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女子十二楽坊はなぜ売れたのか

「女子十二楽坊はなぜ売れたのか/松永英明(#co_article003)」は、プロジェクト「.review」に投稿され、2010年4月4日に公開された論考である。
ただし、現時点で論考本文のpdfが失われているため、Abstract(概要)のみの再録とする。
※もし論考本文pdfをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ページ最下部の「クリエイターへのお問い合わせ」からご連絡ください。

Abstract

2003年7月24日に日本デビューした「女子十二楽坊」は爆発的なヒットとなった。デビューアルバムは中国のインストゥルメンタルバンドとして初のオリコン1位を獲得、紅白出演、武道館公演を成功させた。
抜群の知名度を誇った女子十二楽坊はなぜヒットしたのか。私は女子十二楽坊のファンサイトを開設した縁からスタッフとも関わって、その歴史を見てきた。本稿は、楽坊の結成から現在に至る歴史、日本におけるマーケティング戦略、そして女子十二楽坊と奈良時代の雅楽伝来との比較という3つの切り口から女子十二楽坊を分析したいと考える。
第一に、楽坊の結成においては、中国ロックバンドの父とも呼ばれる崔健をかつて売り出した王暁京が、坂本龍一の公演を北京で見たことが一つの契機となっている。このような楽坊の誕生にまつわるエピソード等を見、中国流行音楽史・中国民楽史における大きな転回点としての女子十二楽坊を分析する。
第二に、日本でのマーケティングを仕掛けた塔本一馬が、狙い澄まされた宣伝攻勢によって着実に知名度を上げたプロセスを解析する。
第三に、奈良時代に日本に伝来した雅楽と女子十二楽坊の共通項について指摘する。


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