博之『建築の七つの力』鹿島出版会 1984
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ、加藤邦男・田崎祐生訳『ゲニウス・ロキ―建築の現象学をめざして』住まいの図書館出版局 1994
オフサイドブックス『マンガの歩き方 あの名作の舞台を探れ!』彩流社 1999
植島啓司『聖地の想像力 ―なぜ人は聖地をめざすのか』集英社新書 2000
ドラまっぷプロジェクト『TVドラマ ここがロケ地だ!!』サンブックス 2000
ドラまっぷプロジェクト『テレビドラマ&映画のロケ地』サンブックス 2003
中沢新一『アースダイバー』講談社 2005
柿崎俊道『聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』キルタイムコミュニケーション 2005
柿崎俊道『聖地巡礼 アニメ・マンガ1ヶ所めぐり「青い花」鎌倉・江ノ島編』(電書フリマ作品) 2010
ドリルプロジェクト編『アニメ&コミック聖地巡礼NAVI』飛鳥新社 2010
PlayStation2ゲーム&スペシャルDVD「新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド 特別編」2006
聖地 ‐ 通信用語の基礎知識
http://www.wdic.org/w/CUL/%E8%81%96%E5%9C%B0
聖地/ 同人おたく用語の基礎知識/ 聖地巡礼/ 聖地礼拝
http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_seichi.htm
舞台探訪アーカイブ
http://legwork.g.hatena.ne.jp/



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